もう小難しいのはイヤ!

ああ、体の痛みや痒みや違和感が辛い。これも鬱の症状なのだろうか。2年ほど鬱を経験しているが、全身に様々な症状が起きる。そして、不安になって病院にすっ飛んでいくのだが、何も問題ないのだ。これが本当に困る。

そんな訳で参っている。何もやる気が起きない。もう本も小難しい感じがして読みたくない。もう小難しいことは嫌なのだ。昨日は本屋に行った。千葉雅也の『センスの哲学』を買おうと思ったが、パラパラと立ち読みして何だか小難しい感じがして買うのをやめてしまった。僕はお金がないのだ。だから本当に読みたい本を厳選しなくてはならない。すると、ちくま文庫から哲学者のポパーの本が出ていた。ポパーの名前を養老孟司の本から知ったが、本が出ていなかった。パラパラと立ち読みしたら、これもとんでもなく難しそうで、鬱の時に読んだら参ってしまうだろうなという内容だった。ポパーとはどういう人なのかwikipediaを参照しよう。

サー・カール・ライムント・ポパー(Sir Karl Raimund Popper, CH FRS FBA1902年7月28日 - 1994年9月17日)は、オーストリア出身のイギリス哲学者ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授。

純粋な科学的言説の必要条件として反証可能性を提起し、批判的合理主義に立脚した科学哲学及び科学的方法の研究の他、社会主義や全体主義を批判する『開かれた社会とその敵』を著すなど社会哲学政治哲学も展開した。

フロイト精神分析アドラー個人心理学マルクス主義歴史理論人種主義的な歴史解釈を疑似科学を伴った理論として批判[1]ウィーン学団には参加しなかったものの、その周辺で、反証主義的観点から論理実証主義を批判した。

カール・ポパー  wikipedia

もうこの説明からして難しい。要するに、何でも理論で説明できるものは科学じゃないよ、と批判した人なのだと思う。僕は反証可能性のないものは科学ではない、という言葉を知った時に感動してしまった。自分の中で何かが崩壊した感覚があった。また、大学から学ぶ学問というのは、突き詰めれば突き詰めるほど、胡散臭さがでてくる。それは世間の人は良く分かっていると思う。この胡散臭さをカール・ポパーは哲学でもって説明してくれたと思った。ただ、内容が難しすぎてちっとも読む気にならなければ、頭にも入ってこない。だから鬱が治ったら挑戦してみたい。もう今はこういう小難しい本は嫌なのだ。できるなら、坂口恭平の『躁鬱大学』みたいな読みやすい、軽い、楽になる本を読みたいのだ。

ああなんだかおかしな世界に向かっている気がする。もっとシンプルでいいのだ。普通に働いて、友達と遊んで、習い事なんかやって、テレビとかネットとか見て、マンガとか読んで、おまけに彼女とか作って、結婚して、子供を作って、みたいなそういのでいいのだ。だけどこの普通がどれだけ難しいことか!


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