見出し画像

二度目の親子

都会に住む妹から 珍しく電話がきた。

「警察から電話で、お父さん事故ったって。
ねぇどうする?」

幼い時 ギターを弾く父が格好良くて大好きだった。作れる食事は、いつもキャベツと豚肉のソース炒め。少しばかり芸事にたけていて、俳優をしていたのも 私の誇りだった。
単身赴任を経て、ある会った日に父の目が涙で滲んでたときを最後に 会えなくなった。

あれから、34年…

「ねぇ、どうするの? なんか劇団の人も連絡してきててさぁ、こういうの面倒なんだけど!」
あまり父の記憶のない妹に たまたま事故ということで警察から連絡がはいったものの、疎遠すぎて迷惑そうだった。
「あっ、こっちで引き受けるよ。連絡先教えて。」
パパっ子だった私は これを機にまた会えるかも と、その時は思ってた。

事故は、アパートの階段からの転落だった。打ち所が悪く 身元がわかる人に繋がった時には、すでに危篤状態だった。
「娘さんっ、今すぐ来てあげてください! お父さん あなたたちのこと いつも話してたんですよ。もう最後かもしれないので、来てあげてほしいです!」
運ばれた病院で、お世話をしてくれてた劇団員の人が そう言った。と同時に、私は車を走らせた。

片道500キロ。道中、会えるかもしれない高鳴りと死んじゃうかもしれない動揺が頭の中で交差しつつも、冷静なところもあってか、母に事のなりをメールし、劇団員の人と連絡をとりあった。

400キロ進んだころ、母から電話がきた。
「何やってるの! すぐ帰って来なさい! 」

やっぱりか…。どこか心の中で そう言われる事は覚悟していた。

物心ついたころには、母から父と離れた理由は聞いていた。華やいだ芸事の世界の父は、経済的に家庭に負担をもたらしてた。そして 二度と連絡はとらないようにと 教え込まれていた。

それでも、私には 父だった。

道中、携帯から聞こえる母の声は 怒りにあふれ、ただ前へ車を走らせる私は あと70キロのところのサービスエリアで停車した…。泣きながら 劇団員の人に連絡した。「すみません、行けません…」

「お父さんっ もう最後になるんですよ!ずっとお子さん達の事、いつも気にかけてて すごく後悔してて 会いたがってたんですよ!もうそこまで来てるじゃないですか!」
分かってる…痛いほど分かってる。私も会いたい、親の最後ならなおさら会いたい。でも、気丈にふるまって育ててくれた母の気持ちも 痛いほど分かる。この先を進む事も引き返す事も どちらにも親孝行で親不孝。でも「すみません、本当にすみません…母の事を思うと 行けません。」

ただ泣きじゃくりながら家路についた。

その夜、夢をみた。
そこは古い平屋の家で たくさんの人が賑やかに集まっていた。それが父の葬儀だと気づくのには時間がかからなかった。会った事もないはずの劇団員の人が、書斎に私を連れて行った。「お父さん ここでいろんなもの書いてたんですよ。」そこには、ちゃぶ台の様な古いテーブルに 無造作に置かれた原稿用紙が多量にあった。”あぁ、父は台本書いてたんだ”と 夢ならではの解釈で時間は流れた。そして、そこにあった最新と思われる原稿を手に取り 目を通した。

”もうすぐ娘が来る。ずっと会いたかった娘が来ると みんなが言ってる。会いたい。もう近くまで来てるらしい。もうすぐ会える。”

目を開けたと同時に、瞬きも忘れて涙が流れた。あの夢は、あの原稿は、父の今の心の声だ…と確信できたからだ。
っとその時、電話が鳴った。劇団員の人からだ。「お父さん 容態が悪くなりました。もう意識もありません、もう手の施しようもなく…」

あの原稿… あれが今の父の気持ちなら、父はまだ私を待ってるのかも。事故から今なお危篤状態なのは、思い残した事があるのかも。だとするならば…

「すみません、一つだけお願いがあります。」
私は劇団員の人に メッセージを託した。
「わかりました。もう意識もありませんが、伝えてみます。」

『お父さんもう大丈夫だよ。
 私は全て許してるよ。』
それだけを伝えてもらった。

それからすぐに、父の心臓は 返事をしているかの様に止まったり動いたりを繰り返した。劇団員の人から オンタイムで逐一連絡が入り、その度に私は”みんな許してるよ。”と心で唱えた。

数分後、父は旅立った。

そうして会えないままだった父と私は、また家族になれた気がした。またあの幼い頃のように。


#家族 #小説 #夢 #父 #親子 #短編小説 #ショートストーリー



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?