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「循環」

こんにちは。liloの堀です。

lilo(リロ)は、「道具へのカンシャ」を世界に届ける信楽のライフスタイルブランドで、私はその代表をしています。

現在は、liloダッチオーブンという、土から生まれた無水調理鍋をメインで取り扱っているのですが、

私たちの道具作りで大切にしている要素の一つに「生活や自然の中に溶ける」という項目があります。

私たちは、道具という存在を「人間と自然の間にあるもの」と捉えており、生活や自然の中に溶ける道具に美しさを感じます。

この視点で世の中の道具を見てみると、近年、人間が生み出している道具がいかに人間側に近く、自然から離れているかを実感することができます。

この人間中心的思考で生み出された道具というのは、ことごとく自然に抗っており、長期的な視点で見ると自然世界に有害であることがほとんどです。

その弊害は異常気象や地球温暖化などさまざまな形で、歪みとして現れてきていることは説明するまでもありません。

しかし、この自然世界というのは、人間だけのものではないはずです。

この地球というのは、人間以外の多くの動物や植物が生活している世界であり、人間が作り出す道具は、人間が自然世界と共存できる範囲に限られるべきだと考えています。

だから、私たちliloは人間と自然のギリギリのところにある道具にこそ、美しさを感じるのです。


さて、そんな想いで道具に向き合っている私たちは、

よく信楽の自然の中に入って、キャンプをしたり、ただただ自然と触れる時間を楽しんだりしています。

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自然からヒントを頂き、人間と自然のギリギリのところを捉えて、それを道具作りに活かそうとしています。

この記事では、先日、私が自然の中で感じた「循環」について書き残そうと思います。


結論から言いますと、何事も循環させることが重要なのではないかと考察しました。

まずは下の動画をご覧ください。
(できればパッとみるだけではなく、30秒ほどですのでじっくり見て、水の流れ、風の動き、自然世界の音を感じて下さい。)

どのように感じましたか?

私はこの景色を生で見たときに、真っ先に「循環している」ということを感じました。

動画に映っている川の流れというのは循環の一瞬を切り取ったものですが、画面の上から流れてきている水、画面中央から湧き出ている水を想像すると、

水がこの画面に映るまでに何年も何十年も、もしかすると何百年も前からここに向かい始めて、ようやく画面に映っているのかもしれません。

そして、流れてこの画面から消えた水もまた、動物に飲まれたり、海に流れたりして、また地球の中で循環するでしょう。

私はこの景色を見たときに、当たり前のことですが、地球が循環していることを強く感じたのです。


さて、私はいつも、ある発見や経験をしたときに、どのようにそれを自分の生活や考え方に活かせるかということを考えます。


今回は、この「循環」が私の身の周りでどのように活かせるかということを考えたときに、

もしかすると、この世のすべてにおいて「循環させる意識」が必要なのではないかと考察しました。

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例えば、対人関係でいうと、昔から因果応報といわれるように、自らがとった行動が回りまわって自分に返ってくるというのは本当だと思います。

だから、相手のことを思い、相手が喜ぶ行動をすれば、それは自分にとって良いことが回ってきます。その逆もしかりですね。

少し話が逸れてしまいますが、私は中学生のときに京セラの稲盛和夫さんの「生き方」を読んで、起業家・経営者になることを志しました。

この本は私の座右の書であり大好きな一冊ですが、その中にも「結果を焦るな、因果の帳尻はきちんと合う」という項があり、

私はその言葉を信じて今も生きています。(まだ帳尻があったかどうかを判断する年齢ではないですが...)

