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お酒との付き合い ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 祖父は、経営していた事業所の近くの居酒屋で昼間からお酒を嗜んで、取引先の方々とビジネスの話をしていたそうです。半端ない量を呑んでいたようで、晩年は、身体を壊した程でした。古典的なお付き合いの仕方だったのだと思っています。

 父は、若い頃、祖父のそのようなお酒の呑み方に批判的だったそうです。大組織の中で世界的な仕事がしたいと、祖父の事業は父の弟に譲り、外資系企業で秘書を長く努めました。そして、面白いことに、結局は定時以降、行きつけの大衆鮨屋で、ほぼ毎晩、部下や、取引先の方々とビジネスの話をしていました。やはり晩年は、身体を壊してしまいました。

 私は、若い頃はお酒が呑めませんでした。しかし、入学した大学は、呑む友人や先輩後輩が多くいました。呑み会を断る理由として、車や二輪車で通学していました。しかし、精神的に極めてキツイ出来事が有り、屋根の上で日光浴しながらビールを呑み始めました。とても気持ちよく、精神的安定を取り戻すことができました。それ以来、お酒とは長く付き合わさせて頂いております。祖父、父同様、夜は頻繁に色々な方々と飲食を共にさせて頂きました。祖父、父の他界した年齢と同じ年齢になりましたが、お酒と体調とは上手く折り合いが着いているようです。

 私の子供たちは、個人競技のアスリートからなのか、余り量は呑みません。ですが、余り知られていない現地のお作法でアジアのお酒を楽しむ程、色々な種類のお酒をスマートに、文化として楽しんでいます。私に比べてとても進化した付き合い方で、見習いたいと思う程です。

 どうあがいても、お酒とは、お付き合いさせて頂くようです。

蛇足
当たり前で、陳腐ですが、やぱりお酒は文化かと。

 

 

 

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