看護学校を卒業後、祖父母の家を出た。 田舎から出て都会に行きたかった。 社会人になってからは、転職をしながら色々な人と出会い 段々と自分の両親について疑問を抱くようになる。 1、母親 借金のある父親の悪口しか聞いたことがない。 そのため、私の中で父親は悪者になっていた。 しかし、借金はあるものの仕事は真面目に行い、学費は全額出してくれた。 その他、別居した母親・妹に対して生活費も送金していたよう。 母親もパート勤務はしていたが、自身の好きなアーティストのライブに行ったり
看護学校に入学すると刑務所のように(刑務所に入ったことはないが) 厳しくついて行くのに必死だった。 両親のことを考える暇もない。学費を出している父親のことも。 看護学校には地元以外の子も多く入学していて、今までと違った 価値観を持っている子もいて、高校よりも楽しかった。 学校生活は厳しかったが、充実していたと思う。 同級生の中には、自分よりも家庭環境が複雑な子もいて 初めて自分だけじゃないんだと、思うことができた。
4月に進路変更をした後、進路の怖い先生や担任の先生、ひょんなことから 勉強教えてあげるよと言ってくれたベテラン先生のおかげで11月の試験は 合格してしまった。 「あー看護師になるのか」と嬉しく思えない自分もいたが、進路が決まった 安心感はあった。 進学校でない高校から受験できたのは私立の看護学校だった。 私立の学費は3年間で300万。 公立、病院の奨学金があればもっと安い学校はたくさんある。 進路変更をしたのも遅く、学力的にも時間的にもこの学校に受かった のであれば高くても
引越しも落ち着き、高校生活も残り1年となった。 予定通り医療事務として就職するつもりだったが、求人が少なく給料も 高校卒業程度では思っていた以上に、低いことも知った。 高校生なりに「月給11万・・・無理だ」と思った。 そのことを母親に告げると別居した父親にも話したようで父親から 伝言があった。高校生になり携帯電話を契約したが父親の連絡先は 知らなかった、知りたくなかった。必要性もなかった。 父親から 進学したいなら進学していい、全額出す。 以前私の言った何気ない一言、「家
そんな多方面への借金が発覚したが祖父母や叔父たちはそんな事情があってなのか 純粋に可愛がってくれていたのか、お小遣いやお年玉をたくさんくれた。 小さい頃から「お年玉は使わないで大事にとっておくんだよ」 母親にそう言われてずっっっっっっと貯めていた。 小学3年生の時に初めて3000円分だけハムスターのおもちゃや欲しかったものを 買った以外は高校1年生まで貯めていた。おそらく20−30万にはなっていたと思う。 ある時母親から「高校生になったから自分で管理しなさい」と通帳を渡され
具体的な引っ越し日も告げられないまま、私は黙々と断捨離を続けた。 引越しの時のことは覚えていない。 通学しやすくなるー、犬のいる祖父母の家で暮らせるーと 前向きな気持ち、この頃には私は私としか考えていなかった。 後に聞いた話、このタイミングで離婚を母から申し出たよう。 弁護士を通して話し合いをしたようだが、結果的には離婚しないで 別居という形を取ることになった。 この時に父親の家庭環境、借金についても聞くことになる。 父親の家庭は幼少期に離婚をして小さな妹だけを連れて母親
無事に公立高校に進学後は自宅からの通学が1時間かかること、祖父母の 家に住んでいた従兄弟家族が引っ越すことになり空室ができることから 私だけ引っ越したいと祖母に勝手に相談する。 祖母は「いいよー」と軽く返答をくれた。 母親へ「祖母がいいって言ったから私だけ引っ越そうと思う」と告げる。 今考えると高校生ながら自分で自分のことを考えて、よく行動できたと 思う。居心地の悪い家庭から抜け出したかったのもあるのかもしれない。 同級生に自分の家庭環境を話すことはなかった、仲のいい友人がい
中学生になると反抗期を迎える。 両親への暴言、イライラして壁を殴る・・・ 段々と今まで両親に対して思ってはいたけれど言えなかったことを 爆発した時に言えるようになる。 そして決定的な、後に人生のターニングポイントになる一言を告げる。 部活に励んでいた私は、勉強があまり好きではなかったこと、勉強を したことが社会に出て意味がなさそうといった理由から高校卒業後は 就職を考える。 祖父母には洗脳のように「病院に勤めると冬は暖かいところ、夏は涼しい ところで働けるぞ」と言われ医療事
小さい頃は祖父母の家によく遊びに行っていた。 小学生になると母親が仕事をはじめたため、さらに祖父母の家にいることが 多くなった。祖父母の家には犬がいたので犬が大好きだった私は何も苦痛に 思わずむしろ祖父母の家が大好きだった。 1つ上の従兄弟には大人の見えないところで、実はいじめられていたけど それが嫌だったくらい。 小学生になり7つ離れた妹ができる。 妹ができ嬉しかった、すごく可愛がった。 でもこの頃からなんとなく両親の喧嘩を目にすること、父親の借金返済に 関しての電話が自
私の両親は1度別れたそう。別れた後に私がお腹にいることがわかり、一応母親は 父親に告げたそう。父親の第一声は「まさかよ」だったそう。 その時点で父親は働いてはいたもののパチンコ(ギャンブル依存症)で借金あり。 母方の祖父母には反対されつつも子供ができたので結婚は許したよう。 母親へ 付き合う相手は選べ、借金ありな奴と子供作るな。 祖父母、この後めちゃめちゃ苦労かけます。 私は悪くないけどなんかごめんって思った。 父親へ 「まさかよ」ってどうゆう意味よ。 私も借金ある奴のと
近年、耳にするようになったこの言葉。書籍なども多く出ています。 でも、どこからが毒親・毒家族なのか・・・ 自分の家庭が異常だったのか、正常だったのか。 大人になってから、正常な家庭・正常な家族・正常な親を見て 私が感じたことを綴っていこうと思います。 綴ることで、自分の気持ちを整理したり、誰かの助け、参考になったら いいなと思います。