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芥川賞作家による日常空間の裂け目からのぞくような短編集『父と私の桜尾通り商店街』今村夏子著

『むらさきのスカートの女』で芥川賞を受賞した今村夏子の短編集。淡々とした日常に実は不気味な裂け目があって、そこからにじみ出てくるようなストーリー6編を収録。

シンプルだが特異な文体と異様な世界観

存命中の日本作家の中で久しぶりに好きになりそうな著者だ。

デビュー作の『こちらあみ子』は傑作で、『あひる』に収録された3編も不可思議な味わいがある。『星の子』はこの著者の作品の中では「読みやすい」方だろう。『むらさきのスカートの女』はこれから読むので、楽しみ。

文体や雰囲気には、ノーベル文学賞の候補と言われている多和田葉子や、英語だがアメリカのJulie Otsuka(ジュリー・オオツカ)の『The Buddha In The Attic』(邦題『屋根裏の仏さま』)のような乾いた感じがある。

「しらね。おらしらね。」(『父と私の桜尾通り商店街』所収の「白いセーター」p. 31)といった、日本に住んでいて日本語が分かればすぐに音声が聞こえてくるような口調や、句点がなく一続きに繰り出されるせりふが特徴的だ。

「白いセーター」

クリスマスディナーに婚約者となじみのお好み焼き屋に行くことにした主人公。当日の日中に婚約者の姉から子守を頼まれ、その結果、ちょっとしたトラブルに。その話が婚約者にも伝わり、2人のディナーの行方は?

子どもや大人の「ずるさ」が描かれている。回想として語られていて、主人公はすでに婚約者と別れたのか、それともまだ一緒にいるのか、はっきりとは分からなかった。

「ルルちゃん」

派遣で工場などで働く主人公が、図書館で遭遇した女性の家に夕飯に招かれ、その女性が大事にしていた人形「ルルちゃん」を「レスキュー」(救出)する。子どもがいない女性は、子どもが傷つけられているのを見るのが耐えられないという。主人公は子どものころ、父親が家庭内暴力を振るっていた。

この出来事を回想で語る主人公は現在、同僚の23歳のベトナム人女性レティと友人になれたことに感謝している。しかし、レティは主人公が貸した漫画本を返すといって返さないし、主人公は昔読んだ「開運」「風水」「幸せの神様」などがテーマの本に書いてあったことをいまだに習慣にしている。

そんなこんなで主人公が心配になるが、「ルルちゃんはルルちゃんだ。誰のものでもない。」(p. 56)と言い、夢のために頑張るレティに刺激を受けて実家を出た(p. 75)ということだから、希望があるのだとは思いたい。

「ひょうたんの精」

美人でスレンダーな、高校のチアリーディング部の花形は、中学生の時すごく太っていた。神社で出会った女性に、ひょうたんの中に住む七福神を体の中に入れられてから、劇的にやせたという過去があるらしい。しかし、七福神が去ると、元の姿に戻ってしまい・・・。

この高校生の運命を語る主人公は、チアリーディング部のマネージャーだ。元花形を先輩として尊敬し信じているように見えながら、実は彼女をさらに破滅に追いやっている。

元花形はまだ「チアリーディングを愛している」(p. 106)し、「チアリーディング」「チアリーダーだったかつての自分」「仲間達」「後輩達」「信頼と勇気で成り立つ競技そのもの」(p. 106)を愛している、と主人公は考えているが、彼女に寄り添う主人公は、彼女をさげすむ人たちと変わらないように見える。

「せとのママの誕生日」

昔、「スナックせと」で別の時期に働いていた3人の女性が、スナックのママの誕生日を祝うために初めて会い、久しぶりにスナックを訪れる。ママは眠っていて、死んでいるようにも見えるが、かろうじて生きているらしい。働いていた当時、ママに命じられて体の一部を「商売道具」としていた思い出が語られる。

人間の体の部位と食べ物が結び付けられ、生と死の境界にいて、現実と空想が入り混じる世界に、山岸凉子の漫画「月読」に出てくる豊穣の女神、保食神を連想した。

不気味さ全開の短編だ。店で働く女の子たちのコンプレックスを、ママが強引で乱暴なやり方で「特技」に変え、女の子自身もそれを誇りにするようになるが、すぐにそれを失い、スナックをクビになる。怖いがユーモラスでもある。

「モグラハウスの扉」

下水道の工事現場で働く「モグラさん」は、若くて筋肉ムキムキでかっこいい(らしい)男性で、恋人募集中。小学1~3年生の学童保育に通う4人の子どもたちは、モグラさんから、地下に広がる巨大な「モグラハウス」を建設していて、完成したらみんなでそこに住むのだ、という話を聞く。あるきっかけで、子どもたちの学童の先生である女性が、モグラさんと対面することになり・・・。

子どもたちの一人に顔が「普通」(p. 152)と言われ、父親と二人暮らしをしている学童の先生は、「天然パーマの短い髪の毛をたくさんの銀色のピンで留めていた。」「上はいつも白の長袖ブラウスで、下は足首まである花柄のスカートをはいていた。」(p. 149)という描写からだけでも、男性にもてないということが分かる。

彼女はモグラさんに恋をするが、約20年後、子どもの一人だった主人公が語る事の顛末は地味だが悲惨だ。ここでも、主人公は学童の先生の「病(やまい)」を助長しているように見える。

「父と私の桜尾通り商店街」

商店街でパン屋を営む父親と娘は、昔、父親の妻=娘の母親が組合の理事長と不倫して駆け落ちして以来、商店街で存在を抹消されたような扱いを受けている。店をたたんで、父親の故郷に帰ろうということになったが、パン屋の最後の日々の中で、娘はある出会いをきっかけにパン屋を続けたいと思うようになる。しかし、年老いた父親にその力はなく・・・。

パンをおいしいと言われ、受け入れられた気持ちになり、やる気が出て、客が増える。しかし、娘が抱く未来への希望は、やはりどこか陰鬱だ。彼女の思い込みや、今にもあの世へ行ってしまいそうな父親、そして彼女が出会った人の戸惑いが影を引くが、近所の子どもたちの毒を含む快活さが、物語に動きを生み出している。

作者のインタビュー記事

本書が刊行された際に行われた作者の今村夏子のインタビューがあった。

各ストーリーの発想源を語っていて、その発想は、日常生活にある、ちょっとした「普通」のことだ。でも、書き上がった物語は、その発想とはかけ離れていて、全く「普通」ではない。

発想から物語が完成するまでの思考と創作の過程は語られていないので、結局、これらの短編小説について何も語っていないインタビューになっている(笑)。でも、それでいいのだと思う。


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