小さなコビト

人材派遣会社勤務、家電量販店→貨物の積み込み・搬送。 神奈川県川崎市出身。齢23。 簿…

小さなコビト

人材派遣会社勤務、家電量販店→貨物の積み込み・搬送。 神奈川県川崎市出身。齢23。 簿記2級取得・TOEIC710点獲得が誇り。 日常で何気に抱いた些細なことをひたすら書いていきます。 あくまで個人の意見なので悪しからず。

最近の記事

宅建士について考えたいという話

僕は宅建士の資格を取りたいと思っている。 しかし、勉強しても頭に入って来ないのが現状である。 そこで再度「宅建士」なるものについて考えたいと思う。 宅建士は、宅地と建物の取引を行うための資格である。 売主と買主、借主と貸主の関係を取り持つ役目を果たしている。 その間で生じる相続、不履行、特約などの問題を解決することもできる。 つまりは、契約を取り仕切る番人であり、宅地や建物を公平に扱っているのだ。 公平を期すために、相手が宅建士に属さない場合は制限を設け、被後見人などの

    • 給与に文句は言えないシステムの話 

      あらかじめ言っておくと、この世界は理不尽である。 自分が努力して手に入れたものを、誰かは才能や親のコネ、金の力で獲得しているのだ。 だが、そんなものは日常茶飯事である。 とある日、職場のロッカーにてこんな話を盗み聞きした。 Sさんは仕事をしなくてずっと椅子に座って休んでいるのに、私はどうしてSさんと同じ給与を貰う羽目になるのか? そんなものは当たり前である。 僕は心の中で返答した。 だって、仕事内容上、どうやって実力を判断すれば良いか分からないのだから。 僕は今貨物の積

      • そこまで気にかける必要性はないって話

        僕の勤め先の人間関係がちょっとばかし面倒だ。 自身でやりがいを見出しているAさんと、歳上で覇気を感じられないBさんとの間で若干のぶつかり合いが見られる。 まぁ、Aさんが一方的にBさんのことを気にしている程度なのだが。 僕としては気にしなくても良いではないかと思うのだ。 Bさんは体調を崩しがちで休む日が多く、それでいて出勤しても体調が良くなくて早退する人である。 加えて、休んだ日の分を取り戻すみたいな気概は感じられず、退勤時間になると誰よりも早く帰ろうとする。 Aさんはそ

        • 体調は毎日悪いことがデフォルトって話

          僕は仕事に行く際、そして休日においても、今日は著しく気分が良いという日がない。 それは決して悲しいことではない。 どこかしらの体調が悪くても、自分を楽しませる方法を知っているから全然支障はないのだ。 よく体調大丈夫ですかと、朝礼で確認を取られる。 しかし、100%で臨める日なんて存在しないのだ。 お腹の調子が良くない、咳をしている、鼻が詰まっている、尿意が騒いでいる、暑い、若干寒い。 色んなところに不調は待っている。 でも、別に仕事をする、何かしらの楽しみを果たすことに

        宅建士について考えたいという話

          1日1個新しいことをするという話

          毎日同じことの繰り返し。 そんなのは退屈そのものである。 景色だって慣れたら大したこともない。 美人も3日見れば飽きるとはよく言ったものだ。 だったら、新しいことを1個でも付け足すことができたら良いのだろうと思う。 本当に些細なことで問題ない。 新しいことを加えると今日という日が「◯◯の日」として登録される。 なんてことない日でも、なんか充足感を得ることが可能になる。 是非とも取り入れてもらいたい!

          1日1個新しいことをするという話

          天然水って買う理由あるのかという話

          自販機で売っているのは軟水の、スッキリとしたお水である。 しかし、水筒ユーザーの僕には天然水を買う理由が分からない。 普通に家の浄水を入れるのではダメなのか? 僕はそれで美味しいから水筒に浄水inを選んでいる。 美味しい水が飲める日本という国に産まれているのだから、水は水道代から差し引きで飲めば良いのだ。

          天然水って買う理由あるのかという話

          朝、社畜と言われたって話

          いつもの駅への道のり。 そこでランニングをする人を見かける。 毎日走るという行為はなかなかできることではない。 僕はそういう人たちに尊敬の念を抱いている。 しかし、とある日の朝、すれ違い様に「社畜」と言われた。 何が起きたのかと一瞬考えた挙句、自分の中に沸々と苛立ちの感情が湧いてきた。 そして、心の中に疑問が生まれる。 この世に社畜ではない人がどれくらい居るのだろうか? また、社畜はある種で幸せを獲得し得るのではないかという議論を抱いた。 そもそも社畜とは、会社に従事し

