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『敵は、本能寺にあり!』

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“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。 戦国最大のミステリー“本能寺の変”の『真実』と、信長の隠し子が辿る戦乱の世の悲しき運命……。 幾つ屍を越えようとも、歩む道の先には骸の山が…
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#義昭

『敵は、本能寺にあり!』 第二十三話『消せぬ因縁』

『敵は、本能寺にあり!』 第二十三話『消せぬ因縁』

 妻 煕子の献身的な看護により、光秀は一命を取り留めた。
しかし、末枯れた木の葉舞う杪秋――、今度は 煕子が病に倒れ、流浪時代から力強く支えてくれた愛妻は、天に召された……。

 悲しみに暮れる間も無く、年明けには丹波攻めを再開。藤孝と其の息子 忠興の協力もあり、丹波亀山城を落とし拠点とする。

 時を同じくして、秀吉も播磨と但馬の平定に尽力。姫路城を拠点とし、西国攻めの足掛かりは着々と作られてい

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『敵は、本能寺にあり!』 第十八話『観月の鍾愛』

『敵は、本能寺にあり!』 第十八話『観月の鍾愛』

 義昭に降伏を勧告するため、信長は『京の復興に』と朝廷へ黄金を贈り、正親町天皇勅命の講和を得る。
しかし義昭はたった三ヶ月で講和を破棄し、炎天の盛夏に槇島城で再挙兵――。
残念ながら彼は、頼みの綱の信玄が春に病死した事を知らなかった……。

 一方信長は、義昭の再挙兵を見越し動いていた。
『義昭が再び挙兵した際には瀬田の辺りで道を塞がれるだろう』と予想。
大軍で湖上移動する為、佐和山で過去に例を見

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『敵は、本能寺にあり!』 第十七話『奸計の応酬』

『敵は、本能寺にあり!』 第十七話『奸計の応酬』

 ―1573年―
 度重なる異見書に激怒した義昭は『信長討伐令』を出し、其れを皮切りに様々謀略を巡らせていく――。

 勅命講和を反故にし討伐令に応じた浅井・朝倉軍と信長軍の交戦中、“最強の猛将 武田 信玄”による家康領への侵攻――“三方ヶ原の戦い”が勃発。
信長は同時多発的な戦闘を余儀なくされる。

 義昭の策略とはいえ、信玄自身の意『勅命に違反し比叡山焼き討ちを行った信長への“粛正”』も含まれ

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『敵は、本能寺にあり!』 第十六話『廉潔の異見』

『敵は、本能寺にあり!』 第十六話『廉潔の異見』

 政所執事代理として政務に関わり始めた信長は、世が揺れる程の実態を知った。
「光秀、一体これはどういう事じゃ。将軍の密書が余りにも濫発されておるが」

「義昭様は些か依頼心が強く、常にご自身を助けて下さるのはどなたかと見定めておられます。意のままに人を利用する為なら、裏で手を回す事も、下手に出る事も厭わないような御方でして……」

「“天下の静謐”を維持する役目を担う幕府の、存立にも関わる由々しき

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『敵は、本能寺にあり!』 第十四話『金粉に塗れ雨蛙』

『敵は、本能寺にあり!』 第十四話『金粉に塗れ雨蛙』

「知っておられたのですか! では何故知らぬふりを――」
激昂する光秀に、義昭は深々と頭を下げる。

「私は晴門が怖かった……。
それゆえ、止められなかった。光秀の命を粗末にする気は無かったが、相済まぬことでござったなぁ。
だがもう詮索するのはやめておけ。
彼奴は幕府一の人脈を持ち、兄の臣下であった折から、兄を殺した三好とも深く通じておったそう。晴門が政所執事になれたのは兄と三好の力があってこそだと

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『敵は、本能寺にあり!』 第十三話『城狐社鼠の正体』

『敵は、本能寺にあり!』 第十三話『城狐社鼠の正体』

 摂津から全軍撤退し比叡山を包囲した信長は、浅井・朝倉軍が逃げ込んだ延暦寺に通告――。

『此の信長に付くならば我が領の荘園を回復してやる。こちらに付けぬならせめて中立を保て。もし浅井・朝倉方に付き、これ以上彼らを囲うならば容赦無く焼き討つ』と。

 しかし、青葉がそよいでいた山が少しずつ色づき始めても返事は無く、浅井・朝倉軍が決戦に応じる事も無かった。

 其の間、摂津では三好氏が野放図に走り、

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『敵は、本能寺にあり!』 第九話『我欲の棲む城』

『敵は、本能寺にあり!』 第九話『我欲の棲む城』

 信長の求めにより直轄地となったばかりの堺は、従来の独立不羈を守る為、矢銭要求を拒否していた。

 阿波に飛ばされた三好氏は、そんな堺の不協和に目を付け助勢を依頼。
義昭の将軍就任後、僅か十日で信長が美濃へ帰還したと聞きつけ、吹雪の京へ乗り込んだ。

「信長様、光秀より報せが! 将軍 義昭様の居られる本圀寺を、三好が包囲し襲撃との事!」

「何っ――! クソッ、しぶといわ三好!!」

「光秀は、摂

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『敵は、本能寺にあり!』 【第二章『桔梗咲く道』】 第六話『機を見るに敏』

『敵は、本能寺にあり!』 【第二章『桔梗咲く道』】 第六話『機を見るに敏』

 ―1565年―
 傀儡には下らず直接統治に拘る将軍 足利 義輝を桎梏と感じる三好氏は、清水寺参詣を名目に集めた一万の軍勢を率い、突如として完成間近の二条城に押し寄せる暴挙に出た。

 義輝が暗殺されたのを機に、其の弟 義昭は興福寺に幽閉される。
そんな義昭を“次期将軍に”と推す義輝の旧臣 藤孝らは彼を奪還し、越前の大名家へと亡命。
其れは偶然にも、浪人となった光秀が保護を許された“朝倉家”のも

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