子育てを後悔した時のこと
Lilyです🕊
初めましての方へ、私のプロフィール です。
スピリチュアルな意識を通じて、自分が持ち合わせている「厳しさ」に薄々気付き始めたところで、娘の子育てについても振り返ってみた。
厳しい自分に気づいた経緯はこちら↓
娘は近頃、日課になっていたピアノの練習を嫌がるようになっていた。練習は毎朝、朝食後だったはずが、夕方保育園から戻ったらやる。夕飯食べたらやる。お風呂から出たら必ずやる。後回しにして最後の最後寝る前になって、もう眠くて無理と泣き崩れる日々。私も寄り添って練習に立ち会いサポートしていたつもりだが、無理してまでピアノを続けさせる理由もない訳で、「もうピアノ辞めようね」と度々口にしてみるものの、「イヤ、辞めたくはない」と。「じゃ、練習しないと上手になれないし、頑張ろうね」の繰り返し。
ついに昨日になって、いつもと違う理由を述べ出した。「ピアノは好きなの。でも私は上手に弾きたいのに弾けないから嫌なの。」なるほど。「どうして上手に出来てないと思うの?とってもよく弾けていたよ。」洗い物をしていた父親も、参戦。「そうだよ、とっても上手だって、この前先生も言ってたじゃないか。」涙する娘に全力のエール。
私「パパもママも上手に弾けてると思ってるよ」
娘「イヤ、弾けてない」
私「じゃ、パパとママは嘘で上手と言っていると思うの?」
娘「パパとママは嘘をついている。私は縄跳びも何にも上手じゃない。何にも出来ない…涙涙涙」
これは予想以上に重大なことになっている。彼女は自分に自信を無くして、息詰まっている。そして、それは私たち両親に責任がある…。
私は過去に反省すべきことをしてしまっていたことを思い出す。友人の娘さんがピアノの発表会の動画を見せてその子の出来栄えを褒めてしまい、プレッシャーを与えてしまった。また心の中では、なかなか上達しない娘にもどかしさも感じていたのも事実だ。ピアノを習ったことのない旦那氏もさすがにそのスローペースに気づいており、練習を拒む娘に対して、「センス無さそうだから、そろそろ辞めて、他の習い事やってみたらどう?ピアノが無くなったらリビング広くなるし」くらいの嫌味も本人の聞こえるそばでしていたのだ。
私は、繊細で神経質な娘に対しては、言葉を選んできたつもりである。早生まれの娘と、器用に何でもこなせる4月5月産まれで気質もポジティブな子たちとは極力比較しないように、意識してきたつもりだ。だが、事実欠点ばかりが目につく私に、彼女は騙されていなかった。私の言葉と心の相違に彼女は気づくだけの繊細さも持ち合わせていた。追い討ちをかけるように、モラハラ気質の旦那氏の鋭い言葉が、まだまだ小さい彼女の心を傷つけていたに違いない。
ピアノは練習しなければ、上達しない。習うからには練習しなくてはいけない。ピアノも買ってあげたんだし、月謝もバカにならない。こうして時間を割いて練習にも付き合ってる。だからやりなさい。頑張ってみなさいと。母親である私は、サポートすべきだし、レッスンの進捗も含め監督する責任があると。
そこには、非常に厳しい自分がいた。しなければならないことなんて、本当はそんなにないのに。責任感を背負い込み、こうあるべきという、勝手な信念で、他人にも、一番傷つけたくない娘にも心の中で攻撃をしている自分がいた。言葉にこそ出していなかったものの、エネルギーで何もかも伝わっていたのだと思う。母と娘の関係は特別であるとも学んでいる。彼女を苦しめたくないから、何としても自分が変わらなくては。まずは、頑張らない。自分を否定しない。他人を責めない。
色々と手放すべきことがある。もっとゆるく生きていこう。
愛をこめて、Lily
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