フィジカルの変遷
日本ではじめてCDが発売されたのは1982年ですが、これは当時の若者にとって大事件でした。それまではLPがフィジカルの主流だったので、デジタル化によって半永久的に音源が保たれる利点とは裏腹に、コンテンツをすべて入れ替える費用はバカになりませんでした。いまの若い人達には想像しにくいかもしれませんね。当時は「音楽を聴く」イコール「フィジカルを収集する」だったのです。
LP時代のおわり
ぼくは1982年~83年イギリスに遊学していたので、このコンテンツCD化問題に直面するのは、帰国後、進学塾で働きだしてからです。そして、この前後を回想するときに必ず浮かぶのが Dire Straits です。というのも、82年イギリスでは「Private Investigations」が流行っていたからで、また帰国する際には渡英中に集めたLP100枚ほどを機内荷物として持ち帰ります。つまり、このときの爆買いがLP時代の最後の記憶として刻まれているのです。
ちょうどMTVが世界中に広がっていた時期でもあります。日本の茶の間/地上波でも「ベストヒットUSA」が放映され、ぼくらは大いに歓喜したものです。音楽におけるこの映像革命は80年代のロックの大衆化・ポップ化に、一役どころか、二役も三役も買いました。その象徴が、ぼく的にはまたしても Dire Straits でした。85年「Brothers In Arms」が大ヒットし、そのMVがグラミー賞の最優秀短編ミュージック・ビデオ賞を受賞します。特筆すべきは、このアルバムで史上はじめてCDの売上がLPのそれを上回ったことでしょう (記念碑的なアルバム)。
CD時代のはじめ
当時LPを600枚近く所有していたぼくは、かなり悩んだ挙句、次のような方針でコンテンツの入れ替えに臨みます。LP全部をCDに替えるのは無理 (1枚2500円としても優に150万円は超える)。そもそもぼくのマイナーなコンテンツはCD化されない可能性もある。なので、歴史的名盤といわれるものから順番にCDを買い直す (LPと重複しても買う)。この先に出会うアーティストに関しては最初からCDのみを集める……。ひとまずこんな感じ……。
具体的に言うと、Yes なら「Big Generater」1987 まではLPで「Union」1991 からはCD、ただし「こわれもの」「危機」「リレイヤー」など黄金期の作品はCDでも購入、といった具合。とはいえ、時代の趨勢で、レコード店におけるLPの品揃えはどんどん少なくなっていきます。
1988年、ぼくは結婚して所帯を持ちます。翌89年に長女が、90年には次女が年子で生まれ、ぼくは守るべきもののために働く日々に追われだします。おのずと音楽を聴く時間は限られるようになりました。日常生活に占める音楽=フィジカルの居場所も、縮小していきました。そしてレコード店からLPがすっかり姿を消す頃には、クルマにCDチェンジャーを装備して個人用の音楽鑑賞時間/空間を確保します。子供が成長するにつれ、家庭内でステレオ (=スピーカー) をガンガンかけるのが不可能になったからです。たぶん、これは当時の「LPあるある」でしょうが、そうなると600枚近いLPはただのゴミになります。ベランダでの喫煙と同様、世のパパ族の趣味は実質的に屋外へ追いやられます。
「あの古いレコードの山さ」模様替えのたびに妻は言いましたね「もう捨てたら?」「いや、無理無理無理」
CD全盛期/EC購入
そんな状況が2000年ぐらいまで続いたでしょうか。LPからCDへの変化に応じて、もちろん「棚ボタ」もありましたよ。聴く対象ジャンルが、それまでとは違って格段に広がりました。LP時代はプログレやニューウェーブを含めたUKロックが 80%を占めましたが、CD時代になってからはワールドミュージックやエレクトロニカ関連で 50%を超えました。これはひとえにぼくの貧乏性の賜物で、年相応に新しいものに対する興味が薄れると、どうせ買うなら昔とは違ったものを、といった算段が働いたからです。特に熱かったのが、Ofra Haza、Marisa Monte、Haris Alexiou、etc。
ワールドミュージックへの関心が増すにつれ、もうひとつ、嬉しい誤算がありました。それが、ECを利用したショッピング/購入でした。アマゾンや楽天市場でポチる、という行為は、それまでのぼくの音楽入手の概念を大幅に変えます。そりゃそうです、ぼくらの世代はLPやCDを実店舗で買うのが当たり前で、視聴コーナーでヘッドホンに聴き入ったり、恋人との待ち合わせにCDショップを覗いたり、そういった一切合切が「音楽文化」だったのですから。しかし~多勢に無勢~、ワールドミュージックは特にそうですが、実店舗で扱う商品数には限りがあるので、直接ECを利用したほうが圧倒的に便利です。I 藤くんに eBay を勧められ、はじめて海外から直輸入盤を受け取ったときの感激 (受け取るまでの不安) は忘れられません。
