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もっと褒められたっていい、息子も、私も

小1の息子がまた登校渋りを始めた。
支援級に行くようになって、「学校が楽しい」と言っていたのに。

冬休みを挟んだ1月。
少し調子が悪いな、とは思っていたものの、なんとか乗り越えた。
そして2月。「行きたくない」が始まった。

思い当たるとすれば、2月の「6年生を送る会」の練習だ。
集団で何かをするというのがものすごく嫌いな息子。
それなのに、「やらなきゃ」という思いからか、練習はものすごく頑張っていたらしいのだ。
他のクラスの先生も褒めるくらいに。

それが、2月の中頃にあった本番の日に「行きたくない」と。
なんとか学校まで連れていき、担任の先生に引き渡した。


その日、担任の先生から「6年生を送る会」の動画が送られてきた。
最初に見たときは、息子がどこにいるのかまったくわからなかった。
「この子かな?」と見ていると、ひとりの男の子がさーっと舞台袖に走っていく姿が目に留まった。

「げ、これだ。この子、ケンじゃん!」

もう一度最初から動画を見ると、しょっぱなから先生にひっぱられて舞台に上がる息子。
その後、客席を背にしてつっ立つ息子。
ちらっと客席を見るが、また元に戻る。
客席を背にしたままお辞儀をし、右の友だちの身体をつんつんしてちょっかいを出す始末。
そして、最後、さーっと舞台袖に走り去ってしまった。(1年生の出し物はまだ続いている)

「ねぇ、なんで走り去ったん?」と聞いてみると
「え、だったケンの出番終わったから」とのこと。
さらに「舞台袖でなにしとったん?」と聞いてみると
「体育座りしとった」とのこと。

おいおい…。


先生には「ちゃんと練習してたから、客席に背を向けてはいたけど、お辞儀できたんだと思います。ものすごく、頑張ってました。褒めてあげてください!」と言われた。

確かに、そうなんだろうな、と思った。
本番のそこだけ見たら「え、この子大丈夫?」と思うかもしれないけど。
いやいや、息子なりに頑張っていたんだろうな、と。

…と、ここまで書いてきて、「あぁ、そうなんだな」と納得した。
「6年生を送る会」で全精神を使い切った息子は、私が想像を超える以上に疲れちゃったんだろうな、と。


冒頭の行き渋りに話を戻す。
久しぶりの行き渋りに、私もどう対応していいかわからなくなり、ほとほと疲れていた。

担任の先生にはLINEで「運動場まで行ったんですが、”行きたくないー”と言いながら走り去り、家の鍵を閉めてしまいました」とありのままを伝えた。

すると先生からこんなLINEが返ってきた。

「お母さんはよく頑張っていますので、たまにがんばらないでください。えらかったですね。けっして自分のせいにしないで、こういうときは周りを頼ればいいんです。なんでも相談してくださいね。」

担任のK先生は息子に対して「偉かった!」という褒め方をよくする。
最初はちょっと違和感のあった私だが、実際に自分が言われるとめちゃくちゃ嬉しいことに気づいた。

お母さん業というのは基本、誰からも褒められない。
”できて当たり前”と思われているし、職場の上司のように「頑張り」を見てくれている人もいない。

「あれ、私はもっと褒められてもいいんじゃない?」
「誰も褒めてくれないなら、せめて自分で自分を褒めたらいいんだ」

そんな考えが浮かんできた。


最近、Instagramで見つけたこちらの方の影響もあるかもしれない。
ゆるいイラストと、「自分をもっと認めてあげてもいいよ」というメッセージに癒されている。

https://fanme.link/@naonyan_naonyan

とかくこの世の中は「こうあらねばらなない」という観念にがんじがらめにされている。
意識していなくても、すーっといつの間にか入りこんでしまって、気づいたら身動きできなくなっている。

表向きはそれに合わせておけばいい。
でも、自分だけは、もっと自分を認めてあげてもいいんじゃないか。
誰も見てくれていなくても、頑張ったことは誰よりも自分が知ってるから。

息子にはまだそれが自分でできないだろうから、大人が言ってあげるのが良いんだろうな。

息子も私も頑張っている。日々、生きていくことに。
ちょっと道から逸れたって、人と違ってたってだからどうだってんだ。
たまに失敗する日も、やる気が起きない日だってある。
そんな日があったっていいじゃないか。

「私ってなんて最高なんだろう」
それくらい思ってても良いんじゃないか。
自分で思ってるだけなら、バチなんか当たらないでしょ。

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