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黄金をめぐる冒険②|小説に挑む#2

黄金を巡る冒険①↓(読んでいない人はこちらから)


その夜にかかってきた電話は二本あった。
一本は保険のキャンペーンに関するどうでもいい電話だ。
そして、もう一本は『炒飯』を代表する彼女からだった。

「度々のお電話となり大変申し訳ありません。
先刻に申し入れました件ですが、考えていただけたでしょうか?
急を有する案件でございますので、どうかお早めにご回答いただけないでしょうか」
彼女の声には疲労の様子があった。
口調が少し速足となり、文体に焦燥感が見られる。

僕は申し訳なく感じた。あの時にすぐに返事をするべきだったのだ。結局考えても結果は同じなのだから。

「お受けしようと思っています」
と僕は自信のない決意を表明した。
「よかった、とても嬉しいです」
彼女はほっとしたのか、とても柔らかい口調で返事をした。

「ですが、この役目は僕でなきゃいけないのでしょうか? 僕は平凡な人間です。
特に賢くもなく、筋力がもの凄いわけでもない。
どこにでもいる普通の会社に働いている当たり障りの無い人間です。」
「いえ、あなた様には特別な”誉れ”がございます。あなた様でなくてはならないのです。
今ここで話の詳細をお教えすることはできませんが、その力は誰もが使える力ではございません。
それに、あなた様はその”誉れ”を過去に一度だけ行使しています。
それはこの世界を救う大きな力となります」
彼女は力強く言った。特に”誉れ”という言葉を強調し。

「誉れ? いや、一体何を、言っているのですか? そんなもの、僕は全く心当たりがありません」
「失礼いたしました。覚えていらっしゃらないのもご無理ありません」
彼女は一呼吸置いて、説明を続けた。

「記憶の持つ不明確さは、過去を”捻じ曲げる”可能性を含んでおります。
まず、記憶の中の夢と現実はとても曖昧な境界線で二分されています。
それは一つの箱に温水と冷水を入れた状態にとても良く似ています。
水は温かい程に水面へと上り、冷たい程に水底へと下がります。
これらは水分子の運動量によるものです。
記憶も同じことです。
記憶とは、現実を上部に、夢を下部に分けているだけの箱に過ぎません。

そしてあなた様には”誉れ”がございます。
あまた様はご自身でその時の記憶を、現実から夢へと無意識的に移行されてしまったのです。
そのような事由から、あなた様にはそれらの記憶が無いのでございます」

僕は首を左右に振った。この先、それが縦に変わることがあるのだろうか。

僕はまた彼女の言っていることが全く理解できない。まだ16世紀に太陽の周りを地球が公転していると言われたほうが親切だ。

だが仕方がない。
この世の多くを理解するには僕はまだまだ未熟だし、 きっと彼女は僕より多くのことを知っているのだろう。
ならば僕のちっぽけな頭を働かせるよりは、彼女を信じるほうが懸命なのだろう。

「僕には力があり、それは世界を救う力であなた方の力になれる、それに僕は以前その”誉れ”とやらを使ったことがある、そういうことですか?」
「はい、その通りでございます」
「そしてその記憶は自分で夢にしまった」
「はい、その通りでございます」
「話の筋は分かりました。でも気になるところが一つあります」
「はい、どのようなことでしょうか?」

「もし仮に、僕がこの話を断っていたらどうなったのでしょうか?
あなたの口ぶりには、断ってもいいという余地が見受けられていました。
もし僕が特別な存在で、僕にしかできないのであればなぜ強制しなかったのでしょう?
少なからず他に”誉れ”とやらを持つ人間が存在するのですか?」
 僕は何故か、自分が代用できない唯一の存在になりたいという欲求に駆られ、焦りと不安を覚えていた。

「あなた様の他に力を持つ人間は存在するかもしれません。
ですが、私共が観測しうる中でその力を顕在化している方はあなた様以外に存じ上げません。
兎にも角にも、あなた様はそのくらい稀有な力をお持ちなのです。
そして私共はあなた様に何かを強要することはいたしません。
いや、できないと言うべきでしょうか」
なぜならば、と言って彼女の言葉が途切れた。

一瞬の沈黙の中、僕は彼女の声がどこか懐かしいことに気が付いた。
あれはいつだっただろうか。草むら、晴れた空、水の音、それと ――

「聞いておられますか?」
と彼女は言った。
僕は遠くにあった意識を慌てて引き戻し、大丈夫ですと言い、話の続きを聞いた。

「 なぜならば、強要では”誉れ”の真価を発揮することは、到底不可能なのです。
心とは全てのエネルギーの源です。
川が源泉から山を下り大地へ広がって海へ還るように、人間のすべての力は心から湧出し、体内を巡回して世界へと放出されのです。
そして人の意志こそが、その力の方向を決定づけます。負(-)の力は悪意によって人へと向けられ、正(+)の力は誠意により自然へと向かっていきます。

私共はあなた様の全てを尊重いたします。
あなた様のお心が”誉れ”を産み出し、あなた様の自由意志が”誉れ”を導く旗印と成るのでございます。
また、私共は、万が一にあなた様のお答えが遺憾であった場合を考え、代替のプランを用意しておりました。
ですが計算上、このプランで救える人類は半数にも満たない計算でございました」
彼女は一通りの説明を終えたようだった。

僕は彼女の話にあまり集中できていなかった。
彼女の言葉が耳に触れる度に、その懐かしさが僕の回路を切り替えてしまうのだ。
思い出そうとしても、僕の頭にはぼんやりとした情景のみが浮かぶだけだった。
彼女の言う通りかもしれない。
記憶とはひどく曖昧なものだ。

”誉れ”にしてもそうだ。記憶をあてにしていたら謎が深まるばかりだ。

「僕はこれからどうすればいいのですか?」
「まずはわたくしの同志にあなた様の快きご返答を報告いたします。
ことは急を要しています」
ここで一息。
「私共は準備ができ次第、後日あなた様をお迎えに上がります」

「長い旅になるのでしょうか?」
「申し訳ございませんが、とても”長い旅”になります。
帰ってこられる保証はどこにもございません」

僕は顔を上げ、部屋をぐるりと見渡した。
何もない。
僕を留める理由はここには何もなかった。

「分かりました。
仕事もしばらくは休みを取ります。周囲には長い旅行と言っておきます」
「本当に申し訳ありません。
その代わり、私共はあなた様を全力でサポートいたします。そしてあなた様の全てを尊重いたします」

最後に、では後日お迎えに上がります、と言って彼女は微笑んでくれた。
その微笑みは電話越しでもはっきりと感じられた。
僕はありがとうございますと言い、電話を切った。

とても大事なものを忘れているような気がする。
―― 記憶とは、現実を上部に、夢を下部に分けているだけの箱に過ぎない。

彼女の言葉を口に出してみた。
それは孤独の部屋に、儚くも霧散した。
だがその残り香は、しばらく空中を彷徨っていた。晴れた公園で誰かが作ったシャボン玉のように。

僕は会社と友人に連絡を入れ、長旅の旨を伝えた。
今日はとても長い一日だった気がした。
考えることは山ほどあるが、明日考えられることは、明日考えよう。
そうして僕はベッドに入り、深い眠りへと就いた。

***

夢の中で誰かが言った。
―― 過去を欲するならば記憶を辿るな ――

第二部(完)

二〇二三年十二月
Mr.羊


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