見出し画像

『僕が跳びはねる理由』自閉症の人が感じている世界を描くドキュメンタリー映画

日本の作家が書いて世界中で翻訳されたエッセイが原作

自閉症で会話はできないが、文字盤やタイピングで言葉を紡ぐ作家、東田直樹さんが13歳のときに執筆したエッセイ『自閉症の僕が跳びはねる理由』。

この本は、自閉症の子を持ち、日本語が堪能なイギリスの作家、デビッド・ミッチェルさんとその日本人の妻ケイコ・ヨシダさんによって英訳され、その後、世界30カ国以上で出版された。

映画『僕が跳びはねる理由』は、その本を基にしたドキュメンタリーだ。

イギリス、インド、アメリカ、シエラレオネの5人の自閉症の人たち(子どもが多いが、成人している人もいる)とその家族たちの姿が映し出されている。デビッド・ミッチェルさんも出演。

知覚や記憶の仕方が「普通」の人とは違い、感情や考えを言葉で言うことが難しいため、「感情がない」「知能が低い」と誤解され、意思疎通ができない、パニックになると手が付けられない、として、疎外されてきた自閉症の人たち。

しかし、当事者が、自閉症の人の世界の見え方、捉え方、そして自分の気持ちを言葉で表現した『自閉症の僕が跳びはねる理由』が発表され、この本は、自閉症児を育てる親や自閉症の人を支援する人たちにとっても、救いとなったという。

話し言葉で表現できないからといって何も考えていないわけでも学べないわけでもなく、絵を描いて表現したり、文字盤を指さして言葉を発したりする人もいる。学校のカリキュラムを学び、自立しようとする人もいる。子どもの個性を尊重せず抑圧しようとしていたと気付き涙する親もいる。自閉症であるわが子をいつくしみながら育てる中で周囲の偏見にさらされ、国内で初の自閉症児のための学校を設立した人もいる。それでも親は、自分たちがいなくなった後の世界で子どもがどう生きていけるのか心配でたまらない。

自閉症の人が知覚する世界を映像と音で表現

ある種の音にこだわりがありずっと聞いていたり、音が大きく聞こえたり、細部が目に呼び込んできたり、繰り返しを好んだり(少し安心するからだそう)、といった感覚を、映像と音で観客に疑似体験させようとする演出も興味深い。

ほかの人たちが目に留めないような物が気になってずっと見てしまったり、同じ細かい動きを繰り返してしまったり、といったことは私にも昔からあった。自閉症と診断されたり、支援が必要なほど生活に支障があったりするわけではないが、完全に人ごととも思えない感覚がある。

自閉症の特徴の一つは、「対人コミュニケーションがうまくいかない」だが、「普通」の人たちは、ちゃんと他者の気持ちがわかって、問題なく人と関係を築けるのだろうか?そういう人がいるとは、私にはちょっと想像できない。ただ私は、「どうしてそうなの?」「冷たい」「ひどい」などと(まったく思いがけなく)言われながら、「普通の人はこういうときこういうふうに考えるんだな」「普通の人はこういうときこういうふうに振る舞うんだな」というふうに、一つずつ確認しながら、「普通」の社会に適応するために努力してきた気がする。

「こだわりが強く変化が苦手」というのも自閉症の特徴だが、私は子どもの頃、突然の予定変更がとても苦手で、そのたびにいらいらしていた。

自閉症の人は、音や光などの刺激が苦手ということも聞くが、そういえば子どもの頃、家族がテレビを見ている部屋にいるのが結構苦痛だった記憶もある。

学校の教室などでみんなが大騒ぎをしているときは、意識を遠くに「飛ばして」耐えていた。飛ばせたからまだよかったが、飛ばせなかったらパニックになっていたかもしれない。

変化にもテレビにも、今はだいぶ慣れた。「これでは駄目だ。自分が疲れるし、周りにも迷惑がかかる」と考えて、少しずつ自分を「矯正」してきたような気がしている。大きい声で話す人は今も苦手だが、逃げられない状況のときは、気にしないよう自分に言い聞かせてなんとかやり過ごすようにしている。

言葉を発することは、昔からまあまあできた。おとなしかったので、言わずにのみ込んで黙っていることも多かったが、言語化が困難ということはあまりなかった。

私は自閉症ではないのだろうが、何かがほんの少し違っていたら、そうだったかもしれない、という思いが昔からある。だから、話さない人を何も感じていない何も考えていない人だとは思いたくないし、パニックになっている人が何に葛藤し何に悲しみ何に怒っているのかを想像せずに単に「怖い」と思いたくはない。自閉症の子の親が悩みながらも子を愛している姿を見ると、泣けてきてしまう。

本の引用のナレーションと日本人の少年

英訳された原作の言葉が、イギリスアクセントの少年っぽい声のナレーションで流れ、映画の所々で、日本人(東アジア系)に見える少年が、日中から日が暮れるまで、イギリスの風景の中を歩き回る映像が差し込まれる。

この言葉を話さない自閉症の少年は、Jim Fujiwaraさんという、イギリス在住の日本人なのだという。

東田直樹さんは自分が出演しないという条件で本の映画化を承諾した。そして映画製作者は、この映画に登場する自閉症の人たちが、単に東田さんの本の内容を表しているだけというふうにならないよう、少年時代の東田さんの姿を、Fujiwaraさんのシーンで表現することにしたのだそうだ。(IndieWireの記事、‘The Reason I Jump’ Is a Total Immersion in What It’s Like Living with Autismより)

一つではない世界で、それでも一緒に生きる

人は、同じ世界に存在しているように見えても、実は違う世界を見ている(もちろんこれは視覚だけを指しているのではない)。トンボの目ではこんなふうに見えるよ、イルカはこんなふうに聞いているよ、というような話があるが、人間だってみんな同じなわけではない。

自閉症でなくても、目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったり、認知症になることはあり得る。そのとき、それまで見えていた世界とは別の世界に直面することになるだろう。どんなことも、「人ごと」ではない。

VRで自閉症や認知症の世界を疑似体験するプログラムも開発されているが、本や映画の表現に触れる方が、想像力を開けておけるかもしれない。1つの例を見て「こういうものだ」と決め付けずに、一人一人違う私たちをすべて包み込める世界にできるといい。

作品情報

2020年製作/82分/G/イギリス
原題:The Reason I Jump

監督:ジェリー・ロスウェル
製作:ジェレミー・ディア/スティービー・リー/アル・モロウ
製作総指揮:ジョディ・アレン/ポール・G・アレン/ロッキー・コリンズ/ジャナット・ガルギ/ルース・ジョンストン/キャロル・トムコ/リジー・フランク/スチュワート・ル・マレシャル/ジョニー・パーシー/ピーター・ウェーバー
原作:東田直樹
翻訳原作:デビッド・ミッチェル/ケイコ・ヨシダ
撮影:ルーベン・ウッディン・デカンプス
編集:デビッド・シャラップ
音楽:ナニータ・デサイー


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?