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【七夕の願いごと】私は商店でみんなの帰りを待つオカンになりたい

 こんばんは、こう暑いといっそもっと汗かいてやれ!と刺激を求めてタイ料理ばかり食べてしまうijuです。錦糸町の近くに住んでいたころは毎週のように家族でよく行ったお店があったなぁ…子どもに優しいお店で娘も大好きだった……

 先日の七夕、「キュアニャミーになれますように」と力強く祈る娘に感化されこんなポストをしたら、色とりどりの願いがぽつぽつと集まってきた。みなさんの見つめる先を束の間一緒に見せてもらったような、それこそ本当に一緒に短冊の飾りつけをしているような、不思議な心地よさがあるラリーにはよろこびと感謝しかない。
なんとなくこの勢いに乗って、私もnoteを短冊代わりに自分の願いを欲望と妄想のまま、されど切実に書いてみようと思う。

 10月末ごろに愛知へ移住することが確定してから、「家族も私も心地よく面白く愛知で生活していますように」という願いは強く静かに自分の奥底で滾っている。周囲に「ワクワクと不安どちらが大きいの?」と訊かれると間髪入れずに「不安に決まってるじゃないか…!」とぼやきたくなるし、見知らぬ土地にポツンと放り込まれる心細さや勝手がわからない苛立ち、縁のある人や愛着があるもの・場所から離れるシンプルな寂しさも相まって、油断するとすぐ自分をネガティブ思考の沼に連れて行ってしまう。
 だからこそ気負わず「一旦行ってくる」だとか「なんか違ったら帰ってくるかも」と周囲に打ち明けながら、意外と居心地よくて気づいたら10年いました、とあっけらかんと笑う自分であったらいいなと祈っている。

 思えば6月から始まったプロコーチへの学びは、いつでもどこでも誰とでも、つながってつなげて創っていける自分になりたくて一歩踏み出した気がする。遠い場所に丸腰で向かうときに、ライフスキルとも呼ばれるコーアクティブコーチングをお土産に持ちたかった。(もちろん自分自身が身をもって体感したコーチングの力強さと不思議さへの興味関心、クライアントさんの伴走によりコミットすべく自分のコーチングを磨きたい、といったことも動機の多くを占めている)。

 そういう意味では、人生で初めての経験となるコーチングクライアントの募集は、愛知に行くことに及び腰だった私にとても効いたと思う。自分の名前で仕事をしたことがなかったものだから、近しい/親しい関係の相手に有償コーチングやりませんか?と声をかけることも、まだ見ぬクライアントさんへ向け自分の想いや考えを発信することもすごく怖かった。「誰かに何か言われるかも?」「いや、そもそも誰も何も気づかないかも?」いずれにしても、自分の虚栄心があらわになり、無力感を嫌でも感じるであろうことに大層びびっていた。
 だけどこの学び、この課題は自ら動いて誰かとつながりにいかないことには何も始まらない=クライアントさんを見つけないと文字通り受講できない(受講料も、帰ってこない…)学び仲間やマイコーチ、経営者の大先輩、そして個人事業主歴の長いオットの知見を借り、叱咤激励を受けながら、コース開始までひたすら手を動かし声をかけ会いに行った。

 汗水垂らして素晴らしいクライアントさんたちとご一緒できることが決まった時は、これから変化を迎えようと決意された方々に伴走できることが心の底から嬉しく誇らしかった。絶対にいい時間にしよう、つながったご縁に感謝して育んでいこうと、びびりまくっていたはずの自分の内側から何か沸々と温度と動きのあるものが湧き出ていた。
 わずかながら「私、何もない場所からでも何かできるかも」と思えた瞬間だった。

