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黄金をめぐる冒険⑲|小説に挑む#19

黄金を巡る冒険①↓(読んでいない人はこちらから)

「新六合目」。そこには一軒の山小屋があった。

それは趣のある昔ながらの木造建築で、地獄という言葉には全く似つかわしくなく、ここが山であれば納得できるような、山小屋としての機能を十分に備えた一軒ひとのきだった。屋根は厳重にトタン素材で加工されていて、雨からしっかりと内側を守れる丈夫な作りで、窓や引き戸はぴしゃりと隙間なく締め切られ、壁は厚く、風や砂埃を受け付けない強固な作りだった。

小屋の横には便所があり(その風貌はトイレなんて高麗な響きはなく、まさしく便所という下品な感じのする濁った響きが合っていた)、その脇には無管理な手洗い場が一つあった。そこにこの小屋の汚れが大まかに集合しているようだった。

便所の方から風が吹くと、辺りが少し臭った。下水の臭いが運ばれてきて、鼻孔を刺激し、鼻に付着した汚臭粒子は鼻腔に残留してしばらくの間不快感を持続させていた。
僕は嫌な気分を抱えながら、入り口の前に立って引き戸に貼ってある案内のようなものを念入りに読んだ。よく読んだ結果、分かったことは便所が使えて手洗い場の水が飲める、ということくらいのことだった。

大した休憩ができないことが分かり幾らか気落ちしたが、休めるだけましだと思い、沈黙のドアをこんこんこんと叩いた。ドアを叩いた音は、まるでその内部が大きな空洞であったかのように細く長く綺麗に響いた。少し間があき、急に目の前の扉が勢いよく開いた。ドアの代わりに、顔が一つ現れた。その顔は怪訝な目付きで僕を見ていた。

年老いた女だった。灰色の髪は肩まで伸び、青に支配された半纏はんぺんとそれに従属したもんぺを履いていて、冬の寝巻のように暖かい恰好していた。頭には老婆特有のニット帽を被っていた。このところ老人に会う機会が増えた気がする。バス停の老人、奇妙な目玉、寝巻の老婆。

なぜ老人は帽子を被るのだろう? 何故だかそんな下らない疑問が気になった。思考の回路が切り替わり、下らなさ加減は拍車をかけて深くまで思考し、ある一つの考察に行き着いた。

題:なぜ山ではニット帽を被るのか。
解:比較的風がない場所ならつばが付いている帽子でも問題ない。だが山は風があり、つばがあると空気抵抗の影響で風に飛ばされ易くなる。だから締め付けの強いニット帽がそういう意味で最適であり、さらにはニット地による優れた保温機能で頭部の温度変化が比較的少なくなる。環境に応じた最適選択であり、とても実利的である(この考察には、帽子を被らなければいけないとしたら、という前提がある。なぜ帽子を被るのかは議論の余地は無い)。

下らないことに脳のエネルギーを循環させていたとき、寝巻の老婆の声が聞こえた。僕は慌てて思考の回路を切り替えた。

「お前さん、旅人かい? まったく珍しいこった。だがね、悪いがここはお前さんが臨むような休憩場所じゃないよ。暖を取る場所も無いから、中に入っても大して外と変わらないよ。まあ、外の便所は使って構わないね。隣の手洗い場で手を洗えばいいさ。そこに平たい大きな石場があるから、座って足を休めるといい」
老婆は小屋のすぐ上にある白い大きな岩石を指し、そう言った。

「分かりました、ご親切頂きありがとうございます」
僕はこの老婆ならこの場所のことを知っているのではないかと確信し、一呼吸おいて老婆に質問した。
「すみませんが、この場所のことを教えていただけないでしょうか? ここに来たばかりで右も左も分からず……」
「そうかいそうかい、お前さんはここについ最近来たばかりなんだね。あたしの分かることなら何でも教えてあげるよ。何か知りたいことはあるかい?」
とても気さくで親切な返答に少し驚いた。ご婦人は元々おせっかいの性質を持っているのを忘れていた。なんてありがたいのだろう。

