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母が、私の中に生きている

5月。どうかこの陽気が続きますように、と願うほどに心地が良い。

だけど私の体は、寝つきが悪い上に浅い眠りしかとれず、疲れが残っている。そんな体で仕事に行くのもつらく、帰宅したら夕食も食べずに横になってしまうことが多くなってきた。
これはまずいと思って体を起こそうとしても、お風呂に入るのがやっと。
これが五月病ってやつ?と思っていたが、ふと思い当たることがあった。

過去を振り返ることで閉じ込めておいた記憶が蘇ってきて、ふだんなにか考え事をしていると、母の声で全てを否定されているような感覚に襲われているのだ。これに一日中付き合っているので、そりゃあ疲れる。

母は、私を否定するのが本当に得意だった。
「あんたは絶対何かやらかすよね」
「もう何もさせたくない、ずっとお母さんの見えるところにいなさい」
「あんたのそういうところ、お父さんにそっくりで見たくない」
これを物心ついた時から今日に至るまで言われてきた。私がよその子と比べて特別に不出来だったわけではないように思う(あくまで主観です)が、子どもなので失敗することもあっただろう。迷惑をかけたかもしれない。
それでも、と思う。自分の子どもが失敗したとき、私は果たしてその子にこんなことを言うのだろうか。母が私にしてきたことは、どうしても正しいと思えないのだ。

大人になった今でも、母の声が頭の中に響いてくる。彼女は近くにいないのに。それは恐怖だ。染みついてしまっている。
呪いは、母の元を去った今でも解けていないのだ。

あの人が死んだら終わりじゃないんだ。
私の中に、母が、生きている。

こないだ自分が書いたものを一通り読んで思ったことは、私はnoteを始めた時からあまり成長していない、ということ。それは、母のみが私との間に境界線が引けていないと思っていたけれど、私もまだ母との間に境界線を引けていなかったから。いや、本来あるはずのそれは、私の中に生きる母が私に見えないように、私がそれに気が付かないようにと隠してしまっていた。

最初は「自分を取り戻したい」という目標を立てていたが、今、それはかなり困難なことのように思える。そもそも自分自身が何かをわかっていないのに、それを「取り戻す」というのは無理がある。「もう一度構築していく」というほうが正しい。
それには専門家の手を借りないといけないのかもしれない。

私が母に、昔のあの出来事が嫌だったよ、傷ついてるよと話すと、
「昔のことをべらべらと…よく覚えてるね。そういうことは全部水に流すのが大人じゃない?」
と返ってきた。もしかしたら、この世にはそういうことができる人がいるのかもしれない。でも私には無理そう。親を心から恨むこともできず、水にも流せず、同じところで泣きながら足踏みをしている感覚がある。

週末、いよいよカウンセリングに行ってみようと思う。






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