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雑感記録(169)

【新年雑感多々】


※本編は雑感記録(168)の続編である。


〈1月1日(月)〉

朝、部屋に差し込む日差しにより目が覚める。新年早々、健康的な生活が始まりそうな予感である。それはそうだ。昨年はベッドの上で点滴を打たれながら、身悶えする痛みと闘いながら迎えたという事実から比較すれば当然に健康的な朝であることは間違えがない事実である。身支度を整え、階下に向かい昨日の年越しそばの残りを駆け込む。ちなみに言うと、昨年は祖父が亡くなっているので喪中な訳だ。そう考えるとおめでたいとは素直には言えない。

僕以外の家族は朝から初売りのセールで甲府駅前にあるヨドバシカメラに買い物に早々出掛けて行った。僕は寒い中外に並びたいとも思わないし、今のところ何か欲しい家電やパソコン機器などは無かったので丁重にお断りし、自宅のこたつで1人+2匹の猫たちと大人しく留守番をすることになった。僕はこたつでテレビを付け、Netflixを開き何を見ようかと思案し始める。とりあえず『バックトゥザフューチャー』を1から3まで流し見することにした。

ぼーっとしながらテレビの画面を眺めて、ただ流れて来る映画に眼をやり、それとなくストーリーを追う。しかし、この映画は過去に何度も見ているのでセリフや場面等はもう何となく覚えてしまっている。僕は過去に見た映画を結構繰り返し何回も見ることが多い。好きな映画は何度も繰り返して見る。ところが、最近公開された映画や配信された最近の映画はあまり見ないのである。見てみなきゃ始まらないのに、何だかタイトルとか予告編を見て満足してしまう自分が居る。

しばらく『バックトゥザフューチャー』を流しボケーっとすること2時間後、僕以外の家族が帰宅する。今日は1月1日ということもあるので家族総出で父親の方の祖母の家に向かうことになっていた。久々に自身の兄貴と会うことになる訳だが、何の感慨もない。強いて言えば、姪っ子が今年の3月予定日らしいので僕の頭にはそれしかない。実家から総勢5人で祖母の家にそのまま向かい、新年のあいさつを済ませそそくさと実家に戻り、皆でおせちをつつきあった。

その後、僕は自身の部屋に戻りパソコンを開き、音楽を掛けながら雑感記録(168)を書き始める。太陽光を浴びながら、時々気持ちの良い空気に包まれながらタイピングを進める。流れて来る音楽は先の雑感記録(168)に書かれているようなオールディ―なものである。LINE MUSICで浜田省吾のプレイリストと吉田拓郎のプレイリストが流れる。いい曲だなと思いつつタイピングし続ける。

しばらくして、母親が僕の部屋に来て洗濯物を干しに来た。部屋に入って来るなり「なんだい、この部屋は!懐かしいね…」と一言。僕は無視してタイピングし続ける。僕は母親を無視して打ち続けるし、母親は僕を無視して洗濯し続ける。何だか変な空間だな、落ち着かんなと思っているとスマホが急にヴーヴーと音を出し震える。「なに、地震!?」と母親は若干の焦り。僕は場所を見て「石川か…遠いな…」と半ば他人事のように考え始めていた途端、割かし大きな揺れが発生。しかも長い。僕はすぐさまパソコンや充電していたもののコンセント類を全部引っこ抜き、家族の集まる階下へと向かう。部屋では浜田省吾の『もう1つの土曜日』が流れる。


階下に行きテレビを見る。テレビの映像。デジャヴ。

最初に見た映像は海岸。車や人々が走っていく光景が映し出される。あの時と同じ光景。何と表現したらいいか分からない。胸が締め付けられる光景。それを僕は画面越しに見ている。この自分の居場所というか、浮遊しているような感覚。現実と幻想が交錯しながら僕の頭と身体の中を血液が緊張を持って流れるのが分かる。その場に居ないが不思議と実感を持って粘膜のように僕を覆いつくしていた。

情報がまだそこまで入ってきていないので、僕等はその映像を見て想像上で話をすることしか叶わない。ただただ居たたまれないというのは家族の中の共通認識ではあって、「炬燵に入りながら夜飯のことを考えつつテレビを見ている」という現状に違和感を覚えていた。何にも出来ないけれど、何にもしようがないというもどかしさを僕は感じ、湯船に浸かった。

湯船に浸かりながら、13年前のことを思い出す。

あの頃は中学2年生だった。4階の音楽室で地震を経験した。長い時間揺れが続き、部屋にあるお琴は全部ぶっ倒れ、建物にヒビが入ったり…。全員教室に戻り校内放送で「授業を辞めて全員下校」と言われ集団下校で自宅へ戻った。自宅へ戻ると母親がテレビを見ながら黙っている。側には兄貴も黙ってその映像を見つめる。僕も荷物を下ろして映像を見つめる。あの衝撃というか、真に「言葉に出来ない」という経験はあれが初めてで、今のところあれ以上の経験は未だにない。

