オーケストラと聞こえないわたし〜ドラマ「リバーサルオーケストラ」を通して〜
私は耳が聞こえない。
補聴器を通し、おそらくアンプのように音を増幅しているので、音は入ってくるがそれはさながら機械的で聞こえる人と全く同じように細やかに音を聞き分け、感じることは難しい。
それほど人間の耳は複雑にできている。
私の中学生時代にすごく仲の良い子に
学校のジュニアオーケストラでヴァイオリンをやっている子がいた。
なぜか耳の悪い私が彼女の学校でのレッスンを待ってあげて一緒に帰った。
昨年我が推しが出た舞台「夏の砂の上」で語られた登場人物の友人「花村さん」みたいだ。
一度だけ彼女のヴァイオリンを持たせてもらい、弓をひかせてもらった。
思ったよりも大きな音がその小さな楽器の身体から響いて私はびっくりした。
音が出るだけすごいよ!と彼女はいった。
やってみたら?
いやいや。
ピアノは習ったことあるけど途中でやめちゃったし、いつも母にそこ音が違うよと直されていた。
もっと低学年の時はハーモニカの音がずれてるよと担任の先生に何回も言われて、ドレミの場所がわかるように赤と黄色のテープを貼られてなんか情けない思いをした。
縦笛をなんで上手く弾けないのとヒステリックに音楽の先生に怒られたこともあった。
いやいやいや
聞こえないんだからさ…という声をなんと飲み込んだことか。
ろう学校ではなく、普通の学校に通った私は音楽が最大のネックだった。
音楽会ではいつもカスタネットとかトライアングルとか最小限の参加で済む楽器で参加してたし、
冴えない気持ちでいた。
でも幼稚園から普通の学校にいったことで音楽や歌を断片ながら覚えた。
運動会でかかる行進曲、ダンスの曲など聞き取れるところだけ覚えていて、それは大体有名なフレーズなのだ。
クラシックも音楽の授業とかで習う主題というのかな、その曲の印象的なフレーズならわかる。
運命ならジャジャジャーン、とか、
第九なら合唱の時の旋律とか。
幼稚園のころは今よりはもう少し聞こえていたのでその頃覚えた歌は結構それっぽいらしい。
歌うことは好きだ。
もう死んでしまったけど実家で飼っていた犬の散歩中に口ずさむと犬が振り返るくらいに?音痴だけれど(苦笑)
音楽は苦手、でも好きでも嫌いでもなく、
聞き取れるフレーズがあれば楽しむ。
そんな感じだった。
オーケストラも音の塊は聞こえる。
旋律らしきものもかんじられる。
ただし、変化がないと楽しむのが難しい。
正直にいって退屈してしまう。
独特のフレーズというか。
導入部分とかはよほど独特でないとわからない。
主題や歌のサビにあたる部分しか楽しめない。
なぜか。多分、楽器の聞き分けができないから。
いまはこの楽器が強いんだな。この楽器で表現してるんだなというのは全く難しい。目で独奏してるのを見るくらいしか。
いろんな旋律やフレーズがあって、やがて主題につながっていく、そういうつながりを感じるというのはほぼ難しい。
和音とか短調とか長調も知識としてはぼんやりわかるけど実感がない。
そんな私が推しの出ているオーケストラを主題にしたドラマを見始めた。
2023年1月。『リバーサルオーケストラ』
かつてバイオリンの天才少女と世界的指揮者が「ポンコツ」市民オーケストラに関わるおはなし。
指揮者を我が推し田中圭が演じる。
推しが出るなら当然見る。
『のだめカンタービレ』は漫画を読んでたからドラマ見たし、三上博史が指揮者の『それが答えだ』も見ていた。音楽物を見ることはこだわりはない。
ただ、見るだけだろうなって思った。
そうして見始めて、「玉響」が初めて初音の前で奏でた曲をきいて、私は雷に打たれた気分になった。これ、聞いたことある!
あとでビゼーのアルルの女より、ファランドールだと知った。
アルルの女?!有名じゃん!
それは私の小学校の時の運動会で行進の時にいつも流れていた曲だった。大音量で流されていたから流石にわたしの耳に入っていた。天国と地獄は知識としては知っていてそれは退場の時に使っていた、ファランドールはタイトルは知らなかった。
あの演奏を聴いた時に、わたしの目の前にザラザラとした運動場の砂の埃っぽい感じ、はためく旗、なんか言っていることはわかんないけど放送や音楽で始終賑やかなこと、自分や同級生たちの体操服とブルマ姿がありありありと蘇った。運動場いっぱいに色々描かれた線も。万国旗も。
あれもクラシックだったのか!
そうか、天国と地獄使うならあっちもクラシックだよな!と思った。
単に無知なだけかもしれない。
もしかしたら先生はこれはファランドールという曲だよとみんなに教えていて、同級生たちは知っていたのかもしれない。
とにかくわたしはあのドラマで初めて曲名を知った。
まさにヘレン・ケラーの水の如く雷に撃たれた。
今までぼんやりしていたものが霧が晴れたようになって、ああ、リバーサルオーケストラありがとうと思った。
わたしの学生時代は(いまもだけど)わからないことだらけで、いつもぼんやりしていた。
先生や同級生の話し声は全く聞き取れない。音楽みたいな音の塊は入ってくるけど、それを分解して何の楽器、何という音にするのはできないのだ。
それだけにどんなに些細なことでも「わかる」ということが私は好きだ。
小説なら会話がわからないということはないし、字幕のついたドラマなら自分も会話に入り込んだような気分になる。ドラマ中なら同僚との会話も楽しめる。
だから本を読んだり字幕付きのドラマ映画を見るのが好きだ。
そして…このドラマで指揮者を生きる田中圭さんを通して、
指揮者がいかに音楽を表現しているかということを知った。
音が見える、と思った。
おおきな空気のうねりというのか。
強弱というのか。音がうごく。よわまる。つよくなる。クライマックスへたかまっていく…
指揮者と一緒に見ればどこの楽器をスタートさせるか、あるいは強めるか、一旦止めるか、独奏させるかなど、特に指揮棒を待っていない手だけのときにその表現を感じた。
いつも会場でオーケストラを見るとには当然ながら、指揮者の背中しか見えていないので、こんなに豊かな会話が繰り返されているのか!と驚いた。
指揮者と演奏者側がいっぺんにモニターで映されたら私ももっとオーケストラというものを感じ取れるのではないかと思った。
右手と左手でそれぞれテンポと表現を生み出す、その指先、はては足さえも使って大きく振ったり…なんてすごいんだろう、指揮者、と思った。
いままでこんなに指揮者を注視してみたことがなかった。
その指揮が描き出すその先をもっと見たくて仕方なくなっている。
そしてドラマの中で、聞こえない私に音を見せてくれた指揮者を生きる田中圭、おそるべしだ。
そしてこのドラマのすごいところはほぼ3話と4話と一曲丸々演奏するシーンがあったことだ。今後もそうなのか…?だとしたら大変すぎないか?
キャストの楽器の動きのがんばりと、協力しているオーケストラの音を鳴らす頑張りと、スタッフの創意工夫の結晶の賜物と思うけれど、いろんなアングルからワンカットの真剣勝負をわたしたちは見ることができる。
もうヴァイオリンの弓や、指揮者の指揮棒が剣に見えるくらいだ。オーバーじゃない。
正座してもおかしくないくらい。
そして指揮者が最後深々とお辞儀をしガッツポーズや拍手をしたとき、やっと深々と息ができる。
もう目が離せない。
リバーサルオーケストラ、私に取って、忘れらないドラマになりそうだ。
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