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嫌われたくない大学生が「嫌われる勇気」を読んだ感想

概要・所感
本書は哲学者である著者がアドラー心理学の教えを哲人と青年の対話篇の形式で紹介したものである。自分の人生を生きる、幸せになるための考え方を説く、心理学というよりは哲学に近い内容である。承認欲求やトラウマを明確に否定するなど、人間の所与の性質と思われる事象を切って捨てている。賞罰教育の行く末は「褒めてくれる人が居なければ適切に行動しない」ことへつながるということや、評価や見返りを求める生き方は、他人に嫌わないことを主眼においた窮屈な人生になるという指摘に、個人的にハッとさせられた。自己への執着から他者への関心に切り替え、「共同体感覚」を持つことで自由に生きることができ、そのためには
1、自己受容
2、他者信頼
3、他者貢献
が必要であると説いている。
学び
・人生には「変えられるもの(変数)」と「変えられないもの(定数)」がある
個人的に一番大きな学び。
全ての事象は結局自分自身の解釈如何でどうにでもなる。
例えば身長について。私は平均身長よりも圧倒的に低いが、その身長のせいで損をしているとか考えても仕方ないのである。そこは「変えられないもの」であり、現状を呪ってるだけでは何も起こらない。
また、恋愛や友情について。自分があんなに良くしたのに欲しかった見返りが得られない、好きになってもらえないと考えるのも「変えられない」他人の気持ちを操作しようとすることである。自分にできることは好きになってもらえるような振る舞いをするだけで、好きになるかは他人の課題である。
人生の変数と定数を受け止め、見せかけの因果律を否定する(ex〜だから××できるわけがない)。人間は主観の生き物である。

「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵を授けたまえ」(ニーバーの祈り)

・他人の価値尺度・承認を求めている限り他人の人生をあゆむことになる
前節の教えと通じるものがある。つまるところ嫌われる勇気とは、他人の価値尺度でなく自分の価値尺度の中で生きることである。人間10人いれば1人や2人はどうしてもそりが合わないものである。ただ、その10人全員の歓心を買おうとし、好まれそうな言動や行動を取ることは、自分自身に一貫性を持つことができず、他人の価値尺度に縛られた生き方である。そうではなく、共同体に対し自分なりの貢献意識と貢献している感覚を「自分で」得られるようになることが幸福への鍵である。自己肯定感でなく、自己を受容し、他人を信頼し、仲間である周囲へ貢献することによって満足感を得ることである。
また、周囲と比較することはのっぴきならない劣等感につながる。しかし、理想の自分とのギャップは健全な劣等感であり、自分を成長させるドライバーとなる。

・人生は登山でなく旅、刹那の積み重ねである
人生は頂上に達することが目的の登山でなく、過程も含めて有意義なものである旅であると考える。前者は頂上に到達できなかった場合その登山(人生)は失敗となってしまうが、後者は途中で引き返しても旅は旅である。
昔母親が人生の目標をホノルルマラソンの完走と言っていたのを聞き、
「ホノルルマラソン完走したら人生終わっちゃうの?」と違和感を持ったことを思い出した。
実は過去も未来も概念というか、頭の中にしか存在しない。だからこそ過去や未来に過度に囚われるのでなく、「今」にスポットライトを当て、できることを全力でする。
人生を刹那の積み重ねでつむぎ出される旅であると考えることで、自分の人生を力強く生きることができるであろう。
そして、フラフラしながらも、「他者へ貢献する」という目標があてなき旅の道しるべとなる。
正解も間違いもきっとなくて、刹那の瞬間がただあるだけだけれども、ざっくり自分が正しい方向にいる感覚を得ながら今後も生きていきたい。

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