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プログレバンドのマーケティング思考(プログレッシヴ・エッセイ 第26回)

金属恵比須は結成33年になる。惰性のように続いている。

が、バンド存続の危機は何度かあった。大学3年ごろである。
当時のメンバーは全員同い年。進路をどうするかで揉めた。私以外の2人のメンバーは音楽を仕事としたいと考えていたが、私はアマチュア志向。好きな音楽を好きなように発表したかった。
多数決で私は負けた。2002年の金属恵比須は「プロ志向」となった。

打ち合わせで“売れ線”の曲を作ろうという方針となって持っていった曲が「赤狩りパートII」。のちの「紅葉狩パートIV」となる曲だ。
歌がない、不協和音、そしてノることのできない変拍子の嵐。この曲が仇となり初代・金属恵比須の私以外のメンバーは脱退、解散となる。

その後。ベーシストは音楽の道を突き進み、著名なアーティストのサポートメンバーとしてアリーナやフェスなどのライヴで活躍している。

 対して金属恵比須はメンバーチェンジで復活。2004年にアルバム『紅葉狩』し、「赤狩り」は「紅葉狩」となった。

メキシコのプログレバンド「CAST」のリーダーの目に留まり、彼の主催する世界最大のプログレフェス「Baja Prog」に最年少出場で日本代表となった。

Baja Prog 2006のステージ
ホテルではトニー・レヴィン(キング・クリムゾン、ピーター・ガブリエル)と一緒だった

結果論だが、売れようといった元メンバーも、売ることを前提として曲を作らなかった私も正しい道を選んだということだ。仮に元メンバーが残留したとしてメキシコに行ったとしても、音楽で生計を立てられるわけではない。逆に、「赤狩りパートII」を捨てて売れる曲を書こうとしても精神が崩壊していたに違いない。

この経験を経て悟ったのが、プログレの曲作りにマーケティングが必要ないということだった。つまり「マーケティングをしない」ことがプログレ最大のマーケティングだったのだ。

それから9年後の2015年、ラジオ「今日は1日プログレ三昧」(NHK-FM)で「紅葉狩」がオンエアされたことにより、国内での評価もいただくこととなった。この件も「マーケティングをしない」作品だったからこそ受け入れられたのだと分析している。

それと同時にメディアの影響は大きいことも悟った。つまり、曲を作っても知られなければ届かない。逆にいえば、知ってもらえれば必ず聞いてくれるのだ。

ということで知ってもらうためのマーケティングをその頃から戦略的に行なうようになる。もちろん、レコード会社にも事務所にも所属していないからメンバー自力だ。幸い、私はマーケティングに関する仕事を長年している。その経験を活かすようになる。

マーケティングとしては、マーチャンダイジング(商品化計画)はしない。ただし、セールスプロモーション(販売促進)とアドバタイジング(広告宣伝)を徹底する。

これにより、金属恵比須はさらに惰性で活動するようになってしまったのである。

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