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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~

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#古典がすき

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第15回 爆詠みしてみた! 153mの高層仏塔

(48)境内の北端。いよいよ巨大な仏塔モニュメントの登場である。平日の真っ昼間でもあり、人はまばらだ。数棟の高層ビルがはるか遠くに望める。目に入るものは、あと青空と雲だけ。塔も高いが、基壇の大きさにも圧倒される。高さ6米を超えるだろうその壇には白亜の欄干がめぐらされ、其処(そこ)かしこに有り難い文言が金色でしたためられている。仏や象や四大天王の巨像も、豪華スター勢ぞろいとばかり脇を固めて建つ。地上近辺の観察だけで、すでに現世感がぶっ飛んでいる。その上の塔については、もはや何も

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第17回 お目当ての羽毛球会場へGO!

(51)いやはや、正午をゆうに回っている。急ごう。天寧寺の門前で運よく出租汽車(タクシー)をキャッチし、羽毛球(バドミントン)会場である常州体育館に向かう。初乗りは6元と、上海の14元(当時)と比べてかなり安い。クルマは北上して常州駅前へ、それから西進して関河中路(グワンホージョンルー)、さらに晋陵中路(ジンリンジョンルー)を北へ。整然とした街路を進むこと5分余、なだらかな卵型フォルムの巨大建造物が右手に現れた。鈍い銀色に覆われ、平和な青空に流線型の「稜線」がまぶしい。半身は

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第19回 虚心の行人、新都心をゆく

(59)ぼくはいったん観戦を切り上げ、夜の試合まで外へ出ることにした。まずは、常州博物館へ。場所は体育館の区画の西隣だが、歩けば少なくとも十分はかかる。 (60)公道に出て周囲を見まわすと、そこは都市建設シミュレーションゲーム「シムシティ」で造り上げたような新都心的空間だった。人気(ひとけ)はほとんどない。これに似たるは上海・浦東(プードン)新区か、千葉・幕張新都心かという、絵に描いたような人工的ストリートビューである。数時間前にのどかなひとときを過ごした、潤い豊かなオール

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第25回 龍城の夢

(79)さっさと休めばいいものを、それからぼくは先ほどの印象的な月明かりを思い出し、つい動画サイトで月にまつわる中華歌曲を立てつづけに再生した。半個月亮、但願人長久、そして月圓花好。「アド街」風にいえば選曲の3曲である。「但願人長久」という曲は、有名な北宋の蘇軾(そしょく、1037―1101年)による「水頭歌調」の詩句を、1983年に鄧麗君(テレサ・テン)が唄い、のちに王菲ら(フェイ・ウォン)がカバーしたことで知られる。さらに金嗓子(ゴールデンボイス)といわれた周璇(しゅうせ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第35回 本場の本場の関帝廟

(25)後漢の関羽(?─220)は河東郡解県、現在なら山西省運城県の人。中華街(チャイナタウン)でおなじみ、赤ら顔と長すぎる髭(ひげ)がトレードマークの神様でもある。美髭公(びぜんこう)なんていうあだ名もある。偉大すぎる彼の経歴は、あえてここに紹介するまでもないが、蜀漢の始祖である劉備(昭烈帝、字は玄徳)の義弟であり(さらに年下の三男坊が本書冒頭で登場した張飛)、人並み外れた武勇と忠義でその名を後世に轟(とどろ)かせる、そんな三国志きっての英雄である。四川盆地の成都を拠点に漢

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第36回 南門外はクールに歩く

(28)南門は黒石のせいか日陰のせいか、ずしりと圧倒的な重みが感じられる。高さ7、8米(メートル)、横5米ほどの口を開けている。昼に訪れた西門と異なるのは、こちらでは甕城(ようじょう)が真南にあるため真っすぐ出入りできる点と、自動車の通行が禁止されていることだ。そのため歩行者、自転車、バイク、オート三輪がひっきりなしに堅固(けんご)な門をくぐっていく。ただし、信号もなければ車線もない。まさに個人の制御能力と気分によって通行・往来が成立していて、歩行者にとっては危険なことこの上

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第44回 晴れた日は母なる長江(かわ)で洗濯を

(58)園内では古(いにしえ)の塔を取りまく鬱蒼とした樹々が聖なる時間を支配し、また降りそそぐ陽光がこれに乱反射して、複雑な明暗を生んでいた。小鳥のさえずりも聞こえる。外縁には、長江の堤防に沿って亭廊が造成されている。塔の見学を終えて、今度は長江を望もうかとそちらへ近づいていくと、亭廊のなかでは年の頃アラフィフとおぼしき男女数名が、古めかしいラジカセで軽快な音楽をかけてステップを踏んでいた。すぐ近くで、サックスを練習している若者もいる。みんな熱が入っている。空はどこまでも高く

