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MOROHAと私

2024年2月24日、私の音楽観を根底からぶち壊した音楽ユニット・MOROHAの生音と、長野・松本の300人規模の箱で遂に相対した。

彼らに出会う前、自分にとって音楽を聴くことは、紛れもなく現実逃避そのものだった。
私はその世界に、世俗的な物、生活感を感じるもの、ひいては固有名詞が入ってくることを極端に嫌った。

ブルシットな現実を一時忘れさせてくれたのは、部屋で壊れた機械や古い映画を味わっているという描写を多用するホリエアツシの歌詞であり、比喩に比喩を重ねたような90年代の所謂ビジュアル系バンドの世界観であり、チェスター・ベニントンが悲痛な声で訴える孤独と葛藤だった。
そういったものに没入する事が音楽の楽しみ方であり、向き合い方だったのだ。

巷で持て囃される「等身大の歌詞」などというものは吐き気がするほど嫌いで、そういうものを少しでも感じるとシャットアウトしていた。

そうした私の偏屈なプレイリストに、ひょんなことから事故で飛び込んできたのが、MOROHAの音楽である。
MCを務めるアフロこと滝原勇斗の繰り出す言葉は、まさに諸刃の剣だ。
彼はその鋭利な言葉の刃物を自分にも突き刺す。それによって、聴衆の心をつかみ、容赦なくえぐる。
「’信じてる’なんてお前簡単に言うなよ。他人も、自分も、裏切って来ただろう。」
「俺と同い年のメジャーリーガーが海の向こうで初勝利上げた。」
「俺の叶わなかった夢を、誰かが今叶えてる」
「飲み会の帰り道突如やってくるあの虚しさ、あれなんだろうね。あれ、やばくね?」
「俺こそが本物の音楽、本物のラップ、本物の表現だ、なんて胸を張る俺よりもはるかに、バカにされてないか、間違ってないか、笑われてないか、これでいいのかな?なんて悩んでる俺こそが、何よりも痛いくらい本当で、本物の俺だ!」
鬼の形相で、時には悲痛な顔で、狂ったように叫び、怒鳴り、そして切々と語りかける彼の口から繰り出させるパンチラインは、否応なしに自分の自身の愚かさ、弱さ、姑息さというものを顧みさせられる。

それだけではない。単に本質を突いてくるのではなく、そこへの導入、人生の風景描写がグロテスクなほどにリアルなのだ。
清原モデルのバットを担いだ野球少年、がま口を手に夕飯の買い物にでかけるカップル、ポケットの小銭でレンタルするアダルトビデオ、炊飯器三日目の黄色い飯、料金滞納で止められた電気、湯切りを失敗して流しにぶちまけたカップ焼きそば、父親が奮発して買った一眼レフカメラ、、誰もが思い当たる、もしくは容易に想像できる人間生活のリアルがそこにある。

そんな彼らの音楽を前にすると、自分の弱さ、クズさ、言い訳がましさから目をそらすことが出来なくなるのだ。

彼らのパフォーマンスを画面上で目にしたときには、まさに「馬鹿にされないくらい馬鹿になっている」を地で行く泥臭いMC、そして上記の胸をえぐってくる言葉の嵐に拒否感すら覚えた。しかし、どうにもその音がこびりついて離れず、気が付いたら狂ったように再生を繰り返していた。

そしてこの度の一時帰国、私はフライトを抑える前にMOROHAのライブの日程をチェックし、それを中心に帰省その他の予定を立てるという狂気のロジを組んだ。

始めて目の当たりにした彼らのパフォーマンスをどう表現したらいいか分からない。
曲間に生ぬるい拍手をすることも憚られる緊張感がライブハウス全体を覆い、もろ刃の刃でザクザクと切りつけられ、それでも生きよう、もがきながらでも前に進もうというメッセージが随所に溢れていた。

酒を飲んでクダをまくのではなく、まずは自分自身を変えろというメッセージがこもった「革命」、思うに任せぬ人生に悩む人間を「自ら選んで嘘にしたんだ」と一刀両断しつつも、最後は肯定して包み込んでくれる「tomorrow」や「俺が俺で俺だ」、過去の楽曲のメッセージを踏襲しつつ新たなメッセージを含んだ「六文銭」、これらのナンバーを前に、私はなすすべもなく、直立不動で唇をかみ、腕を組み、肩を震わせるだけであった。

そして、終演後信じられないサプライズがあった。
なんと、MC・アフロ氏が物販会場に姿を現し、ファン一人一人と言葉を交わし、握手を交わしていたのだ。
私は一旦列を離れ、You Tubeである動画を開き、それから並びなおした。以前仕事の関係で出演したYouTubeで、MOROHAの楽曲を紹介したのだった。

https://www.youtube.com/watch?v=OgXQjtlyUbI&t=31s

より著名なラッパーの方がMCを務めるこの番組で、その商売敵を絶賛するという自分の空気の読めなさ加減にはほとほと呆れるが、アフロ氏と会話できる千載一遇のチャンスがそこにあるなら、どうしても伝えたかった。
自分の番が来ると、私は目の前にいるアフロ氏を前にしどろもどろになりながらも、パレスチナで人道支援の仕事をしていること、精神的にもタフな日々の中MOROHAの楽曲が心の支えになっている事、この度の一時帰国で、どうしてもMOROHAのライブに行きたくて縁もゆかりもない松本を訪れた事を精いっぱい伝えた。
上記の動画も流して見せたが、彼はスマホよりも私の目をしっかり見て、「下手なことは言えないけど、おれも同じヒリヒリ感というか、熱量を持って生きていけるように頑張ります」と言ってくださった。そして、がっちりと握手を交わした。震える手でグッズの手袋を受け取り、会場を後にした。

しばし呆然と座り込むしかなかった。この気持ちをどう処理すればいいのか、見当が付かない。いかに心が揺さぶられる経験をしようと、人間は習慣の動物だ。結局は同じような日常に戻って行ってしまうのだろうな、という諦念と共に恥ずかしさが湧いてくる。

しかし、アフロ氏はあるライブのMCでこうも言っていた。
「俺たちのライブは、俺はこういう人間だぜ、っていうライブではない。おれはすぐ怠けちゃうし、ずるしちゃうし、人の悪口とか言っちゃうし、すぐ人をだますし…。それでも、いつか歌の通りの勇ましい、潔い人間になりたいと心から思っている。だから今日、この場所に立てたんだと思っています」
理想と現実のギャップにもがき、時に自分に失望しながらも、結局は自分で彼の言う「半径0mの世界」=自分自身を肯定していくしかないのだ。

次彼らと相対する時には、もう少し胸を張って参戦できるようになりたい。そんな熱にうかされたようなベタな想いの蓄積が、自分のクズさや愚かさ、厳しい現実と向き合う胆力となり、人生の角度を1度、2度ずつ変えていくのかもしれない。

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