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徒然草より 〜旅はこころのシャワー〜


こんにちは、まりもです🚌

明日から一週間ほど、熊本と福岡にお出かけして来ます。


どちらもお隣さんなんですが、
今までゆっくり見ることが無かったし、
2年9ヶ月ぶりの県外なので本当楽しみです✨
(ただコロナが増えてるので、
感染対策もしっかりしていかないとですね🚰)

昨日、トラベルバッグにあれこれ旅行グッズを詰めていたら
ある文章が思い出されました。


今日のテーマ、
吉田兼好さんの「徒然草」(つれづれぐさ)です。

徒然草というと授業で必ず習う序段、

つれづれなるままに、日暮らし硯(すずり)に向かひて、

心にうつりゆく由なしごとを、そこはかとなく書き付くれば、

あやしうこそもの狂ほしけれ。
徒然草

が有名ですよね。

ですがこの序段以外にも
現代にもしっかり当てはまるような思想や皮肉をたくさん述べています。
とても700年前の鎌倉・南北朝時代に書かれたものとは思えないほどです。

私が旅行の準備をしながら思い出したのは、
序段ではなく以下の部分。

いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ目覚むる心地すれ。

その辺り、ここかしこ見歩き、田舎びたる所、山里などは、
いと目慣れぬことのみぞ多かる。
都へ便り求めて文遣る、「その事かの事、便宜に忘るな。」など言い遣るこそをかしけれ。

さやうの所にてこそ、よろづに心遣ひせらるれ。
持てる調度まで、よきはよく、能ある人・かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。

寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。
徒然草 第十五段

現代語訳:
どこでもよい、ちょっと小さな旅をすると目が覚めるような新鮮な気分になるものだ。あちこち見て回ると、自分の住んでいる所とはずいぶんと違うものだと改めて感じさせられることが多い。

そんな旅の思い出が、残してきた家族への情愛をかきたてて、「ああしろ、あれを忘れるな。」などと、気配りの細かい便りを書かせるのだ。

楽しい旅の中では、何にでも心配りが細やかになってくる。
携帯品まで引き立って見え、才能ある人や美しい人などは普段よりいっそう素晴らしく見えるものだ。
遠く離れた寺院や神社などに誰にも言わず出掛けて、泊まりがけで祈願するのもなかなかいいものだ。

※現代語訳は角川ソフィア文庫「ビギナーズクラシックス日本の古典 徒然草」を引用させて頂きました。


以上、
徒然草の第十五段の文章です。

私が初めてこの文章を読んだのは2019年の夏、
当時姉が住んでいた東京に旅行する前でした。

2019年というと、令和に改元された年。
ちょうど万葉集に再開して古典にハマっていた私は、
徒然草にも手を伸ばしてみて、
読みやすそうな文章を選んで読んでいました。

旅行に行く前だったからか、
この文章がやけに刺さったことを覚えています。
言いたいことめっちゃ分かる!!みたいな。笑

特に、

都へ便り求めて文遣る、「その事かの事、便宜に忘るな。」
(そんな旅の思い出が、残してきた家族への情愛をかきたてて、「ああしろ、あれを忘れるな。」などと、気配りの細かい便りを書かせるのだ。)

の「手紙を書く」ことは、今も全く同じことをしますよね。

今は手紙を書く代わりに
LINEを使って家族や友達に旅行の写真を送ってみたり、
今日はどこに行った、何が美味しかった、絶対一回はここに旅行した方が良いとかを報告したりします。

楽しい旅の思い出を人に話して聞かせたいのは、昔から変わらないんですね。


また、この段の解説では

「未知のものに向かい合う時の新鮮な心のたかぶりが、
旅の魅力であることを兼好は言い当てている。
あれこれ旅費を工面し、その挙句が疲労困憊であったとしても
旅が心の垢を落とす意義は変わらない。」


と書かれています。

自分の住んでいる所とはちょっと違う土地にお邪魔するだけで、
日常から少し離れ、心は浮き立ちます。
いつもと違う方言、街の風景、風の匂い。

旅で感じる全てが心に新鮮な風を通し、
日常のありがたさや家族への愛情を再認識させるんですね。

こんなことは徒然草を読むまで考えもしませんでした。
名文を遺してくれた兼好さんに感謝して、
明日からの旅行を楽しみたいと思います。


長くなりましたが、ここまで読んでくださって
ありがとうございました♪
良ければまた遊びに来てくださいね✨
それでは!


22/11/27   まりも

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