「まず、ここは新六合目なのですか?」
「そう書いてあるだろうよ。お前さんの目は節穴かい? ここは新六合目以外のどこでもないよ」とご婦人は呆れたように笑った。
「では、僕は四合目も五合目も通ってきたのでしょうか?」
「そりゃそうさ。六があるのに他の数字が無いなんておかしいだろう? まったく変なことを聞く子だね。それに、この先を幾らか進めばすぐ七号目さ。そこでは暖も取れるし、寝床もある。こことは雲泥の差さ」

七合目の存在で、益々この場所が山である確からしさの度合いが強まった。だが、これまでの道のりで、休憩できる場所も、四合目や五合目などを示唆する標識なども一切無かった。急に、ふっと湧いて出てきた新六合目。その存在は僕を余計に混乱させた。だが、次の場所で十分な休憩ができることは幾らかの救いだった。しばらく何も食べていない。何か食べないと空腹で……

あれ、なんで全く腹が減ってないんだ? なぜミネラルもエネルギーも摂らずにこんなに動けるんだ?
僕の体は不思議なことに食物を全く欲していなかった。まるで食そのものが生きるための必要十分条件でなくなったように……

「もうじき夜が来るよ、急いで七合目まで行き、そこで一泊していくと良い。もう少し踏ん張りな」
「夜、ですか。ちなみに、そこでは食事の類はできるのでしょうか?」
「食事? お前さん腹が減っているのかい?」
「いえ、何故だか食欲は全くないのですが」
「あきれたこった。まったく、そりゃそうだろうよ」
ご婦人は呆れた様子で笑い、説明を続けた。

「お前さん、ここでは何も食べなくていいのさ。正確に言うと食べる必要が無い、だね。だから腹なんて全く減らないし、食事の類も全く存在しない。不思議だろうが、この場所のことわりはまったく変わっていてね、人が消費するのは全く別のエネルギーなのさ」
「全く別のエネルギー? なら、僕は今、何を消費して動いているのでしょうか?」
「ここでは、”思考から生じるエネルギー”がお前さんを動かしているのさ」
”思考から生じるエネルギー”。この場所では、僕がこれまでに身に着けてきた常識や教養は塵のほどの役にも立たない。人としての固定観念が急速に崩れていく音が聞こえる。

「お前さん、ここに来る途中に無駄なことを考えなかったかい? それもかなりね。それはこの場所の理に沿った本能なのさ。人間は何かを考えているとき、莫大なエネルギーを生むのさ。それも全く体を動かせるほどにね。原理的には化学反応で熱が発生するようなものだね。そしてここでは、その”思考から生じるエネルギー”を消費するのさ」
「そんなことがありえるのですか? 仮に原理がそうだとしても、エネルギーの保存則を無視しすぎている…… 一体思考するためのエネルギーは……」
僕は思考により、途中で言葉が出なくなった。

「お前さんはまったく頭がいいね。たくさん思考している証拠でもあるね。だがね、エネルギーは外と内を循環するように見えて、大して循環しないのさ」
ご婦人の表情は軽妙だった。

「思考が生み出すエネルギーは、原子力発電で使われる核分裂のようなものでね、一つのウランが核分裂を起こして連鎖的にたくさんの核分裂が起きる。そしてそれが全くの莫大なエネルギーを産み出す様に、脳でも一つの思考が連鎖的に他の思考を共起させて、半永続的に思考がエネルギーを生み出していくのさ。だからね、お前さんはこの場所で考えることを止められない。それが有意味か無意味か関係なくね」
「つまり、僕の脳は原子炉のようにエネルギーを発生させて、それが僕の活動エネルギーとなっているということですか?」
「やはりお前さんは全く頭がいい。そうさ、お前さんの頭は一つの思考から爆発的に無数の思考に広がっている。その膨張を、ここでは”知の爆発”と呼んでいるね。そしてお前さんの脳はエネルギーの”半永久機関”として、お前さんの活動を促していくのさ」

”知の爆発”。それはビックバンのようなものなのだろうか?
”半永久機関”。僕は自己の中で完結した存在になったのだろうか?

僕の思考は膨張し続けエネルギーを生み出し続ける。それはどこまで続くのだろうか分からない。いつか終わりが来るのだろうが、それがいつになるか
は分からない。
だが、一つ確かなことは、この場所では食事が必要ないということだった。

第十九部(完)

二〇二四年六月

Mr.羊
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