漠然とした理想

僕は今うつ状態にある。もう2年働いていない。また、働ける日がくるのだろうか。今では自分が働いている姿を想像できない。そんな僕もかつては働いていたのだ。

仕事をしていた時は仕事があるないに関わらずいつも同じ時間に起きていた。そして、コーヒーを飲みながらタバコを吸って、仕事に行くためのスイッチを入れていた。コーヒーとタバコを摂らないともうスイッチが入らない頭になっていた。そして、今日一日やる仕事の手順を頭の中で考えていた。ロックを聴いていると士気が上がるので、ロックを聴きながら会社に向かった。僕はいつも早めに出社していた。仕事のある日は何だかそわそわしていて、早く会社に行ってしまいたかった。そして、簡単に掃除を済ませて、タバコを吸っていた。そこで職場の人の話を聞いていた。大体仕事に関する愚痴なのだが、それを聞いてやる気が下がった。「この先僕はその仕事をしていくのになぁ」と思っていた。まあそんな愚痴はどこの会社にいってもあることなのでスルーして業務に取り組んだ。仕事中は一種のハイになっていたと思う。頭は聡明に働くわ、体は俊敏に動くわでハイになっていたのだ。ミスが後になって分かる仕事だったので、ミスをしないようにだいぶ神経をとがらせていたと思う。だから神経がピリピリしていた。ストレスも溜まった。

そして、昼になると、コンビニでコーヒーを買って、職場の近くに海があったからそこへ向かった。そして、タバコを吸いながら午後の業務にやることを考えた。また、「俺はこのままでいいのだろうか」と思った。職場から離れて海にでも行かないと息が詰まりそうだったのだ。そして、午前と同じように午後からも業務をやって帰宅した。残業のある日は残業をした。

別に普通の会社だったと思う。パワハラもなければ、法外な残業時間もなかった。嫌な人や嫌な事もあったが、どの職場に行ってもこういう人やこういうことはあるんだろうなと思っていた。ただ、ストレスは溜まっていた。仕事が終わるとくたくたに疲れていた。ひどいときは頭痛がするわ、胸痛はするわ、微熱が出ていた時期もあった。だから仕事が終わったらとりあえず仮眠を取らなければいけなかった。それで、申し訳程度に音楽をかけながら横になっていた。今は中々寝ることができないが、仕事をしていた時は、仕事終わりにコーヒーを飲んで、1時間くらい仮眠して、夜にまた寝ることができたのだ。それでご飯を食べて、横になりながらスマートフォンでインターネット配信を観ていた。もう座っているのも辛かったから横になっていたのだ。ただ、やる気がある時は、本を読んだり、ギターの練習をしていた。これらができるのは相当やる気のある時で、まあ長続きしなかった。基本的には横になりながらインターネット配信やアニメを見ていたと思う。こういう毎日だった。仕事終わりに友達と遊ぶ元気なんて残っていなかった。僕は常に120%くらいの力で働いていたので、もう仕事終わりにはくたくただったのだ。本来なら70%くらいの力で働いて、後は友達と遊んだり、趣味をやったりする力を残しておくべきだったが、僕にはそれができなかった。

休みの日は遠くへ外出するか、ジムへ行くか、本を読むか、音楽を聴くか、映画やアニメを見るか、ギターを弾くか、横になっていた。友達と会う気にはなれなかった。だから大体これらのことをしていた。そして週明けに仕事に行くということを繰り返した。

こうみると何も問題がないように見えるが、ストレスがすごかったのだ。僕の中では何か漠然とした理想があったのかもしれない。それが現実と乖離していたので、それで葛藤していたのかもしれなかった。そもそも就職する前に漠然とする理想があり、就職することはそれにそぐわなかったと思ったので、就職する機会を先延ばしにしていたが、やはりそれは漠然とした理想であり、実行されることはなく、やはり就職するのが現実的だということを悟り就職した。ただ、漠然とした理想は就職してからもあった。おそらく、本や音楽、映画が僕に漠然とした理想を抱かせたのだろう。本や音楽、映画というのは往々にして現実離れしている。そういうのを享受していると、現実がなんだかつまらないような感覚に陥ってしまう。

ただ、漠然とした理想はやはり漠然としているのだ。だからその理想に向かってどう実行したらいいのか分からない。あるいは、現実が嫌だから漠然とした理想に逃げていたのかもしれない。そういう人は多いと思う。目の前の現実が嫌で離れたいのだけど、だからといって何をしたらいいか分からない人。そういう人は一旦その現実から離れてみるといいと思う。そうすると、意外とやりたいことなんてないことに気づく。もちろん、やりたいことがある人はそれをやることができると思うが、そういう人は少数派だと思う。時間ができたらできたで、意外と何もやりたくないのだ。学校や仕事というやるべきことをやって、ようやく趣味の世界なのだ。おそらく、やるべきことをやっていないと、趣味をやっていてもあまり楽しくないのだ。ただ、中にはどうしてもやりたいことがあって、そのために現実を変えられる人もいるが、その人は漠然とした理想を抱いているのではなく、具体的な理想を抱いていて、それに対して実行できている人なのだ。そういうことに気づくために、一旦現実から離れるのも有りかもしれない。すると、現実の大切さに気付き、現実に対して身が入ることになる。

現状が嫌で、漠然とした理想を抱いている人は坂口恭平さんの本を読むことをお勧めする。彼は具体的な理想を抱いて、具体的に行動する。そのために身銭も切っている。彼は本でその方法論や実例を教えてくれる。僕は鬱の時に就職する以外に何か道がないだろうかと考えて、坂口恭平さんやphaさん、えらいてんちょうさんの本を読んだが、彼らの本を読んで、これを実行するなら就職したほうが楽じゃないかと思ってしまった。彼らはおそらく就職するのが嫌でそれ以外の道を探って、具体的な理想を抱き行動してきたのだ。試しに彼らの本を読んでみてほしい。いいなと思えば、そうしてみるのもいいし、僕と同じように、これなら就職して働いている方が楽じゃないかと思うかもしれない。

漠然とした理想を抱くのは良いことだと思うが、それ故に現実と折り合いがつかなくなり、葛藤が生じる。現実を変えたいなら、具体的な理想をもち、それを実現するためにはどうすればいいのか緻密に考えなければならない。その漠然とした理想が思ったより大変で実行できないと分かった時に、現実に帰るのもいいかもしれない。

僕の場合、仕事のストレスか心療内科だか精神科の薬のせいでハイになって、色々やりたいことが出てきて、なんだかつまらないようなイライラするような感覚があって、仕事を辞めた。辞めてからやることを決めていたが、それを実行する前に、鬱になってしまったのだ。僕は現実を変えようと思って行動したのだけど、どうやら無理があったようだ。仕事を辞めるのが遅かったのか、ハイになって鬱になったのか分からない。この先何が起こるなんて分からないんだ。考えたところでそれが上手くいくとも限らない。


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