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努力と才能


何かを新しいことに挑戦するとき、また挑戦しているものが行き詰った時ってふと『俺には才能ないのかなー』と考えたり、『君はセンスないよ』とか言われたり。。。。

という才能と努力の関係について

結論からいうと科学的には才能は遺伝の要素が大きいという研究結果が出ています。

才能がない場合、努力しても意味がないということになり、努力の過大評価は否定されました。

ただ何らかの才能は親からの遺伝により万人に生まれた時には備わっています。それはもしかしたら些細なこともかもしれません。

特定の才能遺伝子はみつけられていないので、どの才能があるか生まれた時にはわかりません。たしかに才能診断テストとかで、なんとなく見つけれるかもしれませんが。

もし、才能をみつけたとしてもそれに訓練を加えて、成長させなければ活かすことができません。

ここで、まず才能に出会うということがかなり運に左右されるような気がします。もしかしたら、人生で自分の才能に出会わず、一度も使っていない人もいると思います,というかほとんどかもしれません。

運よく才能に出会った場合才能に栄養(訓練)を与えて成長させなければ才能が開花しないでしょう。でもその才能を活かせることに全く楽しみを感じなかったり、価値をみいださなければ訓練、経験する気もおこらないでしょう。

これらが前提で大事なのが、ホリエモンが言う『多動力』です。自分に備わった才能は何かわかりません、人生においてランダムにあらゆるジャンルを試して、見つけるしかない。

自分が好きか、嫌いか、得意か得意でないかは考えても全くわからず、行動してみないとわかりません。 行動する前に不得意、好き嫌いを判断しているのはただの思い込みです。おそらく、多くの人は根拠のない、思い込みにより行動をストップさせてるような気がする。

圧倒的な多動という行動力によって自分の好きだと感じることに自分の価値を見い出し、それに情熱を注ぎ訓練、あるいは最適な環境で経験すれば才能を生み出すことができる。

天才遺伝子を持った人はいるが、生まれながらの天才はいません。

身体の適応性と脳のリミットは存在しない

今までは生まれた時から脳の回路がそれぞれ決まっており、それによって能力があるかどうかも決まっており変えられないとされてましたが、脳の回路は適応能力があり、自らの意志で変えれることが可能であり、脳と身体の適応性が能力の根源であることがわかりました。これは誰でも生まれながら備わっている能力です。

潜在能力は容量がきまっていないので、最適な経験、学習によって引き出すのではなく才能を生み出すことが可能ということです。ここでポイントなのがただ時間をかけて努力するのでは生まれないということです。もともと才能があれば可能かもしれませんが。

どんなに時間をかけて,訓練しても成果がなかなか得られない場合それは方法が誤っている可能性がある。

目的ある訓練、経験はコンフォートゾーン(居心地のいい場所)を飛び出し負荷をかける事。少し『外側』というスイートスポットで急速な変化がおこるのであり、常に自分の許容範囲内で行う場合、大した進歩はない。

リミットは自分が決めている

努力してもうまくいかない場合はもっと頑張るのではなく別の方法を考える。成しえれないのはアプローチ方法が間違っているか、自分の心地よい範囲内で努力しているのが原因。

まとめ

多動で自分にとって価値を見出せるもの、夢中になるものに出会ったあとは圧倒的な訓練、経験を効率よく行い、目的(計画)をたてた練習に没頭、習慣的に身につくまで反復すれば、だれでも最終的には才能を生み出すことができる。

ただ、意志力みたいなものがなければ、才能を生み出すまで途中で挫折し到達できない。


















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