          朝、社畜と言われたって話

          恋人の利益についての話

          恋人を作ると楽しいと言われる。 しかし、恋人っていうのはあまりにも都合が良い関係性を指すと思う。 自分のことを肯定して欲しい、他の人には優しくしないで欲しい、かっこよく、可愛くいて欲しい。 相手にお願いばかりしている気がする。 そして、いざ自分に対して利益をもたらさないと知ると、即座に別れることを告げるのだ。 結局は利益の関係であることは言うまでもないだろう。 好きは理屈ではないと誰かが言った。 違う。脳は咄嗟に自分にとって良いものかどうかを判断しているのだ。 例えば、

          恋人の利益についての話

          生まれ変わりって泣けないという話

          まず、誤解を生まないように、僕は『七つの大罪』的な展開は好ましく思う。 ※ネタバレなので心待ちにしている人はこれ以降は立ち入り禁止 何度も転生しているエリザベスに会いに行く、不老という天命にメリオダス。 そんな姿を見ている側は虚しい気持ちにも、そして同情による悲しさも覚える。 しかし、僕が最近視聴した『月の満ち欠け』は感動ものとはあまり呼べない代物だった。 クソみたいな旦那を傍らに置くことになった悲惨さはもちろん理解できる。 また、そんな最中に出逢った男性に心惹かれる

          生まれ変わりって泣けないという話

          減るもんじゃないと言われても、精神がしっかり摩耗するという話

          僕は絵を描くことがちょっとした趣味である。 人前では描かない僕だが、休憩時間になるとテーブルの上で描く。 そこでは見られる危険性が内包されていて、下手な絵が誰かに露呈してしまう訳だ。 そして、いざ見られた時に恥ずかしいからと隠すけど、相手は「減るもんじゃないから」と言って見せることを強要するのだ。 減っていくのだ。 精神がどんどん摩耗して、やがて絵を対して恥辱だけを感じるのだ。 自分の楽しみも同様に減ってしまう。 人に見られたくないと思ったら、外では行わず、自分だけの空

          減るもんじゃないと言われても、精神がしっかり摩耗するという話

          期待に何も良いことはないって話

          期待という事象ほど無意味なものはないと思っている。 期待して当たれば良いけど、外れたら気まずく、そして後悔さえしてしまうものだ。 僕はかなりの割合で期待外れな行いをする。 周りに上に持って行かれるとそれに耐えられなくなる性分なのだと思う。 別に周りもそこまで期待していないのは分かっている。 だけど、問題は当人が期待というものを生み出してしまうことだ。 一言添えられるだけでドキドキする。 僕はそんなことを言われる人間ではないのです! 大きな声で言いたいけど、それをした瞬間

          期待に何も良いことはないって話

          梅雨明け、真夏日、夏に感化されて描く

          梅雨明け、真夏日、夏に感化されて描く

          電車内のハッピーターンの話

          突如として現れたハッピーターン。 巨大なソレに目を奪われる。 電車が黄色で彩られ、やがてここはデカいハッピーターンの中なのではないかと疑いをかける。

          電車内のハッピーターンの話

          お昼休み=食事ではないって話

          誰もが思っているのではないだろうか? 昼休憩だからご飯食べに行こう! でも、僕の場合は違うことが連想される。 やっと眠れる。 睡眠時間は足りているけど、お昼辺りになると何故かご飯を食べていないのに眠くなる。 気づけば、僕はお昼=眠る時間に切り替わっていた。 寝れば時間が終わって後半が始まる。 決して悪いことではない。 十分にそこで寝ているからこそ、僕は次の時間にも働くことができるのだ。 お昼=食べるという等式は破壊するには持って来いなのだ。

          お昼休み=食事ではないって話

          「ああ言えばこう言う」の真理の話

          口答えするという印象を人はこのように表現する。 しかし、それは被害者ヅラをしている人の言い分である。 例えば、自分がお風呂に入るよりも前に歯磨きをしたいと考えている。 そこで同居人に「先に入って」と促すと、「お腹がいっぱいで動けないから先に入って」と言われる。 また、「先に歯磨きしたいから先に入って」と告げても、「じゃあ俺も先に磨くわー」と返す。 ああ言えばこう言う! そういう人に当人の中では苛立ちが発生するけど、そもそもお前が自己中心的だと言いたい訳だ。 自分の都合を

          「ああ言えばこう言う」の真理の話

          シャツをINするか否かって話

          シャツはINするべきか否かという問題。 僕は鏡を見て思う。 INしているとダサく、何故かゴルフにやって来たおじさん感が出てしまう。 お腹が出ているという点も確かに含まれているのだが、問題はシルエットなのだ。 服を入れているとどうしてもスタイルが分かってしまう。 スーツを着るとダボッと自身の体型が目立つのが証である。 一方で、INしないとスタイルを曖昧にすることが可能になる。 遊ばせることによってそもそも周りが体型に気を取られなくなる。 ふと頭に浮かんだ問い。 周りを見て

          シャツをINするか否かって話