今回の能登半島の地震の規模はどの程度なのだろうと想像を巡らす。経験があるからこそ(この経験とは映像で見聞き知ったという意味での経験である。)、僕は悪い方向へ想像してしまう。何だか落ち着かなくなって身体を温めるということを忘れて早々に風呂から上がり、炬燵に入りテレビに齧りつきニュースを見る。

時間が経って行くと共に状況も徐々に明らかになり始める。

火災の映像が流れた時、両親は口を揃えて「阪神淡路の時と同じだ…」とおどろおどろしげに語る。津波の被害はあったということはこの時点で判明していたが、僕はどちらかというと内陸部の建物の倒壊、建物の1階部分の大破、火災、隆起した地面という光景にどこかリアルさを感じていた。この「リアルさ」というのは、僕が今ここに居る場所では海がないので、津波以外の被害の方が現実的に起こり得る可能性が高いということで「リアルさ」を持って僕の眼前に飛び込んできたのかもしれない。

しばらく炬燵に入りながらその光景を眺め、父親とああでもない、こうでもないと軽く議論じみたことをした。僕の家族は実は土木一家で道路系に何故か強い家計である。僕の兄貴も道路課に居るし、父親もそうである。何なら兄貴の奥さんも土木関係の仕事をしている。皆で「ここの復旧をするには…」とか「土砂災害の可能性もあるよな…」とか、あとは専門的すぎて僕には理解できなかったが若干、白熱した議論になった。

しかし、父親が最後に「ここでなんぼ言ったところで、俺らにはそれを実行することが出来ないし、力になれないのが辛い。」とぽつりと呟いた。そう、そうなのだ。ここでいくら熱く議論して、災害対策が云々とか被災者のことを考えてしなければならないことは云々…とかいった所で机上の空論でしかないのである。どれだけ思っても、どれだけ考えてもそれを届かせたいところに届かせることが出来ない辛さに家族ともども潰されそうになる。


しばらくして、皆で食卓を囲む。父親と兄貴と僕は酒を飲む。僕は個人的にだが、何だかこんな状況でお酒を愉しく飲むことが憚られるような気がしたのだけれども、どうすることも出来ないというあの脱力感というか解脱感にやられてしまいお酒に任せることにしてしまった。

どうやら父親がウイスキーの「白州」を貰ったらしく、それを3人で飲むこととなった。僕は元々蒸留酒というのが得意ではない。そもそもウイスキーの匂いとかクセがどうも苦手である。しかし、白州は飲み易くてしかもクセがあまりなくて美味しかった。初めてウイスキーで美味しいと感じることが出来た。

そのまま僕はちゃんぽんして、気持ち悪くなりすぐに床に入った。今年はどうやら入院せずに済みそうだと安堵し、気持ちいいのか気持ち悪いかもわからぬまま眠りにつく。


〈1月2日(火)〉

早朝も早朝。時刻は朝3:00。目が覚める。昨日ちゃんぽんし、20:00には就寝してしまったので、そりゃその時間に起きてしまうだろう。起きてスマホの画面をチェックするとYahoo!の通知が何件も来ている。「能登半島地震 最大震度6弱」とか「最大震度5強」というもので溢れる。僕が知らぬ間にこれほどまでに多くの地震が発生していたのかという驚きも当然にあった訳だが、それ以上に「そんな中で酔いつぶれて寝てる俺って何なん?」という虚しさが僕を襲う。

家族は皆寝ている。起こさないような音量でYouTubeの地震のニュースを見る。何だか僕は現実感が湧かない。これは以前もそうだった気がする。起きていることが現実離れしすぎていて実感できないというのも勿論あるだろうし、起きていることと僕が今ここに居ることの現実の齟齬というか乖離があまりにも大きすぎて遊離してしまっている感じだ。遠く離れている人間ですらこういう感覚になるのだから現地の人たちはそれをより痛烈に感じているのではないかとこれも僕の想像の域を結局は出ない。

皆が起き始めたので僕も布団から出て階下へ向かい朝飯を喰らう。テレビをつけてどこもかしこも地震のニュース。あらゆるところからの多角的な情報は重要である。太陽が出始め、実際の状況がテレビに映し出される。そこにはあの時にも似た光景が広がる。僕は唖然とする。

昨日に火事が発生していた所は鎮火されているのかいないのかも分からない状況。ただ、少なくとも作業は行われているみたいで広がりは何とか収まった様子であるらしい。また、家屋の倒壊などもハッキリと見えて来る。どこの家屋も1階部分が潰れ、2階部分がドンとそのまま下に落ちているという印象である。

