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付き添い登校の日々の中で

僕は聖教新聞に勤めて16年目の記者です。妻、小学1年の息子、幼稚園年少の娘と4人で暮らしています。2019年に第2子が誕生し、翌年にはコロナ禍のステイホームを経験して、子育てにもっと関わりたいと思うようになりました。そうした中、長男が「幼稚園に行きたくない」と宣言。小学校に入学してからも、学校に行ったり行かなかったりという今に至ります。家族と歩む中で、僕自身もメンタルヘルスを崩したり、部署を異動したり、いろいろなことを経験しました。それは、今も現在進行形で、僕という人間を大きく育ててくれています。そんなわけで、「育自」日記として、思い出を含めて書いていきたいと思います。

うれしさと、疲れと、迷いと。

小学校の入学式に参加し、60分の〝親子分離〟をした息子。
実は春休みの間、息子はことあるごとに、ママ(妻)には「小学生になったら、俺は学校に行くぜ」と言っていました。
例えば休日などに創価学会の会合へ一緒に行く際は、息子は学会の会館へランドセルを背負って行きました。

お気に入りのランドセルを人に見せたいという思いもあったでしょうし、不登園からの経過を見てきた僕からすると、〝幼稚園から心機一転、小学校へ通うぞ〟と、息子なりに自身を鼓舞していたようにも見えました。

いよいよ入学式の翌日から、車での送迎と、教室に同伴する〝付き添い登校〟が始まりました。
※入学前に、付き添い登校の許可を得た経緯はこちらに ↓

僕と妻のどちらかが付き添い、教室の後ろにパイプいすを置いてもらい、そこに座って最後列の席の息子を見守ります。(小学校には、担任の先生と一緒に授業の推進などを手伝う「サポーター」さんがいて、息子のクラスメートからは、僕も妻も5月頃まで、そのサポーターさんだと思われていました)

apiox–stock.adobe.com

ちなみに、同伴するのが僕の場合と妻の場合とで、息子の行動は、かなり異なるようです。幼稚園終盤の付き添い登園の時と同様、僕が一緒だと、息子は、父親に対する〝意地〟みたいなものが発揮されて、あまり近寄ってきませんでした。
(ただ、不安が限界に来ると、まれに僕の膝の上に乗りに来ることもありました。かわいいなあと思っていると、クラスメートの男の子まで、僕の膝に乗りにきてくれました。みんな、かわいいです)

1学期、僕が付き添った日の様子は、だいたい次のようなものでした。

朝は、午前8時15分に登校。車を降り、出入り口前に児童が集合し、その後、1年生の教室に向かいます。

授業が始まり、20分ほどすると、息子は手を挙げて「外に出て良いですか」と担任の先生に言います。(つらくなったら、そうするように家で伝えてありました)。先生がうなずいたのを確認して、息子は廊下へ。僕もついていきます。
 
息子の行動パターンは、おおよそ決まっていて、1年生の教室がある2階から1階へ下り、出入り口に向かって歩いていきます。途中で、息子は廊下の両側に置いてある水槽のそばで足を止めます。水槽には、校長先生が面倒を見ているヤモリやイモリ、メダカ、カメがいます。

息子は生き物、特に昆虫や両生類・爬虫類が大好きです。
水槽を眺めていると、その気配に気づき、そばの校長室から校長先生が出てきてくれます。

息子が「おはようございます」と言うと、校長先生が「おはようございます。餌、あげてみる?」と返してくれるのが常です。

息子は、生き物たちに餌をあげながら、オスとメスの違いとか、飼育の仕方などを熱心に語ります。大好きな図鑑や動画から得た知識で、校長先生も「よく知ってるねえ!」と、息子の話を聞いてくださいました。

一連のやり取りを終えると、息子は出入り口に向かって進みます。1階には保健室があるため、廊下では、しばしば養護教諭の先生とすれ違います。

「○○君(息子の名前)、こんにちは。どこにいくの?」
「そとのはたけをみてくるよ」
「お芋が育ってるから、見てあげてねー」

こんな感じで、一言、二言交わします。
その後、畑を見回り、さらに校庭を1周しながら、僕に向かって「ここにダンゴムシがいるよ」とか「チョウチョをつかまえたい」などと言って、雑談しながら過ごします。気持ちが落ち着いてきた頃を見計らって、僕の方から「もうすぐ休み時間だから、教室戻る?」と水を向けます。

