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祈られてばかりの私が選んでもらえた日-「僕が旅人になった日」発売日にー

2019年8月2日は、忘れられない1日だ。

台所のテーブルで、いつものように食後のアイスカフェラテ(ブレンディ)を飲んでケータイをいじっていた。ふとgmailを開くと、1通のメールの件名にn o t eの文字があった。

震え上がった。目を疑った。メールを開くと、どうやらnoteの編集部からのメールらしいことは分かった。ところが、頭が混乱して上手く文字が読めない。人間は興奮しすぎると文字が読めなくなるのだな、と1つ賢くなった瞬間だった。

どうやら、私がスペイン巡礼について書いたエッセイがnoteのお題企画に選ばれたらしい。数分経っても文字が上手く理解できなくて(実話です)、仕方なく「お、おかあさーん!!」と当時あまり関係のよろしくなかった母にメールを読んでもらった。「わ、わたし選ばれたんや!!本に載るんや~!」母にはエッセイのことは一切話していなかったので、「はて?」みたいな反応だったが、まあよい。全身から汗は吹き出るわ、息はしにくいわ、しまいには漫画みたいに「フラッ」ときてしまい10分くらい寝込んだ。

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文章を書くことが好きだな、と初めて思ったのは中学3年生の時だったと思う。
夏休みのお決まり・読書感想文の宿題があった。当時どーにもこーにも読書を好きになれなかったので、まず本を読むことが第一関門だった。ところが、その年は推薦図書が決められておらず、自由に本を選んでよいことになっていた。姉の本棚から故・さくらもももこ先生のエッセイ集「あのころ」を手に取った。

さくらももこ(敬称略)のエッセイは、読んだことのない人には是非お読みになることを勧めたい。一言でいうと「爆笑」だ。はじめてのおすすめは、彼女のファーストエッセイ集「もものかんづめ」。これはもう、ギャグ漫画と言ってもおかしくない。本なのに、漫画のようなおもしろさに溢れている。本を読んではじめて「おもしろい!」と思わせてくれた作品だ。

そんなさくら氏にならって、私も少し違った読書感想文を書こうと思った。タイトルは「エッセイが書けたなら」。
読書感想文なのに、本の内容にはほとんど触れなかった。その代わり、自分のおじいちゃんの話をおもしろおかしく書いた。それが、ウケた。

国語の先生が皆の前で読んでくれたり、どこかの賞に応募しようとしてくれたりした。はじめて「作文って楽しいな」と思えた瞬間だった。

今でも実家に帰ればその作文は国語のノートに貼り付けられたまま、引き出しに入っている。私にとって、とても心に残る出来事だったのだ。

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それから月日は流れ、22歳。世間一般でいう「大人」になった。

就職活動は、大嫌いだった。「なんで葬式みたいな格好して思ってもないこと笑顔で言ってヘコヘコせなあかんねん」などと、生まれ持った大阪人の魂が暴れだし(大阪の人ごめんなさい)、会社からは祈られつづけた。結局どーでもいい会社に入社した。んですぐ辞めた。真っ直ぐなレールがぐにゃっと音を立てて歪んだ気がした。
でも、今になって思うのは、よく「レールを外れた」って言うけれど、それはその人にとって「新しいレール」を敷き始めただけに過ぎない。外れてなんかいない。新しい「自分だけのレール」を敷き始めたのだ。

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それからまた数年。いわゆるアラサーの自分だが、どこか現実感がない。ただの子供でいたい願望なのかもしれないけど、大人になった気がしない。
巡礼に出たからって、悟ったって、変わらない。変わらないけど、すこーーしだけ楽になった。

エッセイの中に書いた言葉は全て嘘ではないし、これからも嘘にはしたくないけど、弱い人間なのでこれから自分がどう変わっていくのかは分からない。

けれど、今日という日を、ひとり暮らしながら、「読んだよ!」「買ったよ!」「出版祝いだ!」とメッセージを送ってくれた家族や友達と共に迎えられたことが、本当に嬉しくてたまらない。掲載が決まってから「本が出るまでは死ねない」が私のキャッチコピーになっていたぐらいですから。世の中が大変になったり自分のメンタルがやばくなったり友達が壊れちゃったりいろいろつらいこともあったけど、あの日、選んでもらえた喜びを私は忘れられません。

本作りに関わってくださった方々、なにより、選んでくださった人たち、ありがとうございました。これから読んで下さる人、どうぞお楽しみ下さい。

もっと”きれいな”文章にしたかったけど、まとまらないのが今の正直な気持ちです。別にいいか、まとまらなくても。

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