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アメリカ挑戦記(3) しっくりこないまま決まった就職先

やがて1年間の休学から日本に帰国し大学に戻ると、仲の良かった友人たちはほとんど卒業していなくなっていました。私は大学4年生として復学すると、すぐに就職活動をする時期になっていました。大学の就職課に向かうと、係の人が求人票のファイルが入った棚がぎっしり並んだ部屋に案内してくれて、「この部屋にある求人票から希望の就職先を見つけて応募してください」と言いました。

 でも、私にはどうしてもその殺伐とした部屋の紙の束の中に自分の将来があるというイメージが湧きませんでした。でも、働かないという選択肢は自分の中にはなかったので、英語と海外に少しでも関わりを持ちたくて、英会話学校への就職が決まりました。

 就職課でお世話になった先生には、「卒業旅行には行っておきなさい。就職したら定年までそんな長い期間旅行できることなんてないんだから」というアドバイスをもらいました。でも、そのアドバイスに強烈な違和感を覚え、どうしてもそうは思えませんでした。

 仲の良かった大半の友人が去ったあとの大学に戻って以来、深い友人があまりできなかったこともあり、なんとなく旅行に行く気にもなれませんでした。旅が好きな私は「人生最後のチャンス」となるはずの卒業旅行は結局どこにも行かぬまま春を迎え、そして社会人として働き始めました。

 社会人になり、引っ越すにあたり日本でもアメリカと同じ環境に身を置きたいと思っていました。1年間休学していた頃、アメリカのテレビで「リアルワールド」という、若者がシェアハウスに住んでいる様子を描いたテレビ番組があり、とても影響を受けたことを思い出しました。そこで、古い一軒家を借りて、そこを改築して、外国の人たちと共同生活を送ろうと思いたったのです。よく通っていた国際交流センターにあった英語の掲示板にルームメイト募集の張り紙を貼り出しました。当時の私にとって、ここの掲示板が国際的な人たちとつながるドアだったのです。

 しかしいざ調べてみると当時日本で新社会人が何人かで、しかも外国人と物件を借りるというと入居を断られることがほとんどでした。結局人数を減らし、2LDK で外国人でも入居が可能な物件をようやく見つけ、応募してきたカナダ人ルームメートとアパートをシェアしました。こうして安月給を補い、英語を話す環境を手に入れての社会人生活が始まりました。

 仕事は、さまざまな年齢や職種の生徒さん、そして世界中からきた英語の先生達と働くという面ではとても楽しかったのですが、とにかく多忙で安月給。あまりの忙しさに自分の人生など何も考える気力さえもなくなっていきました。ただただ仕事に行き、帰り、疲れ果て、週末に気力をようやく取り戻してまた激務に戻る、の繰り返しをしていて何のために働いているのか分からなくなり始めていたのです。

働き始めて2年ほどたった時、ある日ふと「今この仕事を辞めなければこのままここにずっとズルズルといることになる」という強い危機感が頭をよぎりました。

「よし、仕事を辞めよう。そしてアメリカで働こう」そう決断しました。
コネもない、金もない、アメリカの大学にもいっていない、具体的な策も当てもなかったのですが、この決断はなぜか迷いもなく、確信めいたものがありました。


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