パプリカ

野菜350gには根拠がない!?

○月×日

今朝、一限の栄養教育学の講義で先生が、「科学的根拠に基づく栄養教育を心掛けましょう」と言っていた。どういうことなのか全くわからなかった。栄養学は自然科学の一分野なのだから、科学的根拠に基づくのは当たり前ではないだろうか。いくら考えてもわからないので、昼休みに先生のところに聞きに行った。

お弁当を前に明らかに不機嫌そうな先生に気が付かないふりをして、あたしは率直に聞いてみた。「栄養教育が科学的根拠に基づくのは当り前のことなんじゃないですか?」

「そうするのが当り前という意味では当り前なんだけど、実際には栄養教育で教えられている内容には科学的根拠に基づかないものが結構あるんですよ」と先生は言った。「たとえば、野菜を1日に350g食べましょうというのは、科学的根拠に基づいているとはいえません。」

「どうしてですか?」

「どうして、というか、350gという数字は実証的に得られた値ではないからです。科学的根拠に基づくということは、疫学研究でわかったことに基づくということです。350gがどこから出てきたのかも、実はハッキリしていないのですよ。食事摂取基準がまだ栄養所要量と呼ばれていた時代に、食品構成の模範例が載っていたのだけれど、そこに出ていた値だという人もいます。あるいは国民栄養調査の結果から出てきたという人もいます。」

「それじゃあダメなんですか?」とあたしは聞いた。

「科学的根拠の定義によるとは思うけれど、それが疫学研究という、いわゆる『科学的根拠に基づく栄養学』(EBN)の中での話ならば、計算で理論的に出てきたものではダメみたいね。科学的根拠という言葉自体、違う意味で使う人もいるから、その辺はよく確かめた方がいいでしょう。」

「科学的に論証されて確立した理論に基づいて計算したものが科学的根拠でないはずはないですよね?」とあたし。

「違います。EBNでは、疫学の結果に基づかない単なる理論上の計算は科学的根拠ではないのよ。」

「おかしいでしょ、それ」とあたし。

「そもそも、科学的根拠という言い方が間違いだという人もいて、実証的根拠に言い換えたりしています。逆に、科学的根拠とは再現性のある根拠だという人もいます。どちらの定義でも、350gは科学的根拠に基づいてないことになりそうだけど。」

「どうしてですか?」

「実証的根拠に基づく場合、350gを実証する研究は存在しないからです。再現性のあるものが科学だとしても、そもそも350gは実験的に証明されていないのだから、再現性以前の問題ね。」

「じゃあそれって全然信頼性がないってことですか?」とあたし。

「現実に、500gが良いという人もけっこういるのよ。疫学的な研究でないと、その数字の確からしさが数値で示せないからダメなの。範囲もわからないでしょ。300gではダメなのか。そのダメはどれくらいのダメなのか、というようなことね。そういったものを一つずつ積み上げていってどんどん厳密なものにしていくことで信頼性は高まるのよ。350g摂れば理論的には全ての人のビタミンとミネラルが充足できるといっても、それでがんのリスクがどれくらい低下するかはわからない。それより、300gのときよりもがんのリスクが20%低下するというほうが厳密さが高まるでしょ。もちろん、出発点として何か基準を作らないわけにはいかないこともあるし、そういう意味では350gは特におかしな決め方というわけでもないでしょう。そういうことなの。おわかりかしら。」

「わかりますけど、そんなに正確な値が本当に必要なんですか。300gでも400gでもなくて350gというのも、それはそれで変な気がするけど」とあたしは聞いた。

「まあ、冷静に考えれば、栄養所要量というのは年齢や性別で変わるよね。どうして野菜や果物は、誰もが350gや200gなのかということになり、すると本当に350gを必要なのは誰なのか、もっとたくさん必要な人もいるのではないか、当然のことにもっと少なくても充分な人もいるのではないかという話になるわけだけれどね。」

「そうなったんですか?」とあたし。

「今のところは、聞かないかな」と先生は答えた。「もうご飯食べていいかしら?」

「あっ、すみませんでした。…お昼、これだけなんですか? 野菜足りてますか?」

「失礼ね。ちゃんと計算して摂ってますよ。」

「1日350g、ですか?」

「それは、ヒミツ」といって先生は微笑んだ。


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