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雑感記録(129)

【振返ってみたとて…】


2週間ぶりに仕事へ行った。コロナになって1週間休み、その後はそのまま夏休みに突入し1週間休んだ。とは言え、実際のところ夏休みは引越の準備で忙しく休んでいる暇はなかった。でも何故だろう。やけに充実した夏休みを過ごせた気がする。もしかしたら、そう思いたいだけなのかもしれない。我ながらアクティヴに動いた夏休みだった。

僕が仕事を休んでいる間は僕の直属の上司が代りに案件処理をしてくれて、本当に感謝してもしきれない。出社早々、上司に頭を下げて「ありがとうございました!」とデカい声で思わず言ってしまい、支店の注目を浴びてしまった。これはこれでまた上司に迷惑を掛けてしまった。申し訳ない。それでも上司は「まあ、お前も色々と忙しいからしょうがないよな」と僕に言葉を掛ける。泣いてもいいですか…。

それで休む前に連絡しそびれた取引先に謝罪を只管続ける1日だった。電話越しに滅茶苦茶に怒鳴られた。「コロナに罹って連絡が遅くなってすみません。」と正直に話したら「電話ぐらい掛けられるだろ、このタコが!」と言われ、続けざまに何だか話されたが幸運なことに、これは嘘でも何でもなく電話が遠かったので、何を言ってるか理解する間もなく終了した。しかし、怒鳴られてもしょうがない。これは完全に僕が悪いのだから。コロナに罹っちゃったんだから、自己管理できてないもんね!ドウモスミマセン。もう2度と担当しません、連絡しませんから安心してください。

まあ、そんなこんなで1日を終えて相も変わらず煙草を蒸かして帰る。煙草を蒸かしながらボケっとする。あと1ヶ月で僕の銀行生活は終るんだよなと嬉しさ8割、寂しさ2割ぐらい。ふと色々と思い返してしまう。


銀行生活は僕にとって苦痛でしかなかった。これは紛れもない事実だ。それは単純に「仕事が辛い」とかいう訳ではない。銀行と言うシステムそのものにうんざりしてしまったということが大きいだろう。勿論、全てが全て苦痛であったということでもない。中にはそれなりに愉しめることもあった。

僕が銀行に入ったのは「そこに入りたいから」という理由では決してなかった。ただ「地元に戻れればそれでいい」という学生特有の甘っちょろい考えという訳でも決してないと言ったら嘘になるのかもしれない。僕は私立の大学に行かせてもらえたという点が1番大きかったなと改めて思う。

僕の家庭は決して裕福なものではなかった。所謂一般的な家庭だ。小学校から大学までは国公立へ行くというものだと小さい頃から何となく思っていた。現に僕の兄は全てがそれだった訳だ。だけれども、僕は大学で文学を学びたいという理由で早稲田に行かせてもらった。両親は別に否定するでも何でもなく「お前が好きなようにしなさい」と後押ししてくれた。しかし、子供ながらに「そうは言ってもな」と思うところが少なからずあったように思う。ちょっとした後ろめたさにも似た何か。

「僕の我儘を聞いてもらったのだから、せめて卒業したら地元に戻ろう」

そう考え始めたのは大学3年の就活がそろそろ始まるという時期だった。大学生なりに自己分析をして自分には何が向いていて、どういう仕事をしたいのかということを考えるのだけれども、そうしていく中で僕は気づいてしまったのだ。今までどこかひた隠しにしながら大学生活を送っていたのだけれども、その後ろめたさに似た何かは実体を持って僕を侵食してくる。そうして僕はこの結論に辿り着いてしまった。

しかし、地元に戻って自分に合った職種を探すのは困難を極める。自分がしたいことといえば何か本に関わる仕事だった。それか僕が心血注いできた文学や哲学が活きる仕事。贅沢な考えかもしれないが、当時の僕にとってはこれが拠り所だった(それは今も変わっていないけれども、若干大人になって割り切れるようになった…はず!)。ここで僕はちょっとした決断を迫られる訳だ。「地元で仕事に就く」か「自分がやりたいことを仕事にする」。

僕は地元で就職活動を始めることになるのだが、愕然とする。必死になって色んな所へ脚を運び話を聞くが、何だかしっくりこない。悉く「これは本当に自分がやりたいことなのか?」とわだかまりを抱えたまま話を聞き続ける。

これは地方あるあるだと思うのだが、地元で就職するとなったらまず選択肢として必ず挙がるのが地方公務員。県庁や市役所、あるいは国立大学法人であったりする。その次に出てくるのは地方銀行。やりたいことがない学生にとっての選択肢は大体この2択だ。

僕の家庭というか家族は皆が皆、公務員である。父親然り、兄然り、そして母親然り…。僕も一応公務員試験を受けることになったのだが、面倒くさくなって辞めた。そうするともう僕に残された選択肢は地方銀行しかなかった。それで僕は地元の銀行に就職せざるを得なくなった。


