今までやってきた事

今日でひとまず学校が終わる。これまで何度か娘の事を書いてきた。基本的には専門学校に通う現在の事を書く事が多かった。

今でこそ互いの考えを尊重して過ごしているが、最初からそうだった訳ではない。何故その様な行動をするのか理解に苦しんだ時期が幼い頃からあった。

娘は2歳半の時に広汎性発達障害の診断を受けている。先生から言われた時は一瞬ショックを受けたが、すぐに「親として出来る限りの事を娘に対してしないと一生後悔する」と思った。

それから保健所の担当保健師さんに相談し、臨床心理士の方に指導・相談する場を時折変えながら娘が高校を卒業するまで続けてきた。

それと平行して自治体では小中と特別支援学級に籍を置いてきた。小学校は通級、中学校は固定級だった。

自治体の就学相談を経て学校を決めたが、結果的に小中共に高学年で不登校になってしまった。毎日の様に臨床心理士の先生に泣きながら電話相談に乗って貰った事もあった。

小学校の時は隣のクラスにどうしても苦手な子がいて、顔を見るのも嫌という状態になってしまった。先生や同級生は大好きだっただけに、何で嫌な事をしてくる子がいるのか分からないと卒業までずっと言っていた。

中学校は固定級の体験入学をした上で決めたが、同級生に苦手な子がいて文化祭をきっかけにカウンセリングルームにしか入れなくなった。

ただ当時の娘には受け入れられる範囲が余りにも狭過ぎたのだ。相手が娘の事をどう思うかと考える余裕は娘にはなかった。理不尽と感じる存在からスルー出来ず逃げる事しか出来なかった。

高校はサポート校を兼ねた通信制に籍を置き、本人なりに悩みながらも無事に卒業する事が出来た。不安が強い時期には高校に定期的に来るカウンセラーの先生に相談した事もあった。理不尽な生徒もいたが先生や先輩の支えで何とかやってこれた。

現在は相談する場は主治医の精神科の先生のみになっているが、専門学校の担任の先生にも書類を提出し協力をお願いしている。早い段階から連絡を頂き娘の特性の把握をして下さっているのはとても心強く思う。

そしてこれから先の事を考えると新たな不安もある。高校入学を機に福祉手帳を取得したが、自立支援の恩恵を受けながらも、就活はどうするのか。活用すべきか封じ込めるのか、これからは担任の先生と相談する事になるだろう。

新たに学ぶ事で自分の進むべき道にも変化があった様だ。私には全く分からないけど。それでも本人なりにこれからの事を考えて進んで欲しいと心から願う。

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