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雑感記録(149)

【再現不可能の美】


11月2日(木)

3連休、僕は地元へ戻った。およそ1か月ぶりの地元だ。11月2日の夜、身支度を整え東京駅へ向かう。いつもは新宿駅から特急に乗って帰るのだが、東京駅から乗ると「当駅始発」となるのでゴミゴミした人の列に並び特急が今か今かと苛々しながら待つ時間も無くて済む。それに僕の最寄りは神楽坂になるので東西線で大手町まで出てしまえば東京駅などすぐだ。新宿駅に行くよりもかなり楽である。

しかし、連休ともなると「当駅始発」でスムーズに乗れるとは言え、やはり人が多くて苛々する(とは言え、新宿駅から乗り合わせる人数を考えたらかなり少ない方だ)。僕は特急に乗るとき、隣の席に座られるのが嫌である。これは特急に限らず、他のところ、例えば駐車場なんかでもこれは頻繁に起こる。

まず、大前提として「自身の周囲以外にも多くの停車可能(あるいは乗車可能)なスペース(あるいは席)が存在している。」ということがある。そのうえで話をするが、察しの良い人であればこの時点で理解できるのではないだろうか。つまり、「なんで広いスペースが他にもあるのにわざわざ隣に停めるの(あるいは座るの)?」という怒りというか疑問である。仮にこの大前提が既に厳しい状況にあるということであれば、それはどう頑張ったって変えられるものでもないので我慢できる。

ところが、何故か嫌みのように敢えて隣に停めたり座ったりしてくる輩もいる訳だ。僕は未だにその神経というか、考え方が理解できないのだけれどもまあそれは置いておくとしよう。とにかく、僕が東京駅から特急で甲府へ向かう際に、何故か僕の隣以外に沢山席が空いているし、人も少ないのにわざわざ僕の隣を選んでくる奴が居て苛々してしまったというただそれだけの話である。


苛々と闘いながらおよそ2時間電車に揺られ、甲府へ着いたのは23:40頃であった。電車を出てまず「寒い!」と感じたし、それが思わず声となって宙を舞った。どうしてああも突発的な感情というのは瞬間的に言葉として、音声として口から出てしまうのだろうか。これは27年生きてきても未だに分からない謎である。人間とは不思議な生き物である。確か吉本隆明だかが何だか言語の成り立ち的な話でこんなようなことを書いていたような気もするし、気もしない。まあ、それは置いておくとしよう。

僕はワイシャツ(とは言っても厚手のワイシャツ)1枚とチノパンで降り立った。寒い。ホームを歩き改札へと向かう。東京みたくいくつもの路線が通っている訳でもないので上へ行ったり、下へ行ったりと右往左往しなくていいのが楽である。上を見ながら迷子になる必要すらないのである。下を見続けてでも改札を抜けられる。そのぐらい単純明快な駅である。

改札を抜けてまず僕は「ああ、タバコ吸いてえな…」と足が喫煙所の方へ向かう。これは喫煙者あるあるなのかもしれないが、どれだけの環境でもタバコは吸いたくなってしまうのである。そりゃ大病患うと吸う気すら失せるのだけれども…。「たとえ火の中水の中草の中森の中、土の中雲の中あのコのスカートの中」元気であれば吸いたくなるものである。しかし、僕らが吸える場所はただ1つ。喫煙所である。

甲府駅北口の喫煙所で一服。この季節になると空気が乾燥してくるので煙がよく見える。いつもよりも白く濃い煙が宙を揺蕩う。しかし、タバコの煙を見るのが楽しくて吸っているわけではない。ただ、何となく漠然と「タバコが吸いたい」というそれだけに突き動かされてのことである。何の理由もなく、そして最高に無意味的なことが僕にとってタバコを吸うことであり、それは同時に僕にとって必要不可欠な無駄な時間である。僕は1本を時間を掛けて吸う。

