大瀧詠一、ボブディランを聴いて

昨日は大瀧詠一さんのベストを聴いていた。確か働いていた頃に買ったのだと思う。買ったはいいが聴いていなかったので、数年間ぶり越しに聴いてみた。大瀧詠一さんに興味をもったのは、内田樹さんが紹介していたからだと思う。僕は好きな作家が紹介している作家や音楽を調べたくなるのだ。最近内田樹さんの『勇気論』という本を読んだので、大瀧詠一さんの音楽を聴きたくなったのかもしれない。『勇気論』は面白かったので、皆さんもぜひ。

大瀧詠一さんの音楽は面白い。僕はここ最近ボブディランばっかり聴いていたので、尚更面白く感じた。ボブディランの音楽は平坦であまり音楽的に面白くない(失礼)。大瀧詠一さんの音楽は音楽的にかなり面白いのだ。50年代60年代の音楽の組み合わせみたいな曲が多いのだが、それが面白い。聴いていて水を得た魚のような感覚だった。歌詞は多分大瀧詠一さんが書かれたり、松本隆さんが書かれたりしているのだが、ユーモアのある詩だったり、都会的な詩だったりする。だから大瀧詠一さんの歌声も相まって気の抜けるような感覚がある。ただ、鬱の時にはあまり合わないなと思ってしまった。僕が鬱じゃなく、普通の日常を取り戻せたらもっと楽しめているのかもしれない。また、大瀧詠一さんの曲は車で彼女と海にでも行く時に聴くのがいいのかもしれない。もちろん僕は車で彼女と海に行ったことはないのだが。

というわけで、比べるものではないが、力強さという面ではボブディランの方がある。大瀧詠一さんの音楽はどちらかというと気の抜ける感じだ。全くジャンルが違うなという印象だ。聴いていて、大瀧さんの中にボブディランを感じることはなかった。ここぞというとき、何かと戦っている時はボブディランの方がいい。うまくいえないが、ボブディランにはそういう力強さみたいなものがあるのだ。何か背負っているように感じるのだ。それに歌声にしても音楽にしても平坦なので、鬱の時でも割と聴くことができる。とはいえ、僕はまだ大瀧詠一さんに対する研究が足りない。鬱が良くなったら研究するかもしれない。

そんなことより、鬱や吐き気、体の痛みが辛い。これはいつになったら治るのだろうか。いや、僕の中ではもう結論は出ている。それは主治医を信頼して自分に出来ることをコツコツとやることだ。色々考えたり、葛藤があったが、最終的にこのシンプルな結論にたどり着いた。おそらく、主治医を信頼して、自分に出来ることをコツコツとやっている人は鬱が良くなっていると思う。主治医に対する疑いがあったり、あるいは治療に対して受動的な態度でいると、鬱は中々治らないのではないかと思う。ここで難しいのは受動的な態度でいなくてはならない時期もあるということなのだ。薬を飲んで、横になっている時期というのは必ず必要だと思う。というより、どう見積もってもそれしかできない時期がある。ただ、段々と何かしらできる日が出てくると思う。それは回復の兆しなのだ。しかし、何かしらできる日はあれど、まだ辛いという感覚はあると思う。僕もそうなのでよく分かる。

また、鬱が中々治らないと、病気や薬についてとことん調べるようになるが、これは主治医に対して不信感を抱くようになるので、あまりしないほうがいいと思う。調べたところでどうしようもないのだ。もちろん、トンデモな医者もいると思うので何とも言えないが、よほどのことでない限り、目の前の医者を信頼するのが一番効率がいいのだ。本やネットよりできるだけ目の前の医者を信頼しよう。病気と薬のことは医者に任せるしかない。後は自分に出来ることをコツコツとやっていくだけだ。そりゃ自分に合った医者や薬で魔法のように治るならそれに越したことはないが、おそらくそんなことはないのだと思う。医者や薬というサポートを受けつつ、自分に出来ることをコツコツとやっていかないと鬱は良くならないのだと思う。僕は今それを試している。

はあ。早く鬱や諸々の症状が良くなって、本や音楽、映画が楽しめるようになりたい。

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