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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第19回 虚心の行人、新都心をゆく
(59)ぼくはいったん観戦を切り上げ、夜の試合まで外へ出ることにした。まずは、常州博物館へ。場所は体育館の区画の西隣だが、歩けば少なくとも十分はかかる。
(60)公道に出て周囲を見まわすと、そこは都市建設シミュレーションゲーム「シムシティ」で造り上げたような新都心的空間だった。人気(ひとけ)はほとんどない。これに似たるは上海・浦東(プードン)新区か、千葉・幕張新都心かという、絵に描いたような人工的ストリートビューである。数時間前にのどかなひとときを過ごした、潤い豊かなオールドタウンとは正反対。ここはまるっきり生活臭を感じない、未来都市の様相だ。とりあえず清潔感は申し分ないし、なんなら緑にも富んでいる。だから殺風景というわけではない。でもまるで寸分の狂いもない都市計画模型のなかに放り込まれたようで、いささか心細い。そんなことを言うと、でもねえ、日本を脱して異国に来れば、そんな眺めは幾らもあるんだよ、という至極真っ当なご指摘が脇から聞こえてきそうだが、これはなにも街区の規模感や特殊な景観のせいだけではない。今回の訪中前から気づいていたのだが、体育館の周辺地にならび建つのは、たとえば常州市人民政府、市公安局、はたまた税関、海事局など、畏れ多くもかしこくも、ちょっぴり硬派な行政機関のお歴々なのだ。付近には他にも、現代伝媒中心(メディアセンター)――これは媒体集団(メディアグループ)である常州広播電視台が所有するビル――、さらに実験中学に実験小学といった、およそ漂泊者や風来坊を寄せつけない感じの、ザ・中華ファーストな施設が大集合している。誰しも数歩ゆけば、ゆるい街場(まちば)とは完全異質な空気を感じ取ることだろう。頭上の監視カメラの数も、心なしか多い気がする。べつに旅行者ふぜいが、わざわざ紅い印籠の前に出でて三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)する義務はないけれど、なんたってここは中国である。この手のマッチョな新都心ゾーンに足を踏み入れると、どうしても模範的公民の行動を暗に要求されているような、そんな名状しがたいストレスと違和感をおぼえる。さあ、ここも唐の詩人に助けを求めよう。
門を出(い)でて食う所無し
秋風 無人の新都心を掃(はら)う
畏(おそ)るべし 監視器多きを
酒徒はいずこ 虚心の行人(こうじん)
*原詩 出門何所見 春色満平蕪 可歎無知己 高陽一酒徒
李白と同時代、盛唐の高適(こうせき)の作。原詩の結句は、儒者嫌いの漢の劉邦(高祖)に自分を売り込もうとやってきた酈食其(れきいき)が、自分は儒者なんかじゃない、高陽の酒飲みだと名乗った故事による。いま整然とした街区を見渡しても酒徒などいない。監視カメラに腹の中を見透かされないよう、通行人は心を空(くう)にして何も考えない。そんなシュールな状況(シチュエーション)。
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田家春望 [唐]高適
門を出でて何の見る所ぞ。春色 平蕪に滿つ。
歎ず可し 知己無きを。高陽の一酒徒。
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