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『敵は、本能寺にあり!』 【第二章『桔梗咲く道』】 第六話『機を見るに敏』

 ―1565年―
 傀儡かいらいには下らず直接統治にこだわる将軍 足利 義輝あしかが よしてる桎梏しっこくと感じる三好みよし氏は、清水寺参詣さんけいを名目に集めた一万の軍勢を率い、突如として完成間近の二条城に押し寄せる暴挙に出た。

 義輝よしてるが暗殺されたのを機に、其の弟 義昭よしあきは興福寺(奈良)幽閉される。
そんな義昭を“次期将軍に”と推す義輝の旧臣  藤孝ふじたからは彼を奪還し、越前えちぜん(福井北部)大名家へと亡命。
其れは偶然にも、浪人となった光秀が保護を許された“朝倉家”のもとであった――。

 光秀は越前の地で十余年、妻 熈子ひろこが髪を売ってまで金を用立てる程、裕福とはとても言えない境遇で、浪人となって尚随従ずいじゅうしてくれる従弟いとこ左馬助さまのすけと共に暮らしている。

 そして名も無き光秀と、名を成し始めた信長は、互いの運命に引き寄せられるのだった――。

 ◇

足利あしかが家では、家督相続者以外の子息は仏門に入る。私も慣例に従い三歳で出家。仏道に帰依きえし、三十年――。還俗げんぞくし将軍を志すなど夢にも思わなんだ道じゃ」
亡命当初は将軍職に対し消極だった義昭も、兄の旧臣 藤孝ふじたか晴門はるかどらと語り合う内に、沸々と野心めいた物も湧き上がる。

「どうにかして京に戻らねば、何もはじまりませぬ」
亡命先の朝倉家当主 義景よしかげに、藤孝と晴門はるかどは何度も懇願。
将軍を暗殺した三好みよし氏が京で盛勢し、義昭が上洛じょうらく(京入り)きる状況に無い為、妨害する三好氏とのいくさを朝倉家に求め続けているのだ。
対する義景よしかげはいつも、のらりくらりとかわすのみだった。
困っている人を放っておけず手を差し伸べては、悪意に捕まり優しさを利用されがちな彼だが、几帳面さが禍いして日和見な態度を取る事も多い。

 ◇

 思い通りにいかない藤孝は、越前での長引く亡命生活に嫌気が差していた。そんな彼が喜楽を感じられるのは、寺で光秀と話すひと時だけ。
歌道の奥義“古今伝授”を受ける程の才ある藤孝にとって、和歌や連歌・茶の湯にも教養深い光秀は、都から遠く離れた地で唯一気の合う話し相手――、そして次第に良き友となっていった。

 信長の正室 帰蝶きちょうが光秀の従妹いとこだと知った藤孝は、友を利用するようで心苦しさはあるも、窮余の策として光秀に泣きつく。

「帰蝶様を通じて、信長様に上洛戦を頼めぬか。美濃みのを治め勢いに乗る信長様なら、きっと叶えてくださる!」

 友の辛労を見てきた光秀は、常々力になりたいと思っていた。しかし帰蝶をまつりごとの道具にしたくはない。苦慮し返答に困る光秀に、藤孝は畳みかけるように甘言。

「上洛し幕府再興の暁には、光秀殿を幕臣ばくしんに迎えいれたい」

 ふと、妻 熈子ひろこの顔が脳裏に浮かぶ――。
共に流浪を余儀なくさせた煕子には、朝夕の食事にも事欠く程の苦労を掛けた。文句も言わず支え続けてくれた妻に、願わくば楽をさせてやりたい。
共に浪人となり越前へ連れて来た左馬助さまのすけの為にも、寺子屋の師匠や薬師くすしではなく、武士に返り咲きたい想いはある。ましてや将軍を直接の主君として仕える武士――“幕臣”になれるなど、思いがけない幸甚の至り。
無論、帰蝶を思いながらも、綺麗事だけでは食い扶持を繋げない光秀は、悩んだ挙げ句首肯した。

 ◇

 帰蝶の取り計らいにより、信長のもとへと義昭の動座が決まる。義景よしかげが慌てて止めようとするも、願いをかわし続けた三年の溝は余りに深い……。

 風にそよぐ万緑の稲穂の間を抜け、“将軍候補”義昭が越前から遠のいてゆく姿を、苦々しく見送るしかなかった。



“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。
この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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