朝、社畜と言われたって話

いつもの駅への道のり。
そこでランニングをする人を見かける。
毎日走るという行為はなかなかできることではない。
僕はそういう人たちに尊敬の念を抱いている。

しかし、とある日の朝、すれ違い様に「社畜」と言われた。
何が起きたのかと一瞬考えた挙句、自分の中に沸々と苛立ちの感情が湧いてきた。

そして、心の中に疑問が生まれる。
この世に社畜ではない人がどれくらい居るのだろうか?
また、社畜はある種で幸せを獲得し得るのではないかという議論を抱いた。

そもそも社畜とは、会社に従事していることを言うと考える。
会社の言うことに従って給与を得るというシステムの下で生きている人を指す。

僕は派遣の業務を遂行しているから、急な異動も、出勤日数に従って休みを削ることもしている。
思いっきり社畜である。

だが、FIRE、いわゆる働くことから脱し、不労所得で生きている人なんてそう居ない。
毎朝、電車に同じように揺れている人たちがその証拠である。

みんな少なからず社畜であると僕は認識している。

では、そんな社畜は幸せなのか?
僕は少なくとも幸せを感じている。
好きなことができて、特に不自由はない。
まぁ、一人暮らしを始めたら乾燥は変わるのかもしれないが。

それに、残念ながら社畜を下に見て己の地位を判断している人は、僕たちが居ないと生きることのできない弱者だと思う。

真にFIREして人生を謳歌している人は社畜のことなんか見えない。
むしろ自分のやりたいことを死ぬまでにやり遂げるために必死で予定表に向き合っているはずなのだ。

朝に出会ったあの人は、FIREしてもなかなか安定しないから不安なのかもしれない。
社畜を比較対象にして己を律するのは愚か者の行為である。

こっちからも言っておきたい。
可哀想に…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?