そういえば、タバコのことを書いていて思い出したが、二葉亭四迷の『浮雲』の喫煙シーンについて斎藤緑雨が痛烈に批評しているのを思い出した。

臺がオロシヤゆゑ緻密々々と滅法緻密がるをよしとす「煙管を持た煙草を丸めた雁首へ入れた火をつけた吸った煙を吹いた」と斯く言ふべし吸附煙草の形容に五六分位費ること雜作もなし其間に煙草は大槪燃切る者なり緻密が主にて本尊に向ひ下に居らうと聲を懸るときあれど敢て問はぬなり唯緻密の算段に全力を盡すべし算段は二葉より芳しと評判されること請合なり折々飜譯するもよし但し緻密を忘れさへせねば成るべく首も尾もないものを擇ぶべし

斎藤緑雨「小説八宗」『明治文学全集第28巻 斎藤緑雨集』
(ちくま書房 1966年)P.203より引用

僕は二葉亭四迷ほど描写も上手い訳では決してないし、自分で緻密に描写している訳でもないので関係ないと言ったら関係ないかもしれないが、少なくともこの時点ではタバコちょうど吸い終わってるんじゃないかなとは思う。昔と今のタバコは違うからな…と何故か自分自身を納得させようとしている。多分、せっかちな人だったら吸い終わってるはず…。

タバコを吸い終えて、寒い中僕は自宅へと歩いて向かう。夜も遅いし「迎えに来てくれ」というのも何だか気が引けるので歩いて帰ることにしようと思っていた。ところがもう寒い中歩きたくない訳だ。駅から20分かけて自宅まで重い荷物持って歩けるかよ。ええい、タクシーだ、タクシー…。

僕は結局歩いて帰った。

自宅に着くと父親も母親も起きていて、どうやら僕の帰りを待ってくれていたらしい。僕はてっきり2人とも寝てると思ってたもんだから、家の鍵も静かにそーっと開けて入った訳で…。俺の気遣いを返してくれとは言えなかった。

僕は身支度を整え2階へとあがり眠りにつく。2階に上がる前、父親に一言「部屋でタバコはもう吸わんでくれ」と言われた。僕は紙タバコも電子タバコの2刀流で自宅ではいつも電子タバコを部屋で吸っていた。しかし、僕が出て行ったあと、僕の元の部屋は兄夫婦の子供部屋にするとのことで綺麗さっぱり片付けられていた。僕の思い出の品は大概が捨てられていた。

「生まれてくる姪っ子の為なら仕方がない…。」と我慢を決意したのも束の間。「でも、出産予定日って来年の3月やん。まだまだ先やん。……ニヤリ。」と自身の部屋の窓を全開にして震えながら電子タバコを吸う。何とも言えぬこの背徳感と共に吐く煙の何と美しいことよ…。この煙は再現不可能だ…。と感慨に浸りながら電源の落ちるまで吸い、それと同時に僕の電源も落として次の日に備えた。既にその次の日だったが…。


11月3日(金)

朝、早く目が覚めた。今日は朝飯を作らなくていいのかと思うと何だか気が楽だった。服を着替え階下へと向かう。洗濯機に寝間着をぶん投げ、リビングへ向かう。すると、何と言うことだろう!朝飯があるではないか!?と一瞬感動してしまった。朝飯があることの幸せ。僕は最近ゆっくり寝たいが為に朝飯は出勤途中に購入し職場で食べている。そう考えると朝ゆっくりご飯を堪能できるのはどことなく嬉しい。

朝食を済ませたあと、待ち合わせまで時間を潰す。そう、今日は久々に会う社長と小林敬生さんの作品を見にギャラリーへ連れて行ってもらうことになっていたのである。

小林敬生さんの作品については銀行員時代に社長から教えて頂いて、衝撃を受けてそこから画集を購入して眺めていた。いつか生で見れたらなあと思っていたので、なんと僕は非常にグッドタイミングで地元に戻って来たのだろうと我ながら凄いなと思ってしまった。先日の記録で古本巡りのことから偶然について書いた。正しく偶然である。誘って頂いた社長には感謝しかない。