「銀行はあまりにも僕に合っていなさすぎる」

入行して働き続けるにつれてその思いは日に日に増していく。そして大学時代、友人に言われた言葉がグサグサと僕の胸を刺してくる。

「お前が銀行!?合ってなさすぎるだろ!」

しかし、他人は自分を映し出す鏡である。僕よりも僕がどんな人間であるかは分かっている。それなりに深い時間を過ごしてきた仲であれば。だからこそ、この言葉に僕は苦しさを覚えた。腹を括って、自分がやりたいことを押し殺して「地元に戻る」という選択をした僕の決断に僕と言う現実がぶつけられている感じだ。ただ、それでも、僕もそれは承知の上で銀行に入行したのだからと自分を納得させて騙し騙しで毎日を過ごしてきた。

人間は頑丈に出来ていない。いつか小さな綻びから一気に瓦解していくものだ。そういうのはある日突然やってくるものだ。しかも、想像もできないところからそれはやって来る。

僕の場合、カフェで煙草を蒸かしながらルクレジオの『物質的恍惚』を読んでいる時だった。3年前のことになる。

何だか生きているのが馬鹿馬鹿しくなってしまった。人間はどこから生まれてどこへ向かって行くのか。些細なことかもしれないが、ふとこれを考えた時に「このままじゃ多分、どこかへ自分が消えてしまうかもしれない」と思ったのだ。それがどういう感情かは表現するのが些か難しいのだが、芥川がいうところの「唯ぼんやりした不安」なのだろう。まがまがしくも僕の心を侵食していく。

そうして、また大学時代のある場面が思い出される。

「ルクレジオ読むとね、仕事なんかねアホらしくなるよ。」

卒業祝いで大学の友人たちと新宿ゴールデン街にある文壇バーへ行った時のこと。狭い店内に4人がスーツを着て酒を飲む。そこに居合わせた自称東大出身の塾講師と言う男が僕らに向かって放った言葉だ。どんな流れでこういう話になったか鮮明には覚えていないのだが、この言葉だけは強烈に残っている。この言葉を聞いた当時は「何言ってんだ、このおっさんは?」と鼻で笑っていたが、働き始めてから読むと言ってることが何となくだけれども分かる気がした。

仕事がアホらしくなるというよりも「生きることがアホらしくなる」というように僕は感じた。ルクレジオはいつ読んでもどこか浮遊しているような気分になる。自分自身がどんな存在であるかを考えるのも馬鹿馬鹿しい。生きていることすら馬鹿馬鹿しい。何で自分は働いているのか。色々な思索が駆け巡る。そして僕は泥に堕ちていく。

今、この社会で生きるということは同時に働くということを指しているのではないかと僕は考えてしまった訳だ。人生の半分以上を労働に費やす。自分が何かしたい、やりたいことがあると言ってもそこには必ず労働が介在する。何かしたいことをするのにもお金が居る。お金を生むには労働しなければならない。しかし、生きるために労働することが果たして本当に生きていることになるのか。だったら、たとえお金が稼げなくても好きなことに身を任せてしまおう。

僕は転職することを決意した。


そこから苦節2年間の転職活動をしてきた。本当に自分がやりたいことは何なのか、僕が目指しているところは何なのか、僕にとって生きるということは何なのだろうか。様々な方向に考えを巡らせる。最初の1年はじっくり自分を見つめなおすところから始めた。

その為に僕はただ黙々と読書をし続けた。1年間は脇目もふらずに読書をした。仕事の試験勉強もそっちのけで読書に時間を費やした。職場では散々怒られもしたがそんなの関係なかった。そんなことやってる暇があったら自分としっかり向き合う時間の方が余程有意義な時間である。

色々と読み漁る中でまず気付いたことは「やっぱり本が好きだし、そういう世界に居たいんだな」と言うことだった。自分が今まで心血注いで学んできたことに触れ続けたい。それは勿論、銀行に在籍していても出来るのだけれども、それでもやはり足りない。時間は有限だ。それに人生の大半がそこからかなり隔たった所に居るということが悔しかった。だったら好きなことをとことん追求できる環境に身を置こうと思った。

そうして残りの1年で具体的な職を探し始めた。あとは過去の記録でも何回か書いているのでもう書きはしまい。


振返ってみたとて、僕自体には何もない。ここまで仰々しくカッコつけて書いているが別に大したことは何もない。ただの一般的な転職者に過ぎない。だって結局は銀行が嫌で辞めるのだから。「やりたいことのために銀行を辞める」というようないい感じに見えかねないが、詰まるところはそういうことだ。

ただ1つ言えることは、僕は幸運だった。それに尽きる気がする。銀行は嫌いだが、銀行で一緒に仕事をしてきた上司、先輩、同期、後輩は好きだし恵まれていた。それにここでしか出会えなかった人たちと深い関りを持つことが出来て、良い出会いも沢山あった。そういう点で僕はやはり恵まれていた。

銀行に感謝はしていないが、僕に深く関わってくれた人には多大なる感謝をしたい。

よしなに。



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