そして明らかになっていく死者数。

その時の報道では「少なくとも5人の死亡が確認された」という形であった。でも、恐らくそれだけでは済まされないだろうと僕は勝手に思ってしまった。あれだけの規模の地震が発生してそれで済まされる訳がない。本心では「これ以上は出ないでくれ」と思っていた。しかし、現実というものはいつだってそうだ。僕等のそういった希望を裏切り、予測しない方向へと僕等を導いてしまうのである。

朝食を済ませた後、今日は母親の祖母の自宅へ挨拶しに行く予定であった。兄貴家族も実家に泊まったので、兄貴の車で全員で祖母の家に向かう。車の中では箱根駅伝を流しながら向かっていたけれど、多分本当は皆が皆地震のことが気になって仕方がなかったはずだ。父親はずっとスマホの画面を眺めて地震の情報をチェックしていたし、当然に僕も駅伝どころではなかった。1時間の後、祖母の家に着きテレビを付け映像と共に地震情報をチェックする。

「死者数は50人以上を確認」

そういった報道がなされた時、何だかもう自分の中でよく分からなくなってしまったのである。加えて、報道記者が被災者にインタビューする映像が流れる。倒壊した自宅を前にたたずむ老人。老人は淡々と話す。「娘と母が建物の下敷きになって…」と何事も無かったかのように話す。取り乱してもいいはずなのに、それを淡々と語る姿が僕の中では1番辛かった。

それは諦めなのか?それは悔恨なのか?それは受け入れられないのか?それは気丈に振舞っているだけなのか?何が老人をそうさせるのか。ここにはきっと僕の想像も及ばない、壮大な何かがあるのは確実だ。それを僕がここで類推することは失礼に値するのでここまでにしておくが、僕は初めて真の人間の根源的な強さというのを目の当たりにした気がした。

その後、祖母と食事を済ませ実家へと戻る。

帰路に向かう車中の中でひっきりなしにYahoo!の通知が来る。そのどれもが「最大震度5強」とか「津波には注意を」という内容のものであった。僕等は通知でそれを知る訳で、これもまた僕には実感を伴わない「怖いな」というのがあった。現地に居る人はその何千倍も怖い思いをしているのに、僕が感じる「怖いな」なんて言うのは只の戯言に過ぎないのだと反省する。

自宅に着き、僕は自室にこもり太陽光を浴び思案する。しかし、この空間でいくら思案した所で状況は変わらない。煩悶としながら僕は太陽光に誘われ昼寝をする。卑怯だなと改めて思う。

夜になった。テレビで僕は『とんねるずのスポーツ王は俺だ!』を見る。毎年愉しみにしている番組で、昨年は入院していて見られなかったので今年こそはと息巻いて気合いを入れて見ようと心に決めていたのである。しばらくテレビを見てテニス、バスケと見ていったのだが突然ニュース速報に変わる。また大きな地震があったのか!?と気が気でなかったのだが、その内容をみてこれまた唖然とする。

「日航機が羽田空港で爆発」

これもテレビの映像を見て驚く。僕はてっきり乗客とか巻き込まず、何かメンテナンス中とかに小さな形だなのかなと思っていたからだ。しかし、日航機はほぼ全焼。加えて乗客が400人程度も居たというではないか!?もうこの際、飛行機の爆破なんかはどうでもよくて、その乗客の命がどうか、全員無事かどうかが心配だった。

これも状況が徐々に徐々に判明してくる。原因として報道されている情報だと、「被災地に救援物資を送ろうとした国交省の飛行機と日航機が着陸の際に衝突して爆発した」ということであった。僕はそれを見た時に不覚にも怒りにも似た感情を覚えてしまったのである。いや、もうあれは怒りだ。誰にぶつけられる訳でもない、言わば行き場のない怒りそのものである。

「いや、待てよ」と。「これってどう考えても未然に防げる事故だったでしょ。」と。飛行機はある程度というか多少時間はズレても予定通りに運航するのだからあらかじめどの飛行機が来るというのは分かっているはずだ。加えて地震が発生し、当然に救援物資の空送だって考えられる訳だ。だから、これは何処からどう考えても防ぎようのあった事故だと僕は少なくとも思っている。

地震のような天災はどう頑張っても防げないからこそ、言い方は非常に悪いが仕方ない部分はある訳だ。言ってしまえば防ぎようがない。我々の日頃の防災意識がある種試される部分でもある訳だ。ところが、これについては人為的な事象であって、予防や対応などいくらでも防ぎようがあったはずだ。例え、不測の事態で国交省の飛行機が止まっていたとしても、そこに居た人の想像力を働かせれば、ある程度は防げたんじゃないのかと僕には思えて仕方がないのである。

