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黄金をめぐる冒険⑱|小説に挑む#18

黄金を巡る冒険①↓(読んでいない人はこちらから)

宇宙距離を隔てた目の前にいる目玉はこの場所に”長く居る”ようだった。長い間、独りこの道を登り続けている目玉。きっと僕よりも多くのことを知っているに違いない。現に目玉はレインジャケットを着て、”ここは雨風が強い”と言っていた。ならばこれから雨が降ってくるのだろうか。

目玉は加えて、僕の心を見て”大丈夫”とも言った。何が大丈夫なのだろうか。僕ならこの先に進める、という安心感を与えてくれたのだろうか? それとも僕のような山に相応しくない格好をしていて大丈夫なのか、という不信感だったのだろうか?

どちらにしろ、不安定な交信環境でそれを確かめることはナンセンスだった。だが、これから雨が降るとしたら大事だ。だから質問の焦点を今後の天候に当てることにした。

「雨? これから雨が降るということでしょうか。それともここら一帯は雨域で天候が崩れやすいのでしょうか?」

暫くしてから目玉はやっと声を受け取ったようで、少し考えるような顔をしてからモゴモゴと話し始めた。
「こ、こは、まだま、だ、はじま、たばか、り。す、すす、むと、あめふ、ふる」

雨が降ったら防ぐものが何も無い。それに今、僕は体内に取り込むことのできるエネルギー物質を何も持っていない。ここには彼女も、水も、羊羹すら無い。そんな中で体温が冷えでもしたらエネルギーをより消費してしまうし…… いや、待てよ、そもそもここはどのくらい続くのだろうか? 僕は何も持っていない。食事も水も摂らずに数日間歩きでもしたら、物理的に体が持たないだろう。

だが、よく考えてみればこの奇妙な目玉が”長い間ここに居る”ことを考えれば、おそらくどこかで(もしかしたらこの付近かもしれない)エネルギーを補給ができてもおかしくない。

「ありがとうございます。なら、この先、雨宿りができるような休憩所は在りますか? そこでご飯は食べられるでしょうか。水だけでも飲めればいいのですが……」

しばしの沈黙。目玉だけがぎょろぎょろ動いている。僕の声は宇宙に向かい、ある地点で折り返し、目玉の元へと届く。
「あなた、たただ、すすめ、ば、いい。ますぐ、たただ、いきな、さい。それ、がかん、じん、あこと」

僕はその宇宙的距離に、その奇妙な交信に、すでに適応していた。おそらく目玉もそうだろう。目玉の言葉が断片的に聞こえるのは、その経路の途中でいくつかの文字が失われ、宇宙のごみと化しているのかもしれない。それなら得心できるし、とてもロマンのある想像だ。
目玉が遅いのではない、僕と目玉の間にある距離がつくる時間的感覚が差分となって会話というかたちで露呈しているだけなのだ。

そう思うと違和感が消え、とても自然な発信と受信が成り立っているように思えた。

僕はただ、何も考えずに真っ直ぐ進めばいいのだ。建設的な思考はもう止めよう。目玉の言う通り、ただ進めばいい、それが肝心なことなのだ。これまで僕の期待と不安が何か役に立っただろうか? 結局はこの世界の流れに逆らうことなんてできない。ただ流れを受け入れて、前に進むしかない。思い返してみると、それは僕のこれまででもあった。

「分かりました」
僕はそう言って、奇妙な目玉に深々とお辞儀をした。目玉は出会い初めと同様に、ぐるっと首を動かし、また僕の方を見た。そこから全く動く気配は無かった。それはまるで、電源の供給が切れた等身大のロボットのように思えた。そのぎょろぎょろと動く飛び出た目玉を除いて。

もう話すことはないのだろう、そう思い、僕はまた足を道にならって運び始めた。僕はただ、真っ直ぐと進めばいい、それが肝心なのだ。

山の奥で空がうなる声が聞こえた。

***

目玉と別れてからの道のりは、より険しさを増していた。風がさらに吹き荒れ、少しでも足を大きく前に出そうとすると、片足の重心が崩れて体全体が後ろへ引っ張られ倒れそうになる、それくらい僕を押し返す自然の力は強かった。積もっている砂の厚みも増していき、足首まで食う砂粒は、遂には足のふくらはぎまで食うようになる成長度合いで、足を引き抜くのも中々にしんどい作業となり、さらにやっとの思いで引き抜いた足を前に踏み出すと、靴底から圧力を受けた砂粒は傾斜に沿って下へと流動して行き、その流動にまた靴が引きずり込まれ、踏み出した足は以前の位置とさほど変わらない場所に落ち着いてしまう。まるでアリ地獄に落ちたアリのような気分だった。

進行方向とは真逆に砂粒は流れていき、僕の足と共にゆっくりと後退していく。無理に足を踏み出すと、返って砂の流動を助長させるだけで、自然と渦の目に近づいて行ってしまう。
遅々たる亀の様な歩みだが、少なからず前進はしている。しばらくの間、そんな前進が続いた。

砂との一進一退の攻防が続く中、僕の思考は別の、あの奇妙な目玉の言葉を考えていた。真っ直ぐ行くことが肝心なことーー。

文字通り受け取って良いのだろうか、それとも何かの示唆として話したのだろうか? 言葉がやけに単調だったのが、より意味深の含みを帯びていた。簡素な文にはそれ以上もそれ以下の意味も価値も無い。だが、それは地球内の距離の話に限ったことで、宇宙距離を回遊する言葉にはどのような法則が存在するのか全く分からなかった。

思考が輪を作り、閉塞し、同じところをぐるぐる回って、そのサイクルが無価値な永久機関を作り上げていた。考える時間は多分に有るから、僕はその無価値を暫くは続けようと思った。小さなサーキットを回るミニカーのおもちゃみたいに、走れる限りぐるぐると。

百回ほど回しただろうか。それに飽きくたびれてきたころ、ふと顔を上げると砂道沿いに小屋があった。下ばかり見ていた所為か全く気付かなかった。小屋までの距離は百メートルも無い。それほどまでに僕は無価値な思考に没頭していたのかと思うと、自分の愚かさに全く呆れた。

どのくらいこの道を歩いたのかはよく分からなかったが、その小屋には「新六合目」という文字が書いてあった。
新六合目? 何合目という表現は本当の山で使われる言葉だ。 ”地獄の道”とは山であったのか? では僕は山の頂に向かっているということなのだろうか。

ここを山とするならば、六合目なら中腹を少し過ぎているくらいだ。山ならば六合目からが相当険しくなる。体力の回復と少しの休養のために、七合目で休むことは険しい山を登るうえで鉄則である。

ここには有機物の雑音も無いし、無機物の騒めきも無い、あるのは自然の生み出す冷酷な音だけてある。冷酷さが僕を半ば放心状態にし、無我の境地で砂道を歩かせ続ける。そういう場所なのだ。そう思うと、急に疲れがどっと出できた。

僕は小屋の前に立ちすくみ、ドアを眺めた。山小屋のドアが持つその独特な佇まいは、何か異形な世界の入口のように思えた。だが、僕は既に奇妙な世界で彷徨っている。今更ドアの違和感一つ、僕にとってはちっぽけなことだ。

僕は思い切ってドアを叩いた。

第十八部(完)

二〇二四年六月

Mr.羊
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