吉本ばななとケンブリッジ大学バタフライ事件
これは私が中学2年生だった頃。2度目のモスクワ滞在での話。
モスクワの自宅の片隅に転がっていた、ある一冊の本を発見しました。チューリップの絵が可愛らしい表紙には日本語で「キッチン」と書かれていました。
作者の名前は「吉本ばなな」。この日本を代表する作家は、さやおの人生において長く影響を与え続ける人物になります。
さて、「キッチン」は父マサミが購入した本のようでした。
なんの気なしにページをめくるとすぐにのめり込み、気が付いたら最後の奥付までたどり着いていました。シンプルですが瑞々しく滑らかな文体と、喜怒哀楽を余すところなくすくい上げた繊細な物語に、頭が吹っ飛ぶほどの衝撃を受けました。
天才だ。
この人はきっと日本の文学史に昂然と名前を刻む大小説家になる。それこそ夏目漱石や樋口一葉ら文豪と並び称される存在になるぞ。
奥付には彼女の略歴として出身大学が書いてありました。その時、私は「日本大学って親からはバカでも通える大学だって聞かされていたけど、日本大学の芸術学部文芸学科はこんな天才を育てたんだから、ひょっとしてものすごいところだぞ」と、ずいぶんと失礼な感想を抱いたものでした。
それからは彼女の著作を読み漁る毎日。本の類は頼めばいくらでも船便で送ってもらえるのをいいことに、既刊本のほとんどを入手しました。日の入りが遅く、昼が長いモスクワの夏は読書にうってつけで、思春期の私は唯一の娯楽といえるその行為に夢中になっていきました。
夏休みに突入し、ケンブリッジ大学のサマースクールに通う日がやってきました。全寮制で約1ヶ月の間、英語を学びに世界中から集まってきたクラスメイトたちと生活を共にします。香港がイギリスから中国へ返還されてちょうど2年が過ぎた頃で、そのせいなのかはよくわかりませんが、クラスメイトには日本人の次に香港人が多かったように思います。彼女たちが話す広東語の訛りが残る英語はなんとも可愛らしく、私の1999年夏の思い出に強く残っています(彼女たちは拙作「ブルーローズの花言葉」のヒロイン・サリーのモデルになりました)。
私は寮に入る時も吉本ばななの「アムリタ」を持参し、就寝前のわずかな時間の読書を楽しんでいました。
そんなある日、いつものようにベッドに横になり、時間が経つのも忘れて「アムリタ」を読み耽っていると、何かの影がスタンドの前を横切りました。ついに幽霊が出たかと焦って(イギリス人はどーいうわけか幽霊が出ると喜ぶ)ふと右横の白い壁に目をやると、そこにいたのは、見たこともない巨大な蛾!
ぎゃあああああああああああ
なんで? どうしてこんなでっかい蛾が!?
日本ではまずあり得ない状況に頭がパニック!
慌てて窓の方を見やると、ルームメイトの香港人の女の子が、暑かったせいかそばにある窓を全開にしてぐっすり寝ていました。イギリスの窓は、これまたどーいうわけか網戸が貼られていないので、私が点けていた読書用スタンドの光に誘われてでっかいバタフライがフリーパスで部屋の中にグッドイブニングしてきたわけですね。
おおーう、どうしたことか。
持ってる本で叩き落としてグッバイフォーエバーするか?(乱暴な発想)
いやいや、殺生はよくない。日本語でもいうじゃないか、そう、一寸の虫にも五分の魂、そう、虫にも人間と同じソウルがある。ウルトラソウルはB'zの曲。
かといって素手で窓の外へバタフライちゃんを追い払えないチキンな私。BUMP OF CHICKENは日本のバンド(もういい)。
とりあえず窓は閉めて……いやいや、暑いから開けたんだろうし、不用意に近づけば眠っている彼女を起こしちゃうかもしれない。緊急事態とはいえ、いくらなんでもそれは申し訳ない。大体にして就寝時間をとっくに過ぎても本を読んでいた私にも非があるし……。
なす術もない私は結局、バタフライの襲撃を恐れて頭から布団被って無理やり寝ました、真夏なのに。
翌朝、深夜に加わったもうひとり(正確には一羽?)のルームメイトはすっかり退出したようで、後には布団からうっかり飛び出させた足を蚊に刺された私が残されましたとさ。めでたしめでたし。またイギリス行きたいな。
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