と、ここまで偉そうに書いているが、実際そこでどういうことが起きて、どういう対応をしたのか分からないので精々書けるのはこのくらいだ。もしかしたら、それを防ごうと動いた人はいるかもしれないし、どうしても何らかの事情で防ぎきれなかったということもあるのかもしれない。でも、それにしても、僕はやりきれないというか、「何してくれてんだよ」という怒りがどうも抑えられない。何でこれ以上哀しいことが起きてしまうのか。しかも、僕等人間の手で招いているということ。これは罪が重い。

なぜ"人の手"で無関係な者まで亡くならねばならないのだ。

僕は悔しくて悔しくて何だか堪らなくなった。日航機も救援物資を乗せた飛行機もお互いにお互いの目的の為に一生懸命に動いていた。それなのに、何故こんなと落胆にも似た何かが僕を襲う訳だ。だがしかし、忘れてはいけないのは僕なんかよりもそこに居る人たち、実際にそれを経験している人たちに比べたらノミ程度のものである。いくらここで僕が怒りや哀しみを書いたところで、そこに居る人たちには及ばないのだ。

だからこそ悔しい。何だか周辺でやいのやいの騒いでいる野次馬と僕は結局変わらないのだ。昨日の地震もそうだけど、これまでここに延々と書き連ねてみても、僕は只の野次馬にしかなれない。それが悔しいのだ。ただ僕は傍観者としてここに居て、事情も知らないまま僕の勝手な想像でしか、しかも外側から見ていることしか出来ない。

結局、『とんねるずのスポーツ王は俺だ!』はその後も通常通り放映されたが、苛々してしまって途中で切り上げ早々に怒りと哀しみを抱えながら床に入った。


〈1月3日(水)〉

今日は天気があまりよくない。目覚めたのは朝9:30。太陽もあまり出ずに寒い。起きるのが億劫だったが、パジャマの洗濯もせねばならないので仕方なく起きる。

僕以外の家族は皆各々自由に過ごす1日となる。朝飯も「テキトーに食べといて。今日は何もしないから~。」と母親の一言から始まり、言葉の通りテキトーにご飯を食べ、2階へ向かいこうしてパソコンを開きこのnoteを書いている。

明日には東京に戻らねばならないのでとりあえず特急券の予約だけえきねっとで済ませた。特急あずさはかなり込んでいたので、特急かいじで帰ることにした。腹立たしいのは東京方面から甲府にくる際には乗車駅が東京駅と新宿駅と選べるのだが、甲府から東京駅までの特急はない。僕は東京駅で降りたかったのだが仕方がない。ここは我慢である。しかし、このくらいの我慢は当然にするべきである。今も帰れない人が居るのだから、戻れるだけ僕はまだまだマシなのだ。

「能登半島地震の死者は68人」

Yahoo!の通知がスマホに来る。確定したかどうかは分からないが、当初報道されていた人数よりもやはり増加しており言葉に詰まる。テレビは普通の放送に戻っており、地震のことを集中的に取り上げているのはNHKぐらいなものである。果たしてそれが良いのか悪いのかは僕には分からない。それでも日常の生活に戻ろうとしているという意思は僕も大いに賛成したいところではある。

色々とここまで書いておいて「何もできない」ことを嘆いていても意味がないなと思いネットで色々と調べて募金とか救援物資とかの提供が出来ないかと考えた。しかし、僕は何だかそれをする気が起きなかった。募金をして、例えばそれが明確に被災者の生活に本当に役に立ってるか分からない。闇雲に募金をするのは何だかよくないと僕は感じた。それに救援物資を提供するとなっても、昨日のニュースで羽田空港が封鎖され届ける手段はない。じゃあ、自分で車出して行くか?ともなるが、行って必死に生きている人の邪魔をしてしまうのではないかと思いそれも憚られてしまう。

しばしば、「考えるよりも行動することが大事だ」と言われる。しかし、これが良いか悪いかはこの場合はしかと考えなければならない。僕は財力もないし、影響力を持つ人間でもない。向うへ行って役に立ちたいと思うけれども、行くことで逆に邪魔してしまいそうでむしろ「それなら来るなよ」となりそうだと様々に考える中で断念した。

とこういう風に書くと、「それはお前が動きたくないだけのただの言い訳じゃないのか?」と思われてしまいかねない。しかし、この際そういうこと言われても気にはしない。何も考えずに動く奴よりはまだ真面だと思っている。だから僕が今出来ることはなんだろう…と考え続けることが今は大切なんではないのかなと思う。これはある種、13年前の個人的教訓でもある。

だから、僕等は普通に生活して、「これしてほしい」「あれしてほしい」とかっていう要請があれば全力で手伝うということしか出来ないのではないかと思う。現段階においてはね。徐々に元の生活をとりもどしてくるというタイミングで何かしらプラスになる大々的なことが出来ればいいんじゃないかなと僕は思っている。


新年雑感。
新年早々、慌ただしい。

今年もよしなに。





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