頑張りどころを見極めよう

僕は今うつ状態にある。そう、2年間ほどうつ状態を経験しているのだ。ストレスを抱えながらも仕事をしていたのだが、ストレスからか少しハイになりやりたいことが色々でてきた。何だかつまらないし、イライラする感覚があったので、これは仕事のせいだと思い仕事を辞めることにした。仕事を辞めたら、力尽きたように鬱になってしまったのだ。仕事をしている時はまだ元気だった。少なくとも、仕事ができるほど元気だった。まさか、仕事を辞めてから鬱になるとは思わなかった。それも2年も続いているのだ。

毎日、鬱に関することを書いている。もうこれは自分がうつ状態なのだから仕方ないと思っている。飽きるまで書こうと思う。僕はこの鬱の文章を鬱を経験する人はもちろんだが、鬱を経験していない人に読んでもらいたいと思っている。鬱の悲惨さを知ってもらいたいのだ。また、誰でも鬱になる可能性はあるので、予防的な意味も含めて読んでもらいたいのだ。とはいえ、鬱真っ只中の人は僕の文章を読まないだろう。なぜなら僕の文章は長いからだ。鬱の時に長い文章なんて読めない。また、鬱ではない人も読まないだろう。元気な時に鬱に関する文章なんて読みたくないのだ。僕も鬱を経験していない時は鬱の本なんて読まなかった。まあそんなもんだ。じゃあ誰がこの文章を読んでいるのか不思議に思う。

何にせよ鬱が辛い。2年も続いているのだからそろそろ悟りを開きそうなのだ。鬱といっても、人によって鬱になった原因や症状は異なると思う。僕の場合は、元気や意欲がでない、落ち込みがある、吐き気などの体調不良がある。また、ひどくなると不安や焦燥感、恐怖感といったものが出てくる。元気や意欲がでない、落ち込み、吐き気などはもう一貫してあるので、慣れてきた感覚がある。ただ、この不安や焦燥感、恐怖感はどうすることもできないので本当に辛いのだ。鬱の症状を例えるなら、高熱をひいた時のような感覚だろうか。もちろん高熱は出ていないのだが、高熱をひいた時のような体の不調、また、何もやる気が起きず横になっていたいと思うのだ。これが2年ほど続いているのだから堪ったもんじゃない。

僕はまさか自分が鬱になるとは思わなかった。コーヒーを飲んで、タバコを吸って、好きな音楽を聴いたら元気が出たので、鬱とは無縁だろうと思っていた。鬱について考えたこともなかった。軽い落ち込みが少し続くくらいだろうと思っていた。ただ、好きな事はできないわ、吐き気でご飯は食べられないわ、寝れないわで結構悲惨な事になるのだ。鬱といっても、軽度の人や中度の人、重度の人がいるだろう。ただ、どの度合いの方が辛いと比べるものではなくて、それぞれの辛さがあるのだと思う。鬱でも働いている人がいると思うが、それはそれで辛いと思う。じゃあ働かずに家で休養している人が辛くないかというと、やはり辛い。重度の人になると、介護が必要なレベルになるだろう。それはそれで辛いに決まっている。だから、辛さを比べる必要はないのだ。皆人それぞれの辛さがあるのだ。ただ、この辛さを人が理解できるかというと、真の意味では理解できないと思う。辛さとは主観的なものなので、どうしても人には伝わらないのだ。もちろん理解しようと努めてくれる人もいるだろうが、真には伝わらない。病気というものは往々にしてそうなのかもしれないが、症状との孤独な戦いなのだ。

鬱になる人は、自分を「殺して」まで人のために頑張ってしまった人だと思う。じゃあ鬱にならない人は頑張っていないのかと言われると、そうではなくて、ストレスの出方が人によって異なるのだろう。精神に出る人もいれば、身体に出る人もいる。また、うまくストレスを発散させている人もいるのだろう。この「頑張る」というのは本当に難しくて、頑張るのは良いことだと思うが、ただがむしゃらに頑張ると本当に壊れてしまうと思う。明確な目標があって、適切な「頑張り」が出来ているならいいと思う。このパターンだと、頑張りに対する報酬の方が多いし、無理をしない範囲で頑張ることができるので、自分を「殺す」までいかないのだと思う。ただ、例えば、仕事などでがむしゃらに頑張ると際限がないので、自分を「殺す」までいってしまうのだと思う。だから頑張ることは良いことだと思うのだけど、自分を「殺す」頑張りをしていたら本当に壊れてしまうと思うのだ。頑張るなら適切な頑張り所を見極めないといけない。何でもかんでもがむしゃらに頑張っていると必ずそのツケがやってくるのだ。ただ、人のために頑張ることは素晴らしいことだと思うし、僕はそういう人の方が好きだ。また、ある物事に対して、他人のせいにしている人も鬱にならないと思う。ある物事に対して、自分のせいだと思って自分を責めてしまう人が鬱になりやすい気がするのだ。もちろん僕は医者でもなく、学者でもないので分からないが、なんとなくそんな気がするのだ。他人のせいにしている内は諸悪の根源が他人にあるので、自分を傷つけることはない。ただ、自分のせいにしてしまうと、際限なく自分を傷つけてしまうのだ。そういう人は往々にして、人のために頑張ってしまう。まあ、他人のせいにしている人はそれはそれで別の問題が生じてくると思う。要は頑張り所と物事に対する捉え方が偏り、それが長引いてしまうと鬱になるのではないかと思っている。ある日突然鬱になる訳ではないのだ。徐々に鬱が進行しているのだ。そして、ある日コップの中の水が溢れ出るように力尽きてしまうのだ。逆に言えば、鬱が治るのも今日まであって症状が明日に、あるいは薬によって魔法のように治ることもないのだ。鬱を治していくための、地道なリハビリが必要なのだ。

人が成長するためには、ある種の頑張りが必要だと思う。成長するということは今の自分を「殺す」ことなのだ。成長した自分はもう過去の自分ではない。だから成長を遂げるためには、自分を「殺す」頑張りが必要なのだが、その頑張りに無理があると、下手すると鬱になってしまうのだ。鬱になった自分はもはや過去の自分ではなく、ある意味新しい自分になっている。悲しいけどそれが、頑張りに対する結果なのだ。だから、鬱を治していくためには、新しい自分にならなければならないと思っている。無理な頑張りをしていた時期に戻っては、また鬱になってしまう。だから鬱の時期に色々考えて、新しい自分を造り出していかないといけない。鬱というのはそういう時期なのではないでしょうか。いや、ここまで書いたことは全部解釈であって、鬱というのはただの「病気」なのかもしれない笑。とにかく、一度鬱になるとリカバリーするのが本当に大変なので、皆さん気を付けましょう。

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