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#ゾンビと僧 8

日本にゾンビが存在しないのは哲学の問題であろう。ゾンビとは生ける屍といって、肉体を持つが魂はない状態。彼らには幽霊のように未練や恨めしい感情がない。ただの力学系肉体。目的の喪失。存在の意味づけがなされない存在。このような存在を許容するメタ的な言説が日本には存在しなかった。八百万の神や付喪神などあらゆる存在に意味付けできたのは、そこに現象があったからだ。現象とはつまり存在が確認されていない何者かがもたらす、あるいはもたらした痕跡で、であるならばゾンビの現象とはなにか? 土中からモグモグと出てきた後の掘り返された土の山。これはゾンビの跡といえるかもしれない。ここからゾンビが出た、と。しかし実際にはゾンビが土中から出た後の土の盛り上がりに着目した事実を聞いたことはない。なぜならゾンビは近くにいるからだ。犯人が近くにいるのに犯行現場の調査からはじめる警察はいないのと同じように、ゾンビがそこにいるならばまずは捕まえようとするだろう。それから犯行現場の調査に入るのだが、犯人としてのゾンビはすでに特定しているので謎が残らない。つまりゾンビにおいては現象というものがない。日本でゾンビが発生しなかったのは、ゾンビはあまりにも存在的であったからだ。彼らの現象はその存在によって不問とされた。で、日本のオカルトは現象によって語られるので、存在としてのゾンビには適さなかった。むしろ生物学、あるいは動的エンジンとしての力学。いや生物としては死者だから、となるとゾンビは力学ということになる。死者を動かす力学。この呼称がもっともしっくりくる。ゾンビとは力学である。内的エンジンを持たない物体を動かす力学。
 
アキラに会ってこの話をすると、てことは現代日本はゾンビで溢れていると言った。もちろんメタ的にということだけれど、通勤時の駅はすごいよ。
私は僧だから、生者をゾンビと呼ぶには仏に申しわけがたたず抵抗があるのでメタゾンビと呼ぶことにして、メタゾンビは力学で、つまり資本主義社会における労働力ということを意味する。資本家と労働者。資本主義の構造を根強く内包したままグローバルに突入した現代日本の労働者は、社会の仕組みが実際に追いついていないせいかフラストレイションを容易に生成する環境下にあるがために他国にくらべてメタゾンビ化しやすいのかもしれない。終身雇用、年功序列、大量生産といった戦後社会のこれらの遺産は、現代社会にあっては労働者から個人の意思と尊厳をスポイルする便利なツールになってしまった。メタゾンビ化した労働者と社会の進展に遅れをとる日本は、いずれはゾンビの墓場となる。アキラと私の理解は概ねこのような感じで一致した。彼女が経営しているジムはメタゾンビ化に抵抗することを目的としたものだが、なかにはより強力な労働者になる人もいるようで、非常に興味深い。

つづきます

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