自己嫌悪と自己肯定

もうすぐ誕生日を迎えて22歳になる。だからその前に,21歳の今現在の自分自身について軽くまとめたくなって今書き出している。

大学3年の後期末試験週間真っただ中で,私といえば勉強も継続しつつ好きな人と過ごす春休みに思いを馳せ,久々のダイエットを敢行している。

好きな人のことで頭の容量を奪われるのは若干癪でもあるが,彼のおかげで勉強やダイエットのモチベーションが上がっているのは紛れもない事実であり,鬱っぽくて落ち込みやすい私がこの1年なんとか抗うつ剤に頼らず生きてこれたのも少なからず彼のおかげである。

自己嫌悪人生

これまでずっと生きてきて,他人と異なる点の多い,劣った自分自身がずっと嫌いだった。風変りさは強みにもなるけれど,日本社会の集団生活至上主義でははみ出し者はなかなか許容されない。それに相まって自分の醜い風貌も心に影を落とし続けた。他人から容姿で評価されるということ,醜い外見のもたらす不利益を幼い頃から味わい,傷ついた。疎外感と劣等感と孤独感,これらをやり過ごすことにとてつもない心のエネルギーを奪われ,エネルギーの枯渇した心はますます自分自身を嫌う方向に向かっていった。私のことを励まそうとしてくれる人の優しさに対し,『それでも本気であなたは私になりたいと思わないでしょう?』と穿っていたし,私のことを好きと言ってくれる人の愛情には『こんな私が好きだなんてあなたはなんてセンスがないの』と勝手に失望した(所謂,蛙化現象)。

近年の社会現象としての自己愛ブーム

大好きだったbtsが2017年~2018年にLove Yourselfという正規集をリリースしていた頃,自分を好きになるだなんてそんな崇高な理想論をでかでかと掲げるなんて綺麗ごとすぎる,ちょっとナンセンスと思っていた。だって,いくら大好きなbtsに言われてもそんなこと絶対に無理だ。一生かけても自分のことなんか絶対に好きになれないと思っていた。それにボディポジティブもなんだか極端で受け入れられなかった。ボディポジティブを唱えている人間に限ってめちゃくちゃ細いか太いか両極端なことが多くて,なんだか自己肯定のために声高に言い訳しているようにしか聞こえず賛同したいとは思えなかった。

自己嫌悪の結果

そこで少し私の自己嫌悪について考えてみた。そもそもどうして人は自己嫌悪に陥るのかといえば,それは現状がうまくいっていないときだ。これまでの人生,マクロで見れば比較的成功してきたかもしれないが,ミクロで見れば圧倒的悲劇の連続だった。何か不都合で不合理な現実に直面すれば,原因を自分自身に見出すことになる。思い通りにいかない問題に歯痒さを覚えつつも,それらは全て自分自身のせいであると思ってしまう。挫折や絶望を何度も味わい続ければ,確かに私は自己嫌悪から抜け出すことなくむしろ悪化させたのも自然の成り行きだと思う。過去の自分を一切責めたいとは思えないし,辛い八方塞がりの中,よく耐えて頑張って生き抜いてきたと思っている。

ただ,自分のことが嫌いだと結構な弊害がある。何を着てもどんな格好をしても自分に似合っていると思えないし,他人からの誉め言葉も素直に受け取れない。何をやっても自信が持てないし,他人がいつも羨ましい。他人と自分をいつも比較してその差に落ち込み,塞ぎ込んでしまう。何もこれだけではないし,これらの感情そのものが悪いというわけではない。ネガティブな感情を原動に立ち直って前向きに頑張ることができれば何も問題はないが,私の場合そこで立ち直れないままなのだ。自分はまたこうもダメなんだ,と下方向に落ちたままなのが生き辛さになった。

ニュートラルな自己肯定

ところが最近の自分は少しだけ,ほんとに少しだけなのだがその根深い自己嫌悪が治った気がしている。どうやら自己肯定感が育ちつつあるようだ。私はダメダメだけど,それでも日々なんとかもがいて頑張っている。不器用で勉強も全くうまくいっていないけど,他人を笑わせているときの自分はやっぱり面白い。太っていてもなんだかんだ生活に幸せを感じれる瞬間がある。めちゃくちゃ先天的ブスだけど今の私にはかけがえのない若さという武器が備わっている。お金も体力もないけど,それでもなんとか生きてる。喪女で全然出会いもないのに正直モテてるし。相変わらず全くダメだけど,こんな風に人生を必死に生きている今この瞬間の自分のことを認める自分自身が生まれた。そしたらどうやら,ちょっと楽になった気がする。

ひょっとすると,自分のことを好きになるとか愛するということと自分のことを認めて肯定することは別物なのではないかと思う。というか,これまで自分も混同していたのだが圧倒的に後者の方がハードルは低い気がする。難しいことは分からないけれど,自分の過去と自分の今の姿を自分で認めたらなんだか素直に,ニュートラルに自分のことを見れるようになった気がする。

『今ここ,この瞬間の自分に目を向ける』というのはマインドフルネス的な思考だが,多分その影響もあるかもしれない。マインドフルネスは今後も積極的にやっていきたいところである。

これまでの私のように自分が大嫌いで仕方なくて生き辛いという人は少なくないと思っている。だから,好きにならなくても良い,これまで頑張ってきた自分自身を労っていたわってください。あなたは生きてて本当にえらい。何にも知らないくせによく言えるねと思われるかもだけど,この超ハードモード現代社会で生きることが簡単な訳がないのだから。生存者のあなたはとても偉大。誰も自分のことなんか見ていなくても,どうか自分だけは自分のことを見てあげて。

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