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#20 モスコミュール

 君は幽霊で、国分町のバーにいる。君は幽霊モスコミュールを頼んで、いまだにそれは運ばれてこない。ついには君の席に二人の大学生がやってきて、君と重なるように座ったから、君はバーをさまようことになりいろんなテーブルの話を盗み聞きする。

「あなたは今年が転機ですね」
「開運のオーラが見えていますよ」
「本当ですか。もしかして黄色ですか」
「もちろん、思い返せば黄色があふれていたはず」
「心当たりがあります。すれ違う人が黄色のイヤリングをつけていたり、信号は毎回黄色なんですよ」
「やはりね、今あなたは色の波の中にいるんですよ」

”うう、毎回黄色の信号にひっかかってるだけじゃないか”

「今度の土曜に山形いこうよ」
「何しに?」
「クラゲの水族館行きたいんだよね」
「あそこねー、いいじゃん、どこだっけ」
「加茂水族館だったはず」
「じゃなくて場所よ」
「山形」
「そうじゃなくて」
「調べたらいいじゃん」

”うう、クラゲの水族館なんて気になるなあ”

「じゃんけんほい」
「よしゃ、勝った」
「やった」
「また俺かよ」
「いつもありがとうね」
「よろしいかしら、ナッツの盛り合わせとヘネシーのシングルロックで」
「俺はモンテスキューのソーダ割を」
「カシスオレンジ」
「じゃあコークハイ」
「かしこまりました」

”うう、知らないお酒がいっぱいだ”

 君はたくさんの言葉にびっくりした。みんなが自分の話をしていて、誰も君に気づいちゃいなかった。その時、ちょうど僕がバーに入って、二人がけのテーブルに座った。すると君が僕の向かいに座ったんだよな。実に幽霊的な出会いだった。

 僕はモスコミュールを頼んでちびちび飲んだ。僕らのテーブルはカウンターの後ろにあって、カウンターには二人の大学生がいた。あまりに大声で話しているもんだから、僕らは盗み聞きするわけ。

「池田エリサの写真集を買ったよ」眼鏡をかけた奴が。
「あの?」ウィンドブレーカーを着てる奴が。
「おれ前からファンだったんだ」
「今時写真集なんてねえ、ヌードの?」
「まさか、水着だよ」
「水着?またどうして」
「どうしてって、なんだよ?」
「大学生にもなって、ねえ」
「別にいやらしい意味なんてないさ」
「いやらしい意味しかないさ」
「そんなことはない」
「それに、その人は脱いでるはずだぜ」
「そんなはずはないよ」
「本当さ、調べてみろよ」
「なんて調べるんだ?」
「池田エリサ 流出じゃないか?」
「家に帰ったらな」
「今見てみろよ」
「しょうがねえな」彼は携帯を取り出した。
「これは......」
「これは?」
「本物だ!」

 片方が手をたたいて笑った。もう一人も笑い転げた。バーのみんなはしかめ面。

 ひとつ間をおいて、「ああ!」と片方が叫ぶ。
 マドラーがカウンターから落ちて地面に激しく当たり、きらきらした騒音を出しながら僕の足下まで転がってきた。僕はマドラーを拾い上げると、二人の大学生たちは恥ずかしそうに黙り込んでこちらを向いた。僕は重い腰を上げて、ゆっくりと彼らのもとに歩いていく。やさしく、マドラーを彼のグラスの横に置いてやる。

 自分のテーブルに戻ってモスコミュールを飲み干そうとすると、半分くらいあったカクテルが全部なくなっていた。これをどう説明するかひたすら考えて、このバーには幽霊がいるってことにしたんだ。蒸発したってよりは、だいぶ合理的だろ。


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