ぼくのなかでは、CD全盛&EC利用のこの時期から、世の中の変化の加速度が増したような印象があります。子供たちとCDを貸し借りするようになったのも、この時期です。それは「世代交代を身をもって知る」という意味でも、かなり重要な分岐点でした。長女に NE-YO を、次女に Likin Park を勧められ、ぼくは若い世代から超えられる側になった自覚を受け入れ、同時に技術/情報のアップデートの必要性を教えられました。
「あの古いLP、もう聴いてないやん、邪魔なだけ」「いやいや、いつか額縁にいれて飾るって」「いつ引越するの、大邸宅とやらに? はあん?」「いや、まあ、その……、なっ、今晩、子供二人ともおらへんのやろ……」「ちょっと止めて! 触らんといて!」
サブスク時代
2010年頃から、いわゆるサブスク時代に突入します。相変わらずCDを聴いてはいましたが、年々その購買ペースは落ちていきます。自分でも気づかぬうちに、サブスクの恩恵に浴していたのでしょう。ぼくの家庭でも子供たちが次々と独立し、夫婦二人だけの時間がメインになります。仕事では「第一線で戦う」といった役割を終え、ポッカリとした空虚感に不意に襲われたりもしました。そこで、ぼくは再会しました。もはや納戸代わりの子供部屋で見つけた、古びたLPの山。四半世紀を生き延びたぼくの青春のおもいで。ぼくはレコードプレイヤーを買い直し、テレビにサウントバーを繋げ、リビングでアナログ音源が聴ける環境を再構築しました。仕事帰りに中古レコード店を漁るようになりました。
それは、単なる「過去との再会」以上のサムシングです。サブスクへの依存度が高まるにつれ、本来ならフィジカルの必要性は薄れるはずですが、アナログ盤はラストリゾートなのです。サブスク時代の到来で、文化/音楽の所有形態は大きく変わりました。かつては「所有」したものを「共有」することになりました。ところが長年の収集癖リスナーには、身に付いたこの習慣がどうしても拭えません。所有している、という実感がないと、右耳から入った音楽が左耳から抜けるようで心許ないのです。で、ぼくの辿り着いた折衷案が、アナログとデジタルの「二刀流」。
過去の音源 (=全フィジカル) を、ぼくは Windows Media Player で一元管理しています。新しいデジタル音源 (=サブスク由来) については、好みのサウンドに出会うと、それをファイル化して保存します。そうすることによって仮初の所有感を満たすのです。このファイル化こそ、Spotify における自作プレイリストの作成。つまり、ぼくの収集したコンテンツをサブスク環境でも整理するための、フィジカルの代替物です。昨年から始めた note も、実はこれに付随したものですね。一方、アナログ鑑賞のほうは、レコードを聴くという行為そのものを楽しむライブ体験だと考えています。その時々の湿気や盤面状態で思わぬ発見があったり、過去のある瞬間にタイムリープできたり、これはこれで充実した時間です。
たぶん奇妙に感じられるのは、Windows Media Player に保存されたぼくの全フィジカルのなかにLP (アナログ音源) も含まれることでしょう。我ながら歪んだ完璧主義だとは思いますが、アナログ音源をコンテンツ目録だけのために (カタログ化のために) わざわざデジタル録音したものです。もっとも古いLPが、1957年リリースの Disney「Fantasia」。もっとも新しいCDが、2021年の Osanna「il Diedo del Mediterraneo」。つまり、2022年はぼくのリスナー人生ではじめてフィジカルを一枚も購入しなかった画期的な年になります。完全にサブスクへ移行した、という意味で。
奇しくもその2022年、全米で Vynil がCD売上を上回ったのはとても示唆的です (現在では12インチ33回転のアナログ音源をLPとは呼びません)。間違いなくサブスク配信はこれからも伸びるでしょうが、音楽の愉しみかたはより二極化するかもしれませんね。
ぼくの「二刀流」は今のところうまくワークしています。ただ、正直に告白すると、この先ぼくがフィジカル (Vynil) を買うことはないでしょう。かつての価格水準とは違い、現在の Vynil はとても高価です。還暦を超えた非正規労働者には、とても手が出ません。しかし、個人の経済事情は措き、アンリーズナブルか、と問われれば、これでいい、とも思います。音楽愛好家の矜持と嫉妬が入り混じり、マジ贅沢な趣味になっちゃったなあ、と。
人生は断捨離とアップデートの繰り返し。形あるもの (=フィジカル) はいつかは消えます (と、自分自身を言い含める)。
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