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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第32回 天日に干したる黄な物体

(16)いったん荊州中路(ジンジョウジョンルー)へと戻り、さらに東進する。此処(ここ)は片側二車線の道路で、10路線以上の公交車(バス)が走行する。いよいよ荊州の英雄、関羽を祀(まつ)る関帝廟へ向かうのだが、せっかくなので古い街並みが残る裏道に引っ込むことにする。文廟街(ウェンミャオジエ)という狭い通りである。クルマ一台しか通れない、静謐(せいひつ)なゾーン。左右はしだいに古びた平屋中心の民家になり、だがそうなると、今度は道が広く感じられる。まもなく曲がり角に差しかかると、頭上の電線に針金ハンガーをひっかけている夫婦がいる。おやおや、洗濯物かと思いきや、これがすべて得体のしれぬクリーム色の物体をぶら下げている。まさか鶏肉でも干しているのだろうか。ぼくは思わず遠目からカメラを向けて身構えたが、これが失敗で、さっそく警戒されてしまう。どうかご勘弁を。でも、見上げても何だかよく分からない。通りすぎるときに、その物体が何であるかだけ訊ねてみた。すると、ぶっきらぼうにだが、豆皮(ドウピー)だと教えてくれた。嗚呼(ああ)、なるほど。中国の乾燥湯葉(ゆば)ともいわれ、よく炒め物に入れられる厚揚げ豆腐の皮みたいな、あれである。後で知ったのだが、湖北ではこれを用いてご飯や肉やタケノコなどを包む「三鮮豆皮」がメジャーな朝食メニューなのだそうだ(旅行中に試せばよかった)。天日干しを終えて次の工程に移るため、戸外の作業台に並べているところだったのだ。お邪魔しました。ここで文廟街は行き止まり。左折して民主街へ。なんでもない静かな路地のようにも見え、また同時に旧道みたいな雰囲気もある。古い住宅と商店が混在して、オート三輪が行き交う。道行く人もリラックスした表情で、なかなか楽しい小路であった。途中、間口全開で菓子を並べた昔ながらの店があった。店番のおばさんは麻将(マージャン)だか捕克(ポーカー)だか、とにかく奥で卓を囲んでいたが、ぼくが店先に立つと上機嫌でやって来た。なかなか風格ある女傑と見えたのは、あるいは勝負に勝っていたからか。ぼくは其処(そこ)で一個2元の餡(あん)入り菓子を買っ──よく鉄道駅で売られているようなボソボソのやつである──。さて、静かで趣(おもむき)がある道だなあと思っていたら最後、一軒の月餅(ユエビン)屋がもの凄い大音量で軽快なチャルメラ音楽を流していて、それはそれは大いにズッコケてしまった。当の店主は奥の間に引っ込んでいるらしく、姿が見えない。いったいどうなってるんだか。曲が終わると、今度は武侠物らしきドラマの音声が流れ出し、何かに取り憑(つ)かれたような女の笑い声が、けたたましく商店街に響きわたった。もう、いったいどうなってるんだ。ただそれが特段、雰囲気ぶち壊しとも言いきれないのが不思議なところで、少し立ち止まってみると、そんな節度のない雑音でさえも、野放図でゆるい民主街の情景にマッチした素敵なBGMと思えるのだった。郷に入りては、べつに郷に従おうなどと力まなくても、いろいろな事柄がおのずと慣れてくるものである。

(17)かくして庶民的裏通り堪能すること数分、荊州中路(ジンジョウジョンルー)と人民路(レンミンルー)の交差点付近に出る。ぼくは聚珍園(ジュージェンユエン)広場なる商業施設に入った。およそ百米(メートル)四方の敷地面積で、映画館に家電屋に洋服店、さらに美容室などが揃い、それから重慶火鍋の店2軒など、飲食関係も数店営業している。これも例によって、地図アプリ「高徳(ガオドー)地図」と、SNS「大衆点評」(ダージョンディエンピン)の情報から探し当てた。付近にも商店・飲食店が集中していたので、昼食をとるならばこのあたりでと考えていたのである。さて、そうは言いながら、利用する店は麦当労(マクドナルド)一択である。笑われるかもしれないが、ぼくは学生時代からの習慣で、中国旅行のあいだ一度は肯徳基(ケンタッキー)と麦当労で食べないと気が入らないのだ。

荊州中路に面した実験中学の門(伝統的デザイン+電光表示が中国っぽい)
中学に隣接するビルには文具店、軽食店が並ぶ(ラテン舞踊の教室まである)
問題の黄(奇)な物体。そういえば各地街路で色々な物を干していたなと思い出す。
途中にもまた気になる路地を発見。だが民主街を歩き続ける。
ドライフルーツやヒマワリの種などを売る店。そして雀卓を囲む人たち。
主張の強めの聚珍園広場の建物。旧城内のランドマーク的存在か。

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