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子供って尊い

 集合住宅に住んでいるのだが、隣も上の部屋も赤子がいる。
赤子も赤子、この世の仲間入りをして数カ月だ。
たまに階段やエントランスなどの共用部分で見かけて挨拶をするのだが、赤子たちは本当に尊い。
無条件で可愛い。他人の子供なのに、物凄く可愛い。
これはもうDNAにインプットされている。
子供=可愛い、これは覆せないのだ。


 集合住宅には、赤子だけでなく小学校に上がらないくらいの子供も沢山いる。赤子、小学生未満、小学生、中学生以上というカテゴリーなら、一番勢力が強いのが小学生未満の子たちである。
幼稚園から帰ると、敷地内の公園を元気に走り回り、鬼ごっこをし、かくれんぼをし、けんかをして、仲直りをして、夕飯の時間になれば笑って各家庭に帰っていく。
幼稚園バスが来る14時以降、毎日この調子である。
おかげで毎日賑やかで楽しい。お母さんたちは大変そうだけれども。


 子育ては大変だというけれど、そして実際にそうなのだけど、子供に救われることも多くあると思う。
自分の祖父が亡くなった時、凄く悲しくて家族親族みんなの気分が沈んでいた。
特に祖母が気落ちしている姿は初めて見たので、祖父が亡くなったことと同じくらい悲しかった。
それに母の泣く姿を見るのも何だか悲しかった。
自分の父親が亡くなったのだから、泣くのは当たり前なのだが、それでも母が泣いている姿は人生で何回かしか見たことがなかったので、もしかしたら悲しかったというより、私は少し動揺していたのかもしれない。
仮通夜、お通夜、お葬式、その後の法事とあり、悲しみはしばらく晴れなかった。
そんな悲しい日々を救ってくれたのは、親戚の子供たちだった。


 子供ながらに、この悲しい雰囲気を元気にしないといけないと感じたのだろうか。長いお経の間も飽きることなくキチンとみんなと一緒に座っていたし、食事の時は小学校や幼稚園であったことを話してくれ、その場を明るくしてくれた。
大人だけだったら、ずっと悲しかったかもしれない。
悲しみの世界から引き上げてくれた、この子たちに私は感謝している。


 子供は元気が良すぎて手がかかって大変なだけじゃない。
時に凄い力で私たちを救ってくれる。
それが自分の子供なら、なおさらだろう。
子供がいる人生が全てではないと思っているが、自分に子供がいなくても世の中の子供は大事に大事に育てていきたい。
隣や上の部屋の赤子の泣き声も「今日も元気だな」と感じるし、幼稚園帰りの子供たちのはしゃぎ声も騒音とは思わない。
そんな元気な声にイライラしていたら勿体ないし、なにしろ窮屈だ。
子供が子供でいられる時間は、そう長くない。
それなら勝手に一緒に子供の成長を楽しむくらいの気持ちで見守るのはどうだろうか。
元気な子供を育てる社会にしようじゃないか!と一人で勝手に息巻いている。


 毎日1日の大半を泣いて過ごす赤子をあやすお母さんも応援しているし、公園で走り回る子供たちを汗だくで追いかけるお母さんも応援している。


でも、みんな「すみません、すみません」と謝っている。


何も悪いことしてないのに、子供が騒がしいのなんて当たり前なのに。
産休や育休などの制度を整え、働きながら仕事のしやすい環境を整えることはもちろんだが、子育てを負い目に感じない世の中作りが急務だと感じる。
お母さんたちが「すみません」と言わずに子育てが出来る世の中になれば良いなと思う。

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