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子育ても、自分育ても、鈍行列車に乗って、途中下車を楽しもう

なんのこっちゃ!というタイトルになっちゃったんだけど、今回書いていて、鈍行列車に乗って、途中下車して、その町で出会う人や景色を堪能していく光景が思い浮かんで、しっくりきたので、そのままタイトルにしちゃった(笑)

ふと私たちは自分や子どもに即座に変わることや成長することを強く望み過ぎているのではないかなと思った。

人の変容や成長には時間と体験と感じることと気づきが重要で必要だと思う。

私は由佐美加子さんのメンタルモデルの世界に触れて、コミュニティに所属したり、講座に出てメンタルモデルのワークをしていく中で、人の変容や成長には時間と体験と感じることと気づきが必要だなと思うようになった。



またそこから自分なりにやってみて、上手くいかないこと、違和感、不満を感じて、「それは何を大切にしたいんだっけ?」と問いかけて、気づいていくというプロセスがとても重要で必要だと思う。

それは他の人が見たら、遠回りだったり、ゆっくりだったり、変わっていないように見えて、内側ではたくさんの気づきや変化が在ると私は自分ごとで感じているし、息子たちとの対話でも感じてきた。

願いが強いもの、すごく大切なことほど時間や体験や感じることが必要になる。

そこはすごく怖いはずだから。

これも息子たちとの関わりで、彼らや自分の怖さを逸らさずに感じて、受け取ってみて、その怖れの強さを感じ取れた。

今まで名前をつけサッとかわしたり、無かったことにしたり、抑圧してきたから言葉としては知っていても腑に落ちていなかった。

怖さが在るから一筋縄ではいかない。

でもそこに向き合うことが自分の願いを生きることにつながる。

そこから逃げてしまうと自分の願いを生きられないんだと思う。

だからこそじっくり丁寧に感じたり、途中休んだり、他のことに逃げたりすることも大事なんだなと思う。

それでも強い願いは諦めきれなくて、湧いてくるんだと自分ごとで感じている。

鈍行列車で途中で寄り道することにOKを出すことがとっても大事だなと思う。

すぐに変わる、上手くいく、成長するを課すとその道が断たれてしまう可能性が在る

簡単に変わることや結果を出すことを自分に課したり、それができない自分に失望したり、責めてたら「願い」行きの列車に乗ることをやめてしまうかもしれない。

そのほうがとっても残念で、悲しい。

でも私はそれをやってきたなと思う。

自分には無理だ。
上手くできない。

願いが強いからこそ、その痛みもとても強い。

だからこそ諦めてしまう可能性が在る。

でも何度も違う形で叶えたいと湧き上がってくることも感じてきた。

それを受け取ってあげること、そしてもっと安心して自分のペースややり方で進むことを許してあげる必要が在るんじゃないかなとおもうようになった。

自分なりにやってみて違和感や不満が在ることを探求するから、より良いもの、自分に合うものを見出せるんだと思う。

そこに面白さとか、わくわくが在るんだと思う。

そのプロセスを大事にしていいんだよと自分に許可する事ってとっても大切なんじゃないかな。

表面的な結果や成果、変容、上手くいくことを求めることがとても残念な結果を生む

すぐに結果や成果や変容を求めることでデメリットがとても多いなと思う。

  1. 萎縮してしまう。

  2. 自分の中にあるたくさんの可能性につながれない。

評価や表面的に見えることに囚われてしまうことで、怖れが強くなったり、プレッシャーをかけたりして、委縮してしまいやすい。

その結果、更に表面的に何とかすることばかりに注力してしまい。内面の成長や変容につながりにくいと思う。

また自分にじっくりつながれないとしたら自分の中にあるたくさんの可能性に気づかないし、活かせない。

感じることで受け取れる内側に在るたくさんの気づきや視点、感性、特性、好奇心、情熱つながれないと思う。

私はNVCやメンタルモデルの世界に触れて、自分の内側に何が在るのかを意識するようになって、それらを感じてきた。

それは社会や誰かが今求めていることではなないかもしれない。

でもそれこそ自分の願いや可能性を探求するのに必要なリソースだなと感じている。

今の子育てや教育が子ども達に求めていることの多さや狭さも同時に感じてきた。

今は子どもに求めているものが多すぎて、日常で学校の教科やスポーツ、行事、受験のための勉強に応えるだけで忙殺されて、子ども達が自分の可能性や情熱につながることが難しいと感じている。

またその狭いことで自分を評価してしまっている場合もとても多いと感じている。

もっとたくさんの可能性や情熱が在るのに、そこにつながれない。

そこがとても残念だし、憤りが在る。

もっとたくさんの子どもが自分の可能性や情熱につながる時間や体験を持てますように。

それを大人たちが守り、支えられますようにと願う。

自分の今の活動もそこを親子で感じて、開いて欲しいなと願っているから。

それにはまず大人が自分につながる体験をして、実感して欲しいなと思う。

社会や誰かの正しさや求めることに応えなければいけない。
社会や誰かに評価されたり、受容されたり、承認されることが大事で、それがないと危険だと感じる。

そんな風に感じることはないだろうか?

私は気づかなかったし、自分の思うようにやっている気になっていたけれど、随分気にしていたんだなとわかった。

なんならそれしかできていなかった。


由佐美加子さんの『ザ・メンタルモデル ワークブック: 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト』もワークをする度にどれだけそこを怖れたり、痛みを感じてきたのかに愕然とした。


由佐さんの世界に触れて、自分の内側を見ていくと、怖れや痛みの回避に人生を使ってきたんだと痛感する。
でもそれは無意識だから簡単には気づかない。

youtubeチャンネル『社長!今日も斬らせていただきます』で由佐さんが社長さんを紐解きしています。

痛みの回避行動ばかりになってしまう仕組みがわかりやすいので、良かったら見てみてください。

不快感情や不本意な現実、誰かに対する不満などを見ていくとそこに気づける。

そういう意味でも自分につながって、
それはなぜそう感じるのか
それは何を大切にしたいからなのかを問いかけていくといいなと思う。

私はパニック障害で今電車の乗ることが怖くて、本当にたまにしか乗ることができない。

そのせいで出来ないことや大変なことが在って、残念だし、そんな自分を責めてきたけれど、今はそこを受け止め、感じることで自分の願いを貯めている。

そしてそこに在る怖れも在っていいよと受け取るチャレンジもしている。

またレンタサイクルに出会ってから、実家にも土手の四季や風を感じながらサイクリングする豊かさを味わっている。

自然の中に居ることで安心や満たされる自分に気づけた。

また知らない街をじっくり眺めたり、途中で気になるところに立ち寄る楽しさも味わっている。

願いから離れても、そこにも体験や感じること、気づきが待っているよと思う。

これからも目的地に着くことではなくて、旅の途中を楽しむことを大事にしたいなって思う。

そこで出会うもの、そこで自分が感じることを味わっていきたい。


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