一緒に見つけたテントウムシ

そこで気持ちが乗れば、息子は教室に戻ります。そして、また20分くらいすると、手を挙げて教室を出ます。(何度もそれを繰り返すと、クラスメートの中から「なんで○○<息子の名前>くんだけ、そとにでていいの?」と疑問が出始めるかもしれないので、担任の先生と相談し、1学期の早い段階で、手を挙げて許可を求めることはしないようにしました)

中休み(地域によって言い方が違うかもしれませんが、20分くらいの少し長めの休み時間)や昼休みには、息子は、仲の良い友達と一緒にトカゲを探しに行きます。
遊びに夢中になれば、僕が一緒に居る必要はありません。むしろ、「こないで」という時もあるくらいです。

ただ、1日の全部を、学校で過ごせる日は、なかなか訪れませんでした。

3時間目から行ったり、朝から行って2時間目に帰ってきたり。
毎日登校していたわけでもなく、朝、「今日は(学校)どうする? 自由に決めていいよ」という投げかけをして、その答えに沿う、というスタイルを取っていました。

4月が終わり、5月が過ぎ、6月を迎えました。どの月も、息子が登校したのは10日余り。当時の僕は、自分に言い聞かせていました。

〝(幼稚園時代の)療育の教室の先生が言っていた通り、「スモールステップ」を積み重ねよう。その中で「子ども家庭支援センター」の相談員さんが言ったように「環境(小学校)にハマる」かもしれない〟

――これまで、行政や民間のサポートの中でかけてもらった言葉を支えにして、〝息子が僕を安全基地として、学校に一緒に行くパートナーと思えること〟を最優先して、過ごしました。

そして、その日を迎えました。

アサガオの様子を見る息子

2023年6月26日の月曜日。
・初めて全校朝礼に参加。
・1時間目は教室から出てアサガオの鉢の観察を。
・2時間目は算数のテストをやって、手洗い場やトイレに行ったり来たりしつつも、教室に居る。
・中休みに「かえる」と言ったけれど「やっぱり、ずこうやるわ」と言って、3時間目、4時間目と図工をやり切る。
・給食の献立に冷凍ミカンがあることを知り、給食も食べる。
・昼休みは友達と遊んでテンションが上がり、その流れで、畑の掃除を学年混合の〝縦割り班〟で行う。

入学式の時もそうでしたが、最後の掃除は、上級生のお兄さんお姉さんのおかげで、最後まで居られたのだと思います。(お兄さんお姉さん、ありがとうございます)

おわりの会(ホームルーム)を終え、クタクタになっている息子と一緒に車で帰りました。
帰宅後、妻へ学校での様子を報告しながら、僕はうれしさで、心がいっぱいになりました。

〝よく頑張った! きっと息子は学校になじめる!〟

でも、その日を〝ピーク〟にして、息子の登校頻度、滞在時間は、少なくなっていきました。暑さが厳しくなる7月、夏風邪をひいた影響もありましたが、出席日数は3日でした。

頑張り切って、息子は、疲れたのだと思います。
息子と歩調を合わせるように、僕も疲れていきました。

僕が付き添い登校する予定の日には、仕事の休暇を取るなど、さまざまな準備が必要でした。
でも、当日になると息子は学校に行ったり行かなかったり、行ったとしても教室を出たり入ったり・・・。明日の行動も、次の10分後の行動さえも見通せない息子の後ろをついていく日々。日に日に、自分の体力と気力が削られていくのが分かりました。

〝結局、俺は何がしたかったんだっけ?〟

息子への寄り添い方に迷いながら、僕は自分へ問いかけ始めました。

(つづく)

聖教新聞の記者たちによる〝井戸端会議〟第2回。多様な親の思いを、お聞きください ↓

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