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豚汁と児童館プログレ(プログレッシヴ・エッセイ 第17回)

金属恵比須1年ぶりのワンマン・ライヴ。メンバーの5人中2人がガラリと変わる。2000年生まれのベーシスト埜咲ロクロウが正式加入し、ゲスト・キーボードには那由他計画の塚田円が参加する。金属恵比須史上最大の年齢差である。

が、金属恵比須。元々は1980年生まれの同級生バンドが母体。
「ザ・フォーク・ライス(The Folk Lice)民謡蛆蟲樂團」という名前だった。
1991年に結成して1992年に「The Lice」と名乗り始めた。ELPの前身バンド「The Nice」の最初の子音を変えて名づける。
中学入学後、バンドをやっていると嗅ぎつけた隣の小学校出身のフォーク・マニアが加入し、「ザ・フォーク・クルセダーズ」の影響で「フォーク」を入れることとなり、こう名づけられた。中学1年、1993年のことである。この頃から今と変わらず「プログレ・バンド」と自称。

初ライヴは1993年12月。セットリストは、
・狂人は心に(ピンク・フロイド)
・ラッキー・マン(ELP)
・ナットロッカー(ELP)
というプログレの名曲がズラリ。ただし英語では歌えなかったので適当に日本語の歌詞をつけて歌っていた。フォーク調の曲を選んだのはフォーク・マニアへの配慮と、そもそも難しいことができなかったから。

当然フォーク・マニアから演奏する音楽について横槍が入る。吉田拓郎もセットリストに入れてくれと。結果オープニングに演奏したのは「春だったね’73」。

そして初のオリジナル曲も披露。「行け行け暴走族」というディープ・パープルとジューダス・プリーストを掛け合わせたハード・ロック曲だ。

中間部では奇行も。私がラジカセのアンテナに手をかざすとドラマーが、

「うい〜〜〜ん」

と叫び、離せば止まる。
これはレッド・ツェッペリンのテルミンのアンテナに手をかざすと擬音が鳴るというパフォーマンスの真似だった。

1994年1月、セカンド・ライヴの模様

会場は近所の児童館。観客は小学生20人ぐらいだった。企画はライヴではなく、豚汁パーティーの余興。ハナタレ小僧たちが豚汁をすすりながらプログレを聞く年末の行事だったのである。

ライヴの冒頭、児童館の先生が叫ぶ。

「みんな! ザ・フォーク・ライスを知ってるかい!?」

知るわけないだろ。初ライヴだし。
若い女性の先生が盛り上げてくれようと必死だった。だがハナタレ小学生が知る術もない。かくしてライヴは大失敗に終わった。

フロイド、ELP、吉田拓郎、パープル、ジューダス、そして豚汁。ごった煮だ。豚汁みたいな内容だった。ある意味プログレッシヴな組み合わせかもしれないが。

あれから30年以上経つ。テルミンも所有しているのでドラマーがいきなり「うぃ〜〜ん」と叫ぶこともない。

少しは成長した。
久しぶりに豚汁でも配ってみようかな。

フォークマニアはやはりハーモニカを吹く

     ※

2024年4月27日18:00〜
金属恵比須ワンマン・ライヴ
「猟奇爛漫FEST Vol.6」FEATURING 塚田円(那由他計画)

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     ※

2024年8月3日18:00〜
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