それで図々しくも社長の車に乗せて頂いて明野へ向かう。ギャラリーへ向かう道中、僕はこれまでのことを社長に話しまくった。積もりに積もったものを全てぶちまける様に話した。それでもいつも快く寛大な心で聞いてもらい、僕が一方的に話過ぎてしまって申し訳ないなと思いつつも、それでも僕は社長と話せることが何よりも嬉しくて堪らなかった。着くまでの間、僕は幸福な時間と共にギャラリーへ向かっていた。

ギャラリーに着くと、ちょうど小さい子供たちが沢山居た。どうやらこのギャラリーで泊まり込みで創作している方のワークショップがあったらしい。賑やかではあったものの、落ち着いた賑やかさが僕には堪らなく心地が良かった。美術館などで開催するワークショップは正直「うるさい」という印象しかなく、わちゃわちゃしていて見ているこちらにもまず「大変だな」というのが伝わってきてしまうのだが、ここは何だか異質だった。

そんな子供たちを横目に入口から受付を済ませギャラリーへ入っていく。小林敬生さんの展示だけを見に来たつもりだったのだが、様々な方の作品が展示されており、それも凄く面白かった。それに目を奪われながら展示されている2階へと階段を上がっていく。



階段を上がっていくと、壁一面に作品が所狭しと展示されている。まず以て僕はそのインパクトにやられてしまった。今まで画集でしか見られなかった作品を生で見られるというのはやはり貴重な体験であるし、幸福な時間である。

『蘇生の刻』(S62)

社長は元々、銅板画を学んでいたということもあって版画について物凄く詳しい。作品を1つ1つ見ながら僕が気になった点を話すと、社長はその部分に対する技術的な話をしてくれる。「こういう技法で彫られている」という説明をしてくださるのが僕には凄く嬉しい。というのも僕がその作品に能動的に関われるような形で説明をしてくれるので本当にいつも愉しく見られる。

小林敬生さんの作品の大きな特徴は木口木版であるということだ。これは非常に簡単に書くのならば、1本の木の断面に直接彫るみたいな感じだ。僕等は小学生の時分に図工の授業で木版をしたことがあるだろう。所謂、木の板に彫刻刀で彫ってインクをつけて刷る。その時に僕らが彫っていた板はホームセンターで販売されている形成された木板である。ところが小林敬生さんの場合は木そのものを彫っていくという感じだ。写真を見て貰えればお分かりだろうが、画の形が木の形そのものになっていることで分かるだろう。

小林敬生さんの作品を見ると非常に面白いことに、必ず魚、鳥、昆虫、そして植物が描かれている。さらに年代が進んで行くごとにビル群といった人工物がそういったものに侵食されている画が多くなってくる。どこか1つの主題として「自然」というものが描かれている。作品のおよそ8割が「自然」に侵食されている。僕は何故「自然」を書くのだろうか…と疑問に思ってしまった。

僕は個人的にではあるが、「自然」というものをどうして人は描きたがるのだろうかと思っている。そもそも「自然」というのは僕らがどう頑張ったって捉えきれないからこそ「自然」であるのであって、それを画面上に無理矢理人の手で「紙」というものに収めようとするのであろうか。しかも、小林敬生さんは木口木版という形で「自然」そのものを使って彫り、そこに更に「自然」を彫っていく。これが何だか不思議で堪らなかった。

しかし、見ていくとこれまた面白いことに気づく。

この画が1番それを良く表現出来ていると思うのだが、左端に着目してもらうと昆虫(バッタ)が木口の枠からはみ出て遠近法を以てして僕らの方へ向かってきている。更に下の方を見ると木口の形からはみ出す様な形で鳥が貼り付けられている。なるほど、これは面白いなと僕は思った訳だ。