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第49回 城壁の上でぼくが妄想すること

(67)そのまま三義街(サンイージエ)を進んでいくと、荊州古城の大北門(もとの名は拱極門)が正面に見えてくる。城門の上には朝宗楼なる櫓(やぐら)が座し、これぞ実戦的ホンモノといった観がある。現在、古城の六つの門のうち、櫓が保存されているのは二カ所だけ。この大北門と、昨夕訪れた東門(旧寅賓門)である。思うに、城楼のすがたは地元民の生活風景越しに望むといっそう「雰囲気」が増す。此処(ここ)には黄色や桃色のカラフルな旗もなければ、大げさな提灯もない。見たところ、観光客の来訪がほとん

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第52回 高速鉄道のうた2019

(75)玄妙観からまたまたタクシーで荊州駅へ。駅へ向かう道路とその周辺は、見れば見るほど破壊的であり、またじつに革命的であった。新しい街を造れよと、まるで天から命じられたように構造物は徹底的に無にされ、またそこら中に目隠しの壁がめぐらされ、重機が休みなく働いていた。かつて此処(ここ)にどんな風景があったのか、そもそも懐旧すべき物があったかどうかなんて、年老いた人もしだいに忘れだし、新しい人は想像だにしないだろう。車道は幾度も折れ曲がり、クルマは工事用フェンスで仕切られた野外ア

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第54回 Retroticが止まらない!? 漢口風景

(07)今日のホテルは、錦江之星旅館(ジンジアンジーシンホテル)・武漢江灘歩行街店。このあたりは漢口地区の古い繁華街で、戦前はイギリス・ロシア・フランス・ドイツ・日本と五カ国の租界が開かれた場所である。当時の洋風高層建築が今でも数多く保存され、ザ・近代史の舞台といった雰囲気が色濃く感じられる。そう、上海随一の夜景スポット、外灘(バンド)周辺のようなエリアである。日本のテレビに取り上げられないのが不思議なくらい素敵な場所だ。まあ、彼らが大勢のクルーを擁して訪中するとなると、やっ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第61回 甲殻類を食べて黄鶴楼へ行こう!

(30)次にゆくは戸部巷(フーブーシアン)。此処(ここ)は老朽化した横町を明清風の建物に造り変えた、現代の食べ歩きゾーンである。真っ赤に茹(ゆ)でられた名物の小龍蝦(シアオロンシア=ザリガニ)をはじめ、おぼろ豆腐風の豆腐脳(ドウフナオ、豆腐花ともいう)、田螺(たにし)料理、定番の臭豆腐(チョウドウフ)の店、それからジューススタンドといった小店がずらりと並ぶ。みやげ用の菓子折なんかも売られている。観光スポットらしい、ある種のあざとさは感じるものの、このご時世、遊び慣れた中国人の

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第64回 超甘美! ライチドリンク吸飲記

(41)いま県華林(シエンホワリン)は、キレイな石畳の両側に改装された洋館が整然と並んでいる。一部はまだ改造中で、背の高いクレーンとたくさんの作業員を動員して大工事がおこなわれていた。すでに改装相成った灰色やレンガ色の各建屋には、ギャラリー、洋食屋、カフェ、どら焼き屋、中華スイーツ店、土産物屋といった店が開業。こんな観光客向けの商売、はたして交通の便が良いとはいえないのに成り立つのかな。あっ、そうか。今度此処(ここ)にも地下鉄が通るんだっけ。曖昧な記憶をたどるも答えを得ず、青

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第66回 武漢少女と憂国詩人 ─東湖後編─

(47)さて、園内に「瀕湖画廊(ピンフーホワラン)」という楼閣がある。いわゆる演芸用舞台、戯台(シータイ)ではないが、その伝統的建築の正面におそろいの古装を召した女子が十数名、集合していた。遠目からは白一色の漢服に見えたが、近づいてみると、これが刺繍の施された薄桃色の衣装である。そして袴(はかま)部分は薄衣の空色。首元が詰め襟(えり)になっているのは、旗袍(チーパオ=チャイナドレス)を意識したものだろうか。みな二十歳そこそこに見える。彼女たちは、最初キャッキャとおどけていたの

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第72回 武漢の人気書店で買ったもの

(66)この素敵な本屋で、結局ぼくは芥川龍之介『江南游記』(39元)と中島敦『山月記』(45元)をジャケ買いしてしまった。どちらも上製本で分厚いのに、装丁の誘惑に敗北した(帰国したら手持ちの文庫本と読み合わせしよう)。それからレジで『中国国家地理』誌のなんと湖北省特集号を発見し、むろん追加購入(上下冊・各30元)。タイムリーな出会いに即買いを決める。これがまた、山河・美食・租界・古代青銅器・戦史・都市発展・人材開発・先端産業・長江江豚と「湖北省百科」的な内容で、写真と図版が全