また、私はlilo(リロ)の代表として、日々学んだことをどのように事業に活かせるかということも考えます。

事業においてもまた、「循環」を意識することはすごく大切だと考えました。

お客様が自社商品を購入してくださったことで生まれた利益を、自社のビジョン達成のために正しい方向に循環させる。

そして、その循環の円が次第に大きくなり、事業そのものや施策自体が大きくなっていき、世界や社会に与えるインパクトも出てくると考えました。

逆に言うと、この循環に抗う行動をとった瞬間に、おかしくなってくるということも全てのことに当てはまると考えました。

事業で言うならば、社長や役員が私利私欲のためにその利益を懐に囲い出したり、会社の規模に見合わないようなオフィスを構えたりすると、

やがてその循環は止まり、事業自体もよくない方向にいくのではないかと思います。


もっと大きな視点で見ると、人間が作り上げたこの現代社会は、人間のエゴで循環を止めてきた歴史といっても過言ではないでしょうか。

田舎から都会に行くと、そのことを強く実感します。
都市のビル群を見ると、よくもこんなに「自然じゃない世界」を作れたものだと感心します。

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その景色が自然に抗ったものであり、循環を止めているということは、みんな薄々気づいているのではないでしょうか。

ではこれから私たちはどうしていけばいいかという答えは、一朝一夕で出るほど簡単ではありませんが、まずは自分の身の回りから「循環」を意識していきたいと私は思います。

一方、私はこの「循環」について考える中で、唯一循環させなくてよいものがあるという考察をしました。

それは、「自分自身が循環の主になるべきもの」です。

つまり、世界中で自分しか循環の主になれないようなものは、その責任と使命を持って、進んで自分が保持すべきではないでしょうか。


例えば、アーティストであればその人にしか作り出せない世界観やその人にしか表せない表現がありますよね。

その世界観や表現が誰かに共感されて循環し出したとき、それをマネする人が必ず生まれます。

他の人がその循環の主になった瞬間に、その循環は腐ってしまいます。

だから、そのアーティストが生み出す作品自体に著作権を与え、そのアーティストが息絶えるまで、その人が循環の主であるべきなのです。


これは会社でも同じだと思います。

起業家が掲げたビジョン、理念は、究極を言えばその起業家にしか見えない世界だと思います。

だからこそ、その起業家は、循環の主となるためにその会社の株式を保有して、ビジョンや理念の達成のために循環を起こしていかなければなりません。


ついでに付け加えると、商標や特許も同じですよね。

循環の種を生み出した人や会社こそが循環の主であるべきですから、他の人が循環の主にならないように取得しておくべきでしょう。

しかし、このような循環の主を守るための制度の抜け穴を利用した行為が世の中には溢れており、その制度に対する倫理観が薄まっているように感じます。


農業の世界で言うと自然世界にあるはずの植物や種子に知財が及んでいたり、ITの世界でいうと使われそうなドメイン名をあらかじめ取っておいてそれを高く売る人もいますよね。


そのような行為は循環を止めているだけなので、一時的にその人の利益になっても、地球全体、社会全体でみると、ただの妨げでしかないと思います。

つまり、「循環」は自然の摂理の基本であり、世の中の大抵のことは液体のようなものと捉え、それを循環させるべきなのではないでしょうか。

この話を相方の古谷としているときに、偶然にも古谷のTwitterのタイムラインに面白いツイートが流れてきました。

この成田さんという方は、地球上の動物の動きを俯瞰してみると、「液体」のようだと述べています。

まさに成田さんの考察のように、この世の全てのものは液体のようであり、循環し、そして自然の中に溶けていきます。

みんなが循環を意識することで、地球、社会という規模でよくなり、もしあなたがその循環の主であれば、そのご褒美は神様がくれると思います。

私は、循環をさせることを意識しながら、人間が自然の中に共存させて頂いているということを忘れずに生きたいと思います。

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しかし、このようなことを書くと、先輩経営者の方々から「甘い」と言われるかもしれません。

それくらい資本市場というものは厳しい世界ですから、得た者だけが勝者なのかもしれません。

私は起業家の駆け出しですから、真理はわかりません。

もしこのnoteを読んでくださったあなたが経営者であれば、真理はどうなのか、コメントでもいいですし、TwitterのDMでもいいのでご教示ください。

今回は私が考察した「循環」について、書き残しました。

少しでも私たちや私たちの作っているlilo(リロ)という道具ブランドに興味を持ってくださった方は、ぜひonline storeに寄って行ってください。


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