ここからは僕の勝手な妄想になるが、「自然」を描くことで逆に「自然」は描けるものではない、簡単に捉えきれるものではないということを身を以て示してくれているのではないかと感じたのである。加えて、飛び出している昆虫や鳥や魚は僕等を挑発している。「お前らにこの凄さが分かるか」とでも言うようにこちらへ今にも飛び掛かりそうなそんな印象を受ける。

何と言うか、端的に言えば逆説的な「自然」がそこに存在しているような気がするのだ。



上記で色々と書いた訳だが、個人的に1番面白いなと思った作品がこれである。ちょっと写真なので見えにくいかもしれない。パッと見だと違う画なのか?とも思われる画なのだが実は全く同じ画である。厳密に言えば版元が同じであるのだ。つまり刷っている木は同じなのである。

これの作り方がまた凄く面白い。写真左の画は木口を通常通りに彫り、通常通りに刷ったものであるのだが、写真左の画に関しては写真左で使用した版元(木口)を更に深く彫り進めたうえで再度刷った作品になる。遠目で見ると中々その凄さが伝わらないのだが、近くで見るとこの作品の凄さが分かる。

写真左の画では写し出されていたものが、写真右の画では薄くなり消えかかっていたりする。逆に写真左の画では写し出されていなかったものが、写真右の画では鮮明に写し出されているということがある。同じ画、厳密には彫られた画の内容は同じであるにも関わらず、写し出されるものが異なるのである。これは非常に面白い。というよりも僕は思わず感動してしまった。

僕は芸術の素晴らしさの1つ、美しさの1つとして念頭に置いていることがある。それは「再現性がないものの美しさ」ということである。簡単にそしてもっと平板に言うならば「唯一無二」ということである。版画の場合、版元が存在しているので再現性は高いように思われるかもしれないが、実際色の濃淡などは刷る人によって異なるだろう。ところが、その大元である版元を改変してしまった訳である。つまり写真左の画は再現不可能なのである。

僕はこういった再現が不可能な作品に心奪われることが多いし、美しいと感じることが多い。それこそ「生きる」ということに繋がってくると僕は勝手に思っている。僕らの人生は再現が不可能である。当たり前っちゃ当たり前だがそれを意識されているかどうかは分からない。しばしば人は「もう1回やり直せばいいんだよ」と言うが、それはどういう意味で言っているのだろうか。結局僕等人間はそうしたくなくても再現可能な方向へ無意識のうちに進んで行ってしまっているのではないか。

これは例えば、僕らが過去に思いを馳せるということが正しくこれなんじゃないのかと思う訳だ。僕もしばしば「あの頃に戻りてえな」と今この現実を目の当たりにしてふと考えてしまうことがある。しかし、例えばそのまま過去に戻って同じ日々を過ごしたとしたらどうだろう。もう1度繰り返したところで、そこに僕は価値は見いだせない。再現できないからこそ尊いものではないのだろうか。

今、この現在時点から再現不可能な過去に思いを馳せることが出来るからこそ僕等は「生きる」ことが出来るのではないだろうか。「生きる」ということは再現不可能な今この瞬間に存在するということなのではないだろうか。この小林敬生さんの画も版元というところを更に彫り進めることで今、この瞬間を「生きる」ということを版画で表現しようと試みたのではないだろうかと僕には思えて仕方がなかった。


しばらく作品を眺め、社長と少し話をした。話の中で社長の学生時代に小林敬生さんから教えを受けたというのである。僕は単純に凄いなと思って、聞いてみた。「実際にどんな感じだったんですか?」と。社長は学生時代の話を少ししてくださった。

その中で僕がなるほどと思ったことがある。それは「職人」と「アーティスト」というところの境界線というところである。話の内容的には当時社長が教わっていた教授の話で、その方と小林敬生さんを比較した時にこういう話が出た。僕は色々と考えてしまった。ちなみに小林敬生さんは「アーティスト」の部類に入るのではないだろうかということだった。

