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#6 親友は超絶な高IQギフテッドだった。

私が、発達障害の疑いから知能検査を受けたのは5ヶ月ほど前のこと。

結局私は発達障害ではなかったのだが、自分が高IQで、これまでの生きにくさ、苦しみはこれに起因するものが多々あることがわかった。


これまでに、私は自分でも知らなかった自分の特性を知り理解するために、とにかくたくさんの本を読んだ。高IQやギフテッドに関するものに限らず、境界知能についての本など、高低に関わらず知能に関するもの、特に特性や生きにくさについて書かれているものは手当たり次第に読みこんだ。

そして、特に最初の3ヶ月は、精神的な揺れがとにかく大きかった。本やネットなどから「まさに私のことだ」という情報に出会い、理解を進め自分をより知ることと同時に、どうしてこれまでこの情報に辿り着けなかったのかというやるせなさや、幼少期からの苦しみや辛さが波のように襲ってきて、私はそれらを消化するためにも、とにかく我慢せずに泣きたいだけ泣いた。この精神的な揺れは、ギフテッドによくあるOE(Overexcitability 過度激動)のせいでもあったのだろうと思う。



そんな状況で本当にありがたかったのは、遠方に住む親友の存在だった。



親友とは、引っ越し先の某国の初めての職場で出会った。
元同僚の彼とは、かれこれ20年近い付き合いだ。

出会った時から、とても話しやすい人だった。そして、どんな話題でもOKな人だった。

コロナ以降、彼は今も自宅勤務を続けていて、さらに時間の融通がきく業務形態。これは私にとって非常にありがたいことで、日本とは7時間の時差がありながら、すぐに話を聞いてもらえたり時間を取ってもらうことができた。特に知能試験後の3ヶ月は、とにかく彼のおかげでなんとか乗り越えられたと言っても過言ではない。



彼の賢さは、出会った頃から明確だった。
彼と出会った職場は、ITセキュリティーの世界的大企業だった。私たちはそのシステムを作るエンジニアの部署にいて、そこは天才・秀才の集まりだった。

(余談になるが、この職場で出会った人たちは、穏やかで、人間性に優れた人が多かった。また天才集団と言っても学歴はバラバラで、専門学校卒の人もいればケンブリッジ・オックスフォード両校を卒業していたり、博士号を持った人たちも大勢いた。しかし、出世に学歴は関係なく、実力主義なところは外国のIT企業らしさで良い点だった思う。

ちなみに私はITのバックグラウンドはないが、当時日本のマーケット拡大のための日本人データアナリストの枠があり、そこに就職した。私に取って幸いだったのは、その会社が田舎にあり、日本人ライバルがほとんどいなかったこと!これが私が天才集団に紛れ込んだ理由で、これは謙遜でもなんでもなく事実です。苦笑)




私の友人は、そんな尊敬できる人々の一人で、間違い無く私よりも賢い人だった。そのため、彼のIQの高さは数値がなくとも明確だったし、私のスコアがわかった今、彼の数値はそれ以上だろうということは容易に想像できた。

検査を受けた後に私が収集した情報は、彼が彼自身の特性を理解するにも役立ち、しばらくの間私たちはこの話ばかりをしていた。そんな中で記憶が刺激されたのか、昔大学で受けたという知能テストの数値を彼は不意に思い出したのだ。



IQ148。


それが彼のスコアだった。




賢く数値はきっと高いだろうとは思っていたが、それにしてもそんなに高かったか!


私の数値などはるかに超えた、超絶ギフテッドだった。



ちなみに、彼は私のようなアンダーアチーバーではなく、幼少期からしっかりと結果を残してきたタイプだ。東南アジア出身の彼は、16歳でその国のトップ大学に入学し、その中でも特別クラスに召集された正真正銘のギフテッドだ。その後、ITエンジニアとして日本・シンガポール・イギリスを含む様々な国で働き、現在はスイスの銀行のIT部門にいる。


私の慰めのために始まった会話は、いつの間にか互いのギフテッドとしての生きづらさを共有したり、それぞれの特性の理解などに広がっていった。




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