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#7 知能検査から5ヶ月。

検査を受けて自分のIQを知ってから5ヶ月。

その間、私は自分が知らなかった自分を知るために、とにかくたくさんの情報を集めた。数十冊の本を読み、ネットや動画の情報などにもくまなく目を通した。そして、会話の中で意図せずIQ148だったことを思い出した親友(『#6 親友は超絶な高IQギフテッドだった。』参照)とのやりとりから互いに気づきを得て、それぞれが自身に対しての理解を深めていくという日々だった。友人との会話は雑談よりもセラピューティックで、親友の存在と彼との会話は、私の癒しを後押ししていると思う。


(ちなみに友人は、自身のIQの高さは学生時代から知っていたが、私とこのトピックについて話すようになるまで日々感じてきた生きにくさとの因果関係には気づいていなかった。彼と私との気づき方の違いについては別の時に。)




初めの3ヶ月間、私は文字通り毎日泣いた。

本を読みながら、自分の特性を一つ一つ知り、全くその通りだと納得を繰り返す日々。その特性は「私は何かがおかしい」と自分を責め続けた原因そのもので、これらの情報に45年間たどり着けなかった(というかそもそも当時は情報がなかった)ことへのフラストレーション、その間に経験してきた苦しみの記憶が蘇り、ページをめくりながらとにかく泣いた。溜まっていく一方だった自責の念や日々感じてきた違和感などを、涙と共にとにかく自分の内側から外に洗い流す必要があった。


この間に私が気を付けていたのは、「自分に溢れ出る感情や涙を我慢させないこと。思いを否定をしないこと。」だった。


我慢や否定は、これらの「誰にも理解されない、自分自身にも理解できない見えない特性」(=私は何かがおかしい)を理由に私が何十年間も自分に強いてきたものだった。現在の私は、「そういった特性があるという事実」を受け入れる段階にいるわけで、自分の特性も能力も不器用さも、そのまま全てを肯定したいと思った。




新たな情報と感情と思考の整理。

毎日とにかくこれを続けていた。当時の私は数ヶ月前に大きな手術をした後の回復期で、さらに次の手術も控えており、仕事は家から自分のペースでできるものだったため、自分の内面に向き合う時間と空間の融通がついた。

驚きと同時に「やっぱりそうだった」という納得、幼少期から抱えていた疑念や感覚は間違っていなかったという驚き、時間を無駄にしてきたというやるせなさ、誰にもわかってもらえなかったという悲しみや怒り、フラストレーション。たくさんの感情はいくらでも噴火するように溢れ出てきた。それでも、3ヶ月もすれば少しずつ落ち着いてくるだろうとどこか冷静に分析していた自分もいた。




実際は、そう簡単なことではなかった。

それでも、苦しみが思い出され感情も涙も溢れ出して止まらないというフェーズは、3ヶ月のピーク時を過ごしてからから少しずつ落ち着き始め、結局は5ヶ月ほどかかった。しかし今思うと、5ヶ月というのは十分に早いスピードだったのではないかと思う。それは、自分から溢れ出てくるものを否定せずにしっかりとその感情を感じ切ろうとしたこと、さらに自分では受け止めきれないほどに溢れて決壊した時には、この思いを理解してくれる友人(『#6 親友は超絶な高IQギフテッドだった。』)がいてくれるたことがとにかく大きいかったと思う。


5ヶ月が経った時に色々なことがスッキリ整理されたかというと、実はそうではなかった。感情のわかりやすい浮き沈みは落ち着いてきたものの、今度は冷静になった分現実が見えてくる。これまでは、「過去」の苦しみや記憶が溢れ出して涙にかわる段階だったのだろう。もしかしたら、ここからが本当の意味での受け入れのスタートなのかもしれなかった。



また、4ヶ月目に入った時期に読んだ一冊の本から新たな気づき、発見があった。それは私のメンタルの別の部分を直撃することになった。



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