確かにそうだ。僕等は一般に美術作品を見て「これは職人技だ」と形容することがしばしばある。しかし、その作品の技術的な部分に於いてのみ素晴らしさを感じる訳である。作品自体が僕等に訴えかけてくる得体の知れない何かというよりも、そこに至るまでのプロセスが「職人」であるということなのだろうと思う。作品単体としてはパッとしないけれども、細部を見ていくと凄い細かかったりして美しいと感じることもある。

小林敬生さんの場合は確かに「アーティスト」というような気がする。実際年々精緻さを増していくのだが、一貫した「自然」というものに対するテーマというかある種の信念みたいなものは通底している。僕等に訴えかけてくる、これまた得体の知れない何かがそこには存在していた。言い方は悪いが、そこに描かれている動物たちは近くで見るとたまに雑に描かれていることがあった(他の彼の作品と比較した際にだ)。それでも僕等に与える何かは大きいものがある。

この話を聞いて僕はすぐさま清原啓子さんが頭の中に浮かんでくる。

清原啓子さんについては過去の記録を参照されたい。彼女の作品は技術的にも細かいしそこに至るまでのプロセスが彼女の創作ノートを見ると伺える。そして彼女の場合には本に触発されて作品が描かれることが多い。この場合はどうなのだろうと僕は考えてしまった。彼女は「職人」なのか「アーティスト」なのか…。

少なくとも、僕は彼女の画を見て心に刺さることが数多くあった。また彼女の言葉と併せて見ると物凄くそのストーリーというかコンセプトが非常によく分かる。きっと彼女は「職人」と「アーティスト」の狭間に居て、どちらかに振り切れなかったのではないかと邪推してしまう。

これから どうなるのだろう
鎖から とき放たれたなら

翼を持つ事が 出来るのだろうか
蠟の翼 光にうたれるだけの 幻なのだろうか

束の間の淡い時の流れの中を
蜻蛉の様に生きていけたらと想う

あれは翼なのだ
羽根ではなく 透きとおる翼
一粒の水滴を
狂える月の光と同じ
夢の中に溺れていく ガラスの玩具

狂気の檻を
白夜のむせぶ香油の花園と信じ
たわわに まよい飛ぶ 蜻蛉

清原啓子「清原啓子制作メモ 1985年4月30日」
『清原啓子作品集』(阿部出版 2017)
P.132より引用


しばらく小林敬生さんの作品を愉しんだ後、他の作品についても見て回ることにした。絵画よりもインスタレーションがメインで展示されており、かなり面白かった。

個人的にこの展示が面白かった。奥に見えるモップみたいなものは実際にはクルクル回っており、モップの部分がパスタである。手前に落ちているのはミートスパゲッティである。正直、僕にはこの作品のコンセプトやら何を
表現しているのかさっぱり分からなかったが愉しかった。

しばしば、作品に触れて僕等はそれを無理くり言葉に落とし込んで理解しようと努める。そう、正しく僕が延々と前述していことそのものである。僕は小林敬生さんの作品をあーだこーだと偉そうに語っている訳だ。しかし、本来的なことで言えば純粋に分からないなりに愉しむということが大切なんではないのかなと本末転倒なことを思ってしまう。

芸術作品の良さはそれこそ再現不可能であると同時に、分からないことを分からないまま自身の中に留保できるという点にある。しかし、言葉にしないと人間は分からない。その矛盾が面白い。再三に渡って言うようだが、それこそ「生きる」ということでもある訳だ。

凄くいい雰囲気…

社長と色々と語りながら展示を見て満足し、帰路につく。帰りは社長とラーメンを食して解散した。非常にいい経験をした。というよりも、いつもこういう経験に誘ってくださる社長には感謝しかない。また一緒にこういう所へ赴き色々と話をしたいと思う。また会える日が待ち遠しい。


11月4日(土)

書こうと思ったが、これはInstagramに別途投稿することにしよう。


11月5日(日)

幸せを噛みしめて東京へ戻った。


よしなに。

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