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カウンセリングに行ってみた

土曜日の昼下がり、私はめったに来ない駅に降りたち、A7出口を探していた。東京に来て初めて知ったことだけれど、この出口を間違えるとかなり遠回りすることになる。そして知識がなくとも、最適解はいつもGoogleマップが教えてくれる。
まだ5月も半ばだというのに、おもての日差しは夏そのものだ。

どこにでもあるようなビルのエレベーターに乗り、目的の階の数字を押す。
今日、何を話そうか、メモをした方が良いものかなど考えたが、いやいやありのままぶっつけ本番で行ってみよう、そのほうが本当の自分が見えてくるんじゃない?とも思いながら、気がついたら受付に保険証を出していて、言われたままに心理検査を受けていた。

心理検査をしてしばらく待ち(覚悟しておかないとかなり待ったと思ってしまうかも)、名前を呼ばれ別室に通された。
部屋に入るとすぐに、いかにも「お話聞きますよ」というふうな女性が出てこられ、私は安堵した。その人に、できるだけ今までのことをありのままに話した。淡々と。彼女は心地よいタイミングで相槌をうってくれた。
モヤモヤが溜まってしまい、悩んで眠れないことについても話したら、お薬を処方していただけることになった。

要約すると、人間は成長の過程において、心のプログラミングされるらしい。それに影響を与えるのが親をはじめとした家族だと。私は、親からの影響でプログラミングのコードが人と違う状態のまま定着し、受けた情報を誤って解釈するようになっているそうだ。 
”まとも”な人間になるためには、もう一度プログラミングをやり直せばいいとのこと(そんなこと本当にできるの?!と思ったが、可能らしい)。

人に話を聞いてもらうということは、自分の頭の中を整理する作業だ。自分を俯瞰的に見ると「あ、私、異常だったんだ」と冷静に思うことができるようになった。
これからはカウンセリングに通い、自分に合う心理療法を試していきましょうね、というのがその日の結論だった。

救いを求めていたわけではないけれど、専門家に話を聞いてもらい、
「今までよく頑張ってきましたね」
と言われることで、私はかなり救われた。ああ、もう頑張らなくてもいいんだなあと、月並みながらそんなことを思った。冷静でいようと思ったけれど、最後にちょっとだけ涙が出た。
そして、被害を受けたことを言い訳にして、いつまでもぐじぐじしていることが嫌になった。

カウンセリングに一度行ったからと言って、何が変わるわけでもないのは分かっていた。でも、私はまだ生きるつもりである。仕事をして結婚をして子どもを産んで、落ち着いたらペットも飼って趣味でお茶をやりたいという夢がある。死はいつか必ず迎えに来てくれるから、それまではやりたいことをやって過ごしたい。
これからの人生が少しでも良くなりますように。
一歩踏み出してとても良かったなあ。
帰り道、家の近所のお気に入りのベンチに腰掛け、三ツ矢サイダーを一口飲んだ。もうすぐ夏が来る。

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