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積読(つんどく)主義の心得

「積読主義」になってから三年が経った。
昔は一つの本を読んでから次の本を買うスタイルだったのだが、今ではその方針をやめて積読主義者を信仰している。

やめて良かったと強く思う。そのおかげでたくさんの本に出会えたし、毎日本を読もうと心掛けるようになったからだ。なので僕は「積読主義」を推奨したいし、そんな人々を応援したい。

ここでは大切な「積読主義」の心得を3つ紹介したい。

まず、積読主義とは何か?
それは読んで字の如く、「積んどけばいつかは読む」という心持ちで本をとりあえず買っておく購買行動を指す。
積読主義は、買わないと読まないのだから、積んでおけば必ずいつかは読む、という論理構造に従って、気になった本は全て買っておけばいいという考え方が根底にある。

もしかしたら、衝動買いの理由をこじつけて正当化してしているだけだ、という批判が出てくるかもしれない。だが、買わなれけば読まないという事実は不変であって、そこに疑問や否定の余地は介在しないはずである。

はたまた、後で読む時間ができてから買えばいいじゃないか、せめて今読んでる本が読み終わってから買えばいいじゃないか、という助言があるかもしれない。
この意見にも明確な購買理由で反対しよう。後で買うということは、それをしばらくの間記憶して置く必要がある。そのために脳のリソースを長い期間、無駄な記憶に割り当てて置かなければならないなんてメモリの無駄遣いではないだろうか。

それならメモしておけばいいのでは? 正論かもしれない。でもそれを一体どこにメモするのだろうか。
おそらく、アクセスしやすいスマホを使って、目につきやすいようにわざわざ「あとで買う本リスト」なるものを作って保存しておくなどの方法があるだろう。

だが、それも結局は作業コストと記憶保持コストの無駄遣いである。結局、買うという一連のプロセスは同じであって、さらにもう一回探すという手間がさらに増えるだけである。

そんなことをして、僕たちの意思決定力と思考のメモリを使うことなんてしなくて良い。いつ読むかなんて考えずに買ってしまえば良い。買いたいときに買う、これが本にとっても人にとっても最も幸福な行為なのだから、迷わずにレジに持って行ってしまえば良い。

この思考こそが「積読主義」の心得1である。

次に、積読をストックするうえで大切なことがある。それは積読の本をしっかりと「積んでおく」ことである。
積読本は後で読む本の総称であり、つまりは字のごとく積んで置かなければならない。論理的に、かつ物理的に。

本棚に入れてはいけない。しっかりと床に高さが出るように一つ一つの本を積み上げておくことが大切である。
その習慣をきっちりと守れば、立派な積読本の塔、積読(ツンドク)タワーが建造される。地震があったときにはきっと崩れるだろう。だけどそんな儚さが積読タワーの魅力でもある。

なので積読の心得2は、自身の積読タワーを形成することだ。自分の腰のあたりまで高さが出たら、きっと素晴らしい建造物になるだろう。

少しの沈黙。


断言しよう。全ての本には価値がある。
だから無駄な本なんて一つもない。だからこそ、欲が出たときに買ってしまうことが悪いなんてことは、絶対にない。それほどに読書という行為は素晴らしく、積読という行為は正当なのだ。

だが、ここで一つ注意してほしい。この話は積読に限ったことである。他の物品には全くもって当てはまらない。
もし、一目見て欲しいと思えるような商品に出会ったら一晩寝ることをおすすめする。そして次の日も同様な購買欲が継続しているかを確認してほしい。

一晩寝てその欲望を発酵させたときに、きちんと発酵して旨味が出てれば買い、腐ってしまったら買わない、そうすればきっと余計な買い物をしなくて済む。

これも積読の心得であり、3つ目である。

再三の宣言となるが、全ての本には価値がある。
だから本の購買欲を止める必要なんて無い。

積んどけばきっといつかは読むのだから。


Mr.羊


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