 引っ越し時期の決定と1on1コーチングの提供開始でお尻に火がつき、ことばにしたり行動すると良くも悪くも何かしら結果が出ることを学んだからこそ、「これはやってみたいかも」を思いついたらXに備忘として残していくことにした。コーチングを用いて何を届けたいか?という大きな問いが立ち始めていたからこそ、すこし軽やかに可能性を探りたかったのかもしれない。どんなに些細でくだらないように思えても、まず面白そうと感じたら虚空に向かって呟いていた(いま見ると微妙だなというものも当然ある)。
 呟いたあと自分の中に残る余韻や周囲からの後押しによって、ひとつ形になったのがオンライン読書雑談会:よるの図書室だ。これまでオンラインで2回開催し、運と縁により今度はリアルの図書室(館)でイベント企画に挑戦する。あらぬ形でご縁がつながっていくので、言ってみるものだし、やってみるものだなと思った。言葉にすることの力を歓びとしても、怖さとしても現実に体感する象徴的なできごとだった。

本を入口にひとを知る、読書会のような雑談会

 そんな中、最近もらった問いやフィードバックで思い出したことがある。
「よるの図書室ってどんな意図があって始めたの?」
「ijuさんはつながりを1対1の線だけじゃなくて、複数人=面で創りたいひとなんですかね~」
 
場づくりやコミュニティに対するアンテナが向くことや、人と人の出会いで思いもよらない化学変化が起きることへの確信は、比較的職業人生の中で長く身を置いていた人事職種由来であることが大きい。ただもっと血肉として体が「そういうものだ」と知ったのはもっと昔、床屋の娘として育ったころだったように思う。

実家でカットしてもらいご機嫌なムスメ

 私の実家は床屋(理髪店)で、祖父がひらき、父が継ぎ、いまは母と妹たちも一緒に店を営んでいる。つまり私以外は家族全員理容師免許を持ち、鋏を持つことを生業としているのだ(!)。
 数十年前、おそらく日本の〇〇屋さんの多くがそうだったように、生まれ育った家屋は1階は店&居間、2階が寝室といった建付けで、専門学校を卒業したてで就職した新米理容師のお兄ちゃん・お姉ちゃんと居間で食事を一緒に取るような日常の中で暮らしていた。髪を切りに来るお客さんも旧いお付き合いの方が多く、「床屋の子」である私の成長をいい距離感から見守ってくれていたように思う。とにかく商売を中心に家/店の中では常に人が行き交い、誰かの会話と気配がある、そんな環境で私は過ごしていた。他者が集まることが生活に組み込まれていたことは間違いなくいまの自分を形成しており、中年になっても居心地よさそうな輪があればスッとそこに入りたがるし、なければ不器用なりに作ろうと試行錯誤する。集まる場がある人生は、小さなころからずっと続いているものだった。そしてきっとこれからも、私は場=つながりを求めていくのだと思う。

 秋に引っ越す先は旧い町だ。夫はそこで商いを再開したいと言う。
 であれば私はそこでみんなの帰りを待つ商店のオカンになりたい。「大きくなったね」「元気にしてるの?」と店先を行き交う人たちと声をかわし、「最近こんな面白いものが入荷したのよ」「あなたにぴったり!」とお勧めしたい(「いやそうでもない」と返されるのもまた良い)。娘含めた子供たちが喜ぶようなお楽しみ会もやりたい。物理的に店に来れないお客さんともつながる方法をバリエーション豊かに考えたい。とはいえ自分も他の場へ行きたいときもあるから、たまに店を飛び出して出稼ぎ:出張販売もしたい。そしてこれらの試みを「微妙…」とか「悪くないんじゃない」とか戦友である夫とできたら最高だなと妄想している。
 縁もゆかりもない土地で感じる心細さや苛立ち、寂しさは巡り巡って、いつでもどこでも誰とでも、つながってつなげて創っていくための原動力になる気がしている。対話と読み書き、本も相棒に、自分の願いをすこしずつ叶えていく下半期にしたい。


あなたも自分の願いをことばにしませんか?
やりたいことや形にしたいものの解像度を上げたい、自分の計画の実行スピードを加速したい、これからの家族の姿を描いてみたい…など、アンテナが立ちましたらお気